物議を醸した日本シリーズでの誤審騒動。
だが、オールドファンにとって「日本シリーズの誤審」と聞いてまず思い出すのは別なシーンだろう。

1978年日本シリーズ「ヤクルトスワローズvs.阪急ブレーブス」第7戦。ヤクルト・大杉勝男の放ったレフトポール際の大飛球がホームランだったのか、ファウルだったのか?
今回の誤審騒動の際、スポーツ紙などでもコラム的に取り上げられていたので目にした人も多いだろう。30年以上前の出来事がひとつのプレーによって掘り起こされ、比較されるのもプロ野球の魅力であり、楽しみ方のひとつだ。むしろストーブリーグに入った今、過日のプロ野球に思いを馳せる絶好のチャンスとも言える。
そこでぜひオススメしたい本がある。『プロ野球「衝撃の昭和史」』
「文藝春秋」で連載されていたスポーツライター二宮清純のコラムがまとめられたもので、球史に残る試合や伝説のプレーの裏側に迫った一冊だ。

「伝説のプレー」だから当然、これまでにもどこかで語られ、検証されてきた「おなじみの話題」になる。本書の魅力は、その「おなじみの話題」の視点を本筋から少しだけズラし、「伝説のプレー」が起きたことで真に影響を受けた人物は誰だったのか、そして本当のキーパーソンは誰だったのかを解明していく、推理小説のような面白さにある。

例えば冒頭に挙げた「1978年日本シリーズの誤審」に焦点をあてた《第4章:はじめて明かされる「大杉のホームランの真相」》。
ファウルかホームランかの判定以上に、阪急・上田利治監督の抗議が1時間19分にも及び、コミッショナーが仲裁に入ったことでも話題を集めた一件だ。この一戦の視聴率45.6%が日本シリーズ史上最高の記録であることからも、この騒動が国民的事件だったことがわかる。


本書においても改めて大杉の打球判定の真偽について検証が重ねられていくが、注目すべきはその先にある。なぜ上田監督の抗議が1時間19分にも及んだのか。そして、長い抗議時間がその後のプレーにどのような影響を与えたのかを紐解いていく。
興味深いのは、1時間19分の抗議時間のうち半分近くの時間が判定への抗議ではなかった、ということ。上田監督が求めたのは判定の取り消しではなく、審判の変更だったというのだ。
さらに、抗議が長引いたことで生まれた余波も検証していく。
すでに肩のスタミナが切れかけていたヤクルトの先発・松岡弘が息を吹き返し、その一方で好投を続けていた阪急の先発・足立光宏の痛めていたヒザに水がたまってしまい、試合再開後に投げられなくなってしまったということ。結果的に復活した松岡が続投して阪急を完封。さらには大杉が次の打席で「正真正銘の」ホームランを放ちMVPにも輝いてしまう。「ホームランかファウルか」の判定以上に、「上田監督の抗議時間」がシリーズの明暗を分けた真犯人だったのだ。

また著者は、この長い抗議で上田監督が退場にならなかったのはなぜか? という疑問にも迫っていく。
《いっそ暴力でも振るってくれたら“退場!“とやれたんですが、抗議の中身は理路整然としていた。
まぁ、それでも退場させるべきやったね。今考えると、なぜ退場させなかったのか、僕自身も不思議でならないんです》という山本球審のコメントが紹介され、明確な真相究明には至らないのだが、判断材料として著者は、この山本球審が上田にとって広島時代の先輩にあたるため抗議も紳士的だった、という点に言及する。そういえば今回の日本シリーズでの誤審騒動においても、柳田球審と栗山監督がヤクルト時代にライバル関係にあったという「因縁」が紹介されていたことを思い起こす。
また、今日では「5分以上の抗議で退場が宣告できる」というルールが生まれた点も押さえておかなければならない。実際、栗山監督も時計を気にしながらの淡白な抗議に留まってしまったことが非常に印象的だった。30年以上の時を越えて、ひとつの事件が、今のプロ野球史に影響を及ぼしていると見ることもできるのだ。



日本シリーズ、と聞いて思い浮かべる出来事にはまだまだたくさんあるが、代表的なのはやはり1979年「広島東洋カープvs.近鉄バファローズ」第7戦、球史に残る「江夏の21球」だろう。本書では《第1章:江夏の21球は14球のはずだった》において、この出来事にも改めてスポットライトをあてている。

スポーツライター山際淳司の名著『スローカーブを、もう一球』に収められ、「Sports Graphic Number」創刊号に掲載されたことでも有名なこのエピソード。山際淳司以外にも、これまでに多くのライターや評論家が分析や解説を試みている「事件」だ。本書ではこのエピソードを広島のサード・三村敏之、そして近鉄ベンチからの視点を中心に振り返っていく。

江夏の投じた14球目とは、無死満塁という場面で打席に立った代打・佐々木恭介に投じた3球目にあたる。
内角ボール気味のスプリットフィンガーを叩いた打球は、前進守備をとっていたサード三村の頭上をワンバウンドして越え、ファウルゾーンに転がった。もし三村のグラブをかすめていたら、そのジャンプした位置からしてフェアゾーンでの接球になり、劇的な逆転サヨナラ勝ちで近鉄が初の日本一を達成していたことになるのだ。

実は三村は打球に触れていたのではないか? という疑問から著者は真相を探っていくことになる。この疑問に関してはバッター・佐々木恭介の証言から答えが明らかにされていくのだが、著者はその打球がファウルだったのかフェアだったのかでは終わらずに、なぜ近鉄ベンチは抗議をしなかったのか、という別な疑問の解明に突き進んでいく。これに関わってくるのが、近鉄の監督であった西本幸雄と、三塁コーチだった仰木彬の2人だ。一部本書から引用したい。

《実は生前、私は仰木にこのことを尋ねている。彼は苦笑を浮かべて言った。
「いつか、話す時がきますよ。前の年には上田さんのことがあったからねぇ」
前の年、すなわち1978年の日本シリーズで阪急の上田利治監督はヤクルト・大杉勝男のレフトポール際の本塁打を巡って1時間19分の猛抗議を行ない、騒動に発展した。どうせ抗議したところで判定は覆らない。この勢いを止めたくない。一気に行こう───。
推論だが、仰木はそう判断したのではないか》

またしても上田利治の抗議が、時を越えて別なプレーに影響を与えたことになる。点と点がつながり、球史という線になる瞬間。これだからプロ野球は面白い。

『プロ野球「衝撃の昭和史」』では上記した2つ以外にも、全部で12の「球界の歴史をくつがえす」エピソードが紹介されている。
第1章:江夏の21球は14球のはずだった
第2章:沢村栄治、戦場に消えた巨人への恩讐
第3章:天覧試合、広岡が演出した長嶋の本塁打
第4章:初めて明かされる「大杉のホームランの真相」
第5章:江川の投じた最速の一球
第6章:宿敵阪急を破った野村野球の原点
第7章:遺恨試合オリオンズvs.ライオンズ、カネやん大乱闘の仕掛け人
第8章:落合博満に打撃の師匠がいた
第9章:ジャイアント馬場は好投手だった
第10章:打倒王貞治「背面投げ」の誕生
第11章:三連勝四連敗、近鉄加藤「巨人はロッテより弱い」発言の真相
第12章:「清原バット投げ事件」の伏線

それぞれのエピソードにおける主要登場人物は、上述した西本幸雄、仰木彬、三村敏之、大杉勝男をはじめ既に故人の場合も多い。だからこそ著者は想像力を膨らませ、周辺人物への取材を重ね、試合を様々な角度から細かく振り返り、事象を何層にも積み重ねていくことでその真相に迫ろうとする。
最終的な「新事実」以上に、その事実に迫っていく過程こそが楽しめる一冊だ。ストーブリーグのお供にぜひ!
(オグマナオト)