これは、「プロデューサー」の物語だ。

集英社の少女漫画雑誌「りぼん」が1967年に開催した「第一回りぼん新人漫画賞」。
この賞によって世に名乗りをあげた3人の漫画家の歩みをふりかえる集英社新書ノンフィクション『同期生 「りぼん」が生んだ漫画家三人が語る45年』を読んで最初に抱いた感想が冒頭の一行になる。「漫画家」の物語なのに「プロデューサー」とはおかしな話なのはわかっているけれど、そう思ってしまったのだからしかたがない。

本書に登場するのは『有閑倶楽部』『デザイナー』『砂の城』などの大ヒット作を次々に生み出し、少女漫画界に不動の地位を築いた一条ゆかり。いち早く「レディースコミック」の分野を切り拓く一方で、その作品群以上に漫画家・本宮ひろ志の妻として有名なもりたじゅん。そして、男性作家でありながら少女漫画誌で勝負に挑み、その後少年誌・青年誌に舞台を移しながら『甘い生活』など数々の“コメディ&お色気”という独自路線を生み出した弓月 光の3人。それぞれが自叙伝形式で、漫画家を目指した経緯、「第一回りぼん新人漫画賞」ビフォー・アフター、連載を続けてこられた秘訣などを赤裸裸に綴っているのだが、その過程において様々な「プロデューサー像」が登場するのだ。

もちろん、ここでいう「プロデューサー・プロデュース能力」の解釈は広い。ただ、3人に共通するのは、自分の得手不得手を理解し、その中でどう自分の立ち位置を置くべきか、どの武器を研ぎすませればいいのかを日々研鑽し、その積み重ねが45年の歴史につながってきている、ということだ。
実は、エキレビ!ライターでもある加藤レイズナがcakesで連載する「このPに訊け!」というプロデューサー論がはじまるにあたって、私のところにも「プロデューサーとは何か?」というアンケートを頂戴した。そのせいもあってか最近「プロデューサーって何だろう?」と考えることが多かったのだが、そのヒントが本書の中にあるように思えたのだ。三者三様のその内容をいつくか紹介してみたい。

【プロデューサー像/漫画家・一条ゆかりの場合】
最もわかりやすい例が一条ゆかりだろう。
「わたしは〈一条ゆかり〉の奴隷だった」と語り、自分のなかにいるもう一人の自分=プロデューサー・一条ゆかりについて語る。

《自分のなかにプロデューサーがいるようなもので、マンガを描いている時も、〈鬼のプロデューサー〉がクソうるさくて、サボりたいし甘えたいし楽しみたいゆかり先生を「プロでしょうが!」と厳しい掟で制します》

自身の中に「漫画家・一条ゆかり」と「プロデューサー・一条ゆかり」を同居させ、作家にとって必要な能力である近目(自分の好みと感覚を頼りに創作する能力)と遠目(全体のバランスを考え、他人から見た感覚を考える)を使いこなすことで、数々のヒット作を世に生み出してきたのだ。

興味深いのが、「自分の描きたいもの・描けるものだけに取り組んできた」「読者に受ける受けないは関係ない」と他者に迎合しない姿勢を本書の中で何度も記しながら、その一方で読者アンケートを細かく分析し、読者の中で一番多いであろう〈普通の女の子〉像を常に探ってきた姿だ。「第一回りぼん新人漫画賞」での準入選受賞後、3年刻みで自分の歩むべき道程を計画し、その後、その計画よりも早くヒットを飛ばしてしまった自分に対して逆に危機感を覚えながら、冷静な自己分析を通して自らの〈感性〉を磨いていく様がすさまじい。
そもそも、進学校に進める学力がありながら漫画を描く時間を確保するために商業高校に進み、東京への修学旅行の最中に里中満智子のアシスタントになる算段をつけてしまう(結局、里中満智子の結婚によってこの話はなくなるのだが、結果的にそれが「りぼん」でのデビューに繋がっていく)など、生まれながらにして自己プロデュース能力に長けていることに驚かされるだろう。


【プロデューサー像/漫画家・弓月 光の場合】
弓月 光の場合、プロデューサーとは自分自身ではなく、編集者のことになる。
『りぼん』担当編集(当時)の石原富夫氏の名を挙げ、彼と繰り広げた激しいネームの応酬が、今日に続く弓月光コメディ路線の礎を築いたと綴っている。

《1960年代後半、「りぼん」で石原さんと出会い、僕はコメディ路線を走りはじめますが、長く漫画家を続けてきて何よりありがたいと思うのは、バカなアイデアを出してくれる編集者の存在です。次に大切なのが、気持ちよく仕事をさせてくれる編集者。でも、アホなアイデアを出すことに関しては、石原さんが歴代でナンバーワンなのです》

編集者はよくプロデューサーに例えられるが、ここまで作家の信頼を集め、その力を引き出した幸福な例も少ないのではないだろうか。
もちろん、編集者に頼り切るばかりでなく、弓月光自身も自らの置かれた立場を冷静に見つめる分析力を発揮する。

《僕の場合、そこ(※女性作家陣の競争や作風の比較)から離れた〈離れ小島〉に最初からいたから、まったく関係がないんです。
先輩にせよ、同期にせよ、後輩にせよ、周囲の女の子と競争しようなんてハナから思わない》

《少女マンガから少年誌・青年誌の世界に移って、自分と同じ〈男性作家〉たちと肩を並べるようになっても、僕は〈離れ小島〉みたいな感じがあるんです。というのも、他の男性作家たちが青年誌で描いているような話を、僕は描かない。描きたいとも思わないし、描けないだろうし》

自分が女性作家の中にいても、男性作家の中においても異質な〈離れ小島〉である、という客観視ができたからこそ、雑誌が変わっても読者が変わっても結局描きたいことは〈自分の話〉であるという結論にたどり着く。その確かなプライドと、冷静な自己分析力は、紛れもなくプロデューサーに求められる力ではないだろうか。


【プロデューサー像/漫画家・もりたじゅんの場合】
もりたじゅんの注目点は、やはり夫・本宮ひろ志との関係性だ。自身の漫画家としての歩み以上に、本宮ひろ志とのなれそめから、お互いの才能への嫉妬と敬意、「本宮プロダクション」における創作の役割分担など、惜し気もなく語ってくれている。

『男一匹ガキ大将』のヒットのあと、「描いても、描いても、虚しい」と極度のスランプに陥り、一時行方不明にもなった本宮ひろ志に対して、もりたじゅんが作品テーマを提供して立ち直るキッカケをつくったことなど、内助の功というよりは、クリエイターとプロデューサーの関係性に近いだろう。
また、スランプに陥っていた本宮を再起させたのがもりたであれば、50代半ばにさしかかり、自ら才能の枯渇を感じていたもりたに対して漫画家としての引導を渡し、引退させたのが夫・本宮ひろ志だという。

《漫画家でありながら編集能力も高い彼の意見は、いつも的確で、私の作品が面白い時は「面白い!」ときちんとほめてくれますが、ダメな時は「こういうところがダメなんだ!」とはっきり言ってくれます。(中略)「お前、本当にダメだ。終わったな。もうやめろ」それは自分自身でもわかっていたことでしたが、彼に引導をわたされたことで、はっきりと腑におちたのです》

お互いがプレイヤーであり、道を照らす優秀なプロデューサーであることが見えてきて非常に面白い。

もりたじゅんの章では、ほかにも「自分よりも絵が上手な人は世の中にたくさんいて、作品としてキレイに仕上がるのであれば、その人たちを使うべきだ」という本宮ひろ志の哲学から生まれた本宮プロダクションの分業システムについて、江川達也や高橋よしひろなどここから巣立っていたアシスタントの話、年に一度男性スタッフ全員で風俗街に繰り出すエピソードなど、漫画ファン、本宮ひろ志ファンなら押さえておきたい情報が満載だ。


本書の中ではこの3人以外にも様々な少女漫画家(里中満智子、わたなべまさこ、陸奥A子、などなど)の名前が登場し、それら漫画家たちとの関係性や時代性が見えてくるのも特徴だ。帯に書かれた「知られざる日本漫画史」という言葉も決して大げさではない。上述した編集者・石原富夫氏による「りぼん」再生の切り札としての一条・もりた・弓月評など、少女漫画、日本漫画史を考察する上で貴重な一冊なのは間違いない。
ただ、「少女漫画」というジャンルにとらわれるのではなく、上記にまとめたプロデューサー的視点の重要性、クリエイターのモノ作りへのこだわりなど、ひとつの道を究め、長く続けるためのヒントもたくさん眠っている。漫画好き以外にもぜひオススメしたい一冊である。

『同期生 「りぼん」が生んだ漫画家三人が語る45年』
第一章 一条ゆかり 「わたしは〈一条ゆかり〉の奴隷だった」
第二章 もりたじゅん 「やめたことに何の悔いもありません」
第三章 弓月 光 「僕は一生マンガを描いていく」
(オグマナオト)