CGを使わず全部手描きで表現している話にびっくりした前編。後編はちょっと踏み込んで、本編をより面白く観るためのポイントを聞いています。
とりあえずまっさらな気持ちで観たいという方は、映画鑑賞後に読んでくださいね。

前編はコチラ


主人公ユウタの立ち位置をけっこう変えている


――製作期間はどのくらい?
宇田 僕に話が来てからだと、大体3年半。
――アニメ映画としては長いのか、短いのかどっちなんでしょう。
宇田 東映アニメーションとしては長いですね。ほかの制作会社ではこのくらいのスパンが普通なんじゃないでしょうか。Production I.Gさんの「ももへの手紙」は7年ですからね。

――あー、そうかあ。東映アニメーションさんだと劇場版「プリキュア」は年に2回つくっていますけど、ものすごいスケジュールだと思います。「虹色ほたる」はどこに一番時間がかかりました?
宇田 シナリオに相当かかりました。映画と原作では主人公ユウタの立ち位置をけっこう変えているんです。そのためにエピソードを書き換えないといけないところも出てくる。果たしてそれで映画的に面白くなるのかどうか。

――たとえばどこのシーンでしょう。
宇田 原作とかなり変わっているのは、お祭りの前の晩にユウタと青天狗が話すシーン。あれは原作だと、青天狗が話す相手は幼馴染でテキ屋の伸太郎。その話をさえ子が聞いて、心変わりをする場面がある。

〈その障子の向こうで穏やかに語り合う二人のお爺さんの声。オレたちは、もうとっくに怖さなんてなくなっていたけど、、お互いに離れようともせず、その場でそのまま身体を寄せ合っていた。
さえ子はまだ、ジッと一点を見つめたまま何かを考えているようだた。その顔は真剣で、思いつめているようで、ちょっと悲しそうでもあった……〉(『虹色ほたる』下巻 川口雅幸/アルファポリス文庫より)

――さえ子が自分で考えて解決する。
宇田 さえ子が主人公ならそれでいいんですよ。実際そういう案もありました。
――そうなんだ!
宇田 もちろん、さえ子が心変わりをする一番の原因はユウタにあるんですけど。わかりやすく、ユウタがさえ子を引っ張りあげる構図にしました。
ほかにも細かい部分はけっこう変えています。


完成画面がどうなるのか僕にもわからなかった

――人物の描き方もすごく特徴的で、まずそこに目がいきます。
宇田 東映アニメーション久しぶりのオリジナル映画ということもあって、東映らしさが欲しかった。でも、かつての東映らしさをそのまま表現しようとすると、スタジオジブリさんみたいになってしまう(笑)。あと、ちょうど「虹色ほたる」を作り始めたころ「マイマイ新子と千年の魔法」を上映していたんですよ。ジブリさんともマッドハウスさんとも違うキャラクターをつくろうということではじめていきました。
イメージボードを画面設計の山下高明くんと作画監督の森久司くんで何十点も描いてもらいましたね。そのときの森くんのキャラクターが非常に柔らかいタッチでよかったので、森くんにキャラクターデザインをやってもらったんです。
――終盤、ユウタがさえ子にほたるを見せに行くために、灯籠の道をふたりで駆け上がるシーンで、ガラっと絵柄が変わりますよね。筆で描いたようで、目も開いてない、鼻の穴もくっきり。写真のフォーカスのようにリアルに表現されたり。。

宇田 僕が絵コンテを描いた段階ではもっとあの絵柄ではなかったんですよ。
――え、監督が決めたんじゃないんですか!
宇田 アニメーターの大平晋也さんから上がってきた絵を見て、驚きました。でも、これしかない! と。あのシーンは生と死の間のイメージですね。灯籠の道の内側が此岸で、外側が彼岸。
――あー、だからさえ子のお兄ちゃんが外側に。
宇田 そう。灯籠がユウタとさえ子を導くなか、お兄さんは外側にいて、「それでいいよ」と笑っている。お兄さんを見て、さえ子は強く決心して、ユウタの手を強く握り返す。あのシーンは原画の段階では、完成画面がどうなるのか僕にもわからなかった。どうなるんだこれって思っていました(笑)。

試写を観てから原作を読んだのだけど、あれっと思うところがあった。ユウタがケンゾーに帽子を渡し、お別れをするシーン。とても印象的で、好きだ。でも原作を読んでみたら、そもそもユウタは帽子をかぶっていなかった。

宇田 ふたりのつながりに、映像ならではのなにか具体的なアイテムが欲しいんと思ったんですよ。あの帽子、実はユウタのお父さんの帽子です。冒頭のカブトムシを探す回想シーンで、お父さんがかぶっているんです。形見なんですよ。
――あ、ああ~、そう言われてみれば。
宇田 でも、それを手放してケンゾーに渡す。そして、数年後の虹色ほたるのシーンでは、ケンゾーの息子がかぶっています。


記憶を戻すのに一番重要なカギ

――ほんの数秒のシーンで自信がなかったんですけど、やっぱりかぶってたんですね。継承されていく。原作ではユウタとケンゾーのつながりは、握手という行為で表現されていました。
宇田 握手もすごい大事ですね。今回、「手」って重要なキーワードになっています。主題歌の松任谷由実さんも、「握り返す手のぬくもり」というワードを入れてくれた。そして、さえ子がお兄さんに固執する最大の理由なんですけど、最後、手をつなげていないんです。
――あ、お兄ちゃんが事故に会う直前。ほたるを見に行った湖からの帰り道ですね。
宇田 お兄さんは「ほらよ」って手を出しているんですけど、さえ子ははたいちゃう。湖に行くときのふたりは手をつないでいるんです。
――そうなんだ。それがずっと心残りになっている。
宇田 だから、花火のシーンで、手を差し伸べたユウタにさえ子は過剰反応した。
――あー……!
宇田 大人になったユウタとさえ子とケンゾーが記憶を取り戻すのも握手。明解に表現していないですけど、あの段階で半分記憶は戻っています。
――なぜ手にそこまでこだわりを。
宇田 手って肌と肌が直に触れ合う、人と人の絆の象徴ですよね。なので、記憶を戻すのに一番重要なカギになるのではないかと思いました。タイムスリップした直後のユウタをさえ子が引っ張るシーン。あそこは手はをつないでいない、手首を掴んでいる。これは一回観ただけじゃわかりにくいかもしれないです。

宇田さんに話を聞いて二度目を鑑賞した。おれ、なんで気付かないんだー! ってくらい、至るところで手が演技をしている!
〈戸惑いながらも握手する。ケンゾーの手はでかくて大人の手みたいだった。握る力も強くて、オレの手を飲み込んでしまいそうなほど。こいつとケンカなんてしたら絶対勝てないだろうな。そう思う〉(『虹色ほたる』上巻 川口雅幸/アルファポリス文庫より)
〈オレの手を飲み込んでしまいそうな、ケンカなんてしたら絶対勝てなそうな、あの手〉
〈すごい力だな。適わない、って感じの手だ〉(『虹色ほたる』下巻 川口雅幸/アルファポリス文庫より)
原作でも、とにかく握手の描写が多い。ユウタとケンゾーがわかれるシーン、映画では、帽子を渡すことだけが印象に残ってたんだけど、ちゃんと握手をしていた! 握手、自然な行為すぎて、意外と見逃してしまったのだろうか。

――どういった人たちに「虹色ほたる」を見てもらいたいですか?
宇田 映画の構成上いくつか展開を変えましたけど、原作が持っていた雰囲気はそのままにしようと思っていました。「虹色ほたる」の登場人物はみんな、おじいさんの青天狗ですら悩みを抱えています。自分なりの答えを見つけて動き、それを乗り越えていく物語を描きたかった。今回注意したことのひとつに「ここが泣かせどころ」というシーンはつくらないようにしました。なぜかというと、観る方の体験によって、琴線に触れる箇所は違うはずでしょう。盛り上がりの起伏は用意しましたけど、あとは自由に感じていただければと思います。

「虹色ほたる」は完成披露試写会をニコ生やUstreamで放送したり、YouTubeで映画本編の冒頭20分間を期間限定配信をしていた。それはやっぱり、公式サイトやパンフではわからない、動きがあるからだ。とにかく「観ればわかる! 動いているシーンを観せたい!」という気合をバンバン感じる。宇田さんの言うように、一度観ただけでは、わからないシーンもたくさんある。モリの先の発泡スチロールなんてぜんぜん気付かなかった! 1回目は普通に見て、2回目は手に注目して、という風に何度も楽しめる映画であることは間違いない。おれも、3回目を観に行ってこようかな。
(加藤レイズナ)