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松たか子と阿部サダヲが、結婚詐欺の夫婦を演じる映画「夢売るふたり」のDVD&Blu−ray発売を記念しての、西川美和監督インタビュー後編。
松たか子演じる里子は、思ってることをとことん口にしない女。

彼女だけでなく、西川監督作品には、本心を隠している人ばかり出てくるが、なぜ、それを題材にし続けるのか、その秘密に迫る。

──「夢売るふたり」に香川照之さんが出演されていますが、冒頭で道路の向こうに渡っていくじゃないですか。あれが「ゆれる」のラストで、オダギリジョーさんと道路を隔てた向こう側に香川さんがいるシーンとちょっと重なったんです。「ゆれる」を連想させる遊び心なのかなって。
西川 そんな意見、はじめて聞いた(笑)。そうだってことにしておきます(笑)。
ちなみに「ゆれる」で香川さんが、ガソリンスタンドで、チンピラみたいな男にからかわれて、ぶち切れるシーンに、赤いジャージの男が出ているのですが、「夢売るふたり」にも出ているんです。同じ赤いジャージを着て。
──やっぱりつながりが。
西川 その人だけは「ゆれる」と同じ役っていう設定なんです。人生で最後に一旗をあげようと思って東京に出てきて、劇団を作ったという設定で、後半の居酒屋で、そんな話を山下敦弘監督とふたりでしゃべっているのが、「キャッチボール屋」という映画の監督の大崎章さんです。私の助監督時代の先輩で、演出部としても「リンダリンダリンダ」その他、数々の名作を支えてきた異才の人です。

──そういう登場人物の裏設定って考えているんですか?
西川 たまたまですけど。でも、みんなそれなりに考えていますよ。
──もちろん、主役のふたりのことも?
西川 いい質問を! 今回、Blu-ray特装版のほうにライナーノートっていうのがありまして。そこには、この夫婦が、どこで生まれてどういう育ち方をして今に至るっていう裏設定を書いています。それぞれのバックグラウンドなども作品中ではさほど詳細に語られたりはしませんので、演じ手たちが「自分の役ってどういう人なの?」と迷った時にガイドに出来ればと思って、あらかじめ書いたものを用意したんですよ。それがそのまま掲載されています。

──映画の中でわからなかった秘密がわかるんですか?
西川 わかりますよ。今までの夫婦関係のなりたちなどが。なので、ぜひ、Blu-ray特装版をお求めください。すごいですね、台本を渡したんじゃないかなっていうくらい、見事にこちらが言いたい話を質問して頂いて。
──宣伝の意図に乗っかっていくのは悔しいですね。冒頭の火事のシーンの撮影方法もメーキングに入っているでしょうから、聞くことをやめます(笑)。

西川 映っています(笑)。
──近年、映画界では、本編の他に、長時間に及ぶメーキング映像や、裏設定を明かすライナーノートなどを公表することが増えていると思いますが、西川さんは観客の想像に委ねるとおっしゃりながら、このように手厚く裏話などを出されるわけはなぜなのでしょうか。
西川 どういうことなんでしょうねえ? 「出して」ってソフト会社から言われたから(爆笑)。ほんとうはね、想像に委ねたほうがいいと思うんで…映画で描かれている以上のことを知りたくない方は、通常版をお買い上げください(爆笑)。
──とにかく、ソフトは売りたいと。
西川 ええ。
この先3年くらい、また映画を撮らずに生きていかなくてはなりませんから。
──3年も?
西川 そうですね。しばらく初心に戻って机に向かうところからはじめようと思っているんです。
──そのためのお布施を。
西川 ぜひ(笑)。それは冗談として、裏設定を明かしていいかっていうのは、見た人の好みによりますよね。
私が映画鑑賞者としたら、そんな知りたいわけじゃないですけれど、中には知りたい方もいらっしゃいますから、今回は出してみました。出す、出さないは別として、そういう裏設定は物語を作る上で誰もが作っていると思います。そこから物語が転がっていくとも思います。今回のものも、先に言った通りもともとは俳優の演技のガイドとして作ったものですが、必ずしもそういうものに縛られなくていいんです。だから、書き込み過ぎないことを念頭においた分量になっています。自分が設定した人物を、俳優がその人のオリジナリティで別の人格に膨らませてくれたりするのもまた映画を作る楽しさなんです。だから読まれた方も、それが正解だ、と思わずに、こういうものを頼りに役者が芝居をするんだなと、一つの資料と思って見てもらえると嬉しいです。私たちも撮る時は忘れているんですよ。困った時に立ち返ることがあるくらいで。俳優たちもそんなに縛られていないと思いますが、たまにアドリブで会話をお願いするときなどに、裏設定でお渡しした過去の話なんかを何気なく話題の端に入れてくれていたりするんですよ。それを聴きながら、ああ、こういう時に俳優はあれを使うのかあ、と。
──俳優は人知れず、書かれた設定を染み込ませているんですね。
西川 優秀ですね。
──作り込みすぎないことが西川さんにいいところですね。
西川 映画は生き物だと思うんです。演じる人の個性で変わります。松さんじゃない俳優が演じたら違う里子になりますから。あらかじめ読んだ裏設定で役のベースを固めつつも、いかに現場で自由になれるか。遊びを残すことは映画作りにおいて肝に命じているところで、私みたいに、自分で書いていると、自分の書いたものに縛られがちになるんです。だから「変えていいですか」と言われたり、台詞が抜けたとか違ったりした時に、もしかしたらそっちのほうがいいんじゃないかって、臨機応変にできる余裕を残せるように心がけています。
──俳優だけでなく、カメラマンの案で変わることもあるでしょうね。
西川 そうですね。あっちから撮ろうと思っていたのに、ふと見たら、カメラ位置が違っていて、なんでジミー(撮影技師・柳島の愛称)さん、こっちから撮るんだろう、とその時はよくわからなくても、後々考えていくと結果そっちのほうがよかったりするんですね。お天気のことも含めて、様々なアクシデントが撮影中にはたくさんあるんです。それをいかに味方につけていくかが大事で、うまく作用すればいい映画になるし、うまくいかなければ崩れていくっていうこわさがありますね。
──雨のシーンは、雨を降しているんですか?
西川 降らしています。だけど、ラッキーなことに撮影の時に台風みたいなものが近づいていて曇天だったんです。冬のシーンを、夏から秋にかけて撮っていましたから、夏の直射日光に当てられちゃうともう誤魔化しようがなくなってしまうんです。幸い、私、雨女で、ほとんどのシーンで降られているんですけど(笑)。火事のシーンは、セットを立てていますが、燃やす時、店中に煙がこもらないようにと美術部はあえて屋根を作ってなかったんです。そうしたら初日に土砂降りが来て、居酒屋の店中が洪水になってしまったっていう。そこから、撮影が始まっているんですよ。こんなふうに、いろんな嘘をつきながらやっています。
──阿部さん、すごい火が出て燃えてる中、迫真の場面でした。
西川 阿部さんも燃えてますよ。
──スタントじゃないんですか?
西川 スタントも燃えてますが、本人も燃えてます。
──かなり危険なことをやっていますよね。
西川 阿部さんも燃やされたのは、はじめてだって言ってました。
──ああいうギリギリのシーンをやると、スタッフも俳優もやる気になりますよね。
西川 火事のシーンが初日だったのでチームワークも何も。
──チームワークをそこで作り上げるという力技。
西川 そうですね、みんな声出してやっていて、よかったですね。
──やっぱり、そういうことも考えて、初日に難しいシーンをもってくるわけですか。
西川 スケジュールを作るのは、それこそ助監督ですから。それも計算していたのかもしれません(笑)。
──里子と貫也が新しくはじめた店で、里子が貫也を見送ってる時、風が横から吹いてくるカットがありますよね。風に吹かれる松さんの表情が印象的で。あの風はわざわざ吹かせているんですか?
西川 あの、すきま風は、カメラ脇から助監督が扇風機まわしてますよ。
──あれは風が欲しかった?
西川 たてつけの悪い引き戸を勢い良く閉めた後に吹く、すきま風が欲しいと脚本のト書きに書いてあるんですよ。
──外に出たカットでも同じような風が吹いていました。
西川 あれは天然物。外の撮影と、店の中の撮影日は別日だったんですけどね。恵まれてないようで恵まれているんですよね。秋の台風の風が、エキストラにジャンバー着て歩いてもらったら冬の木枯らしに見えましたねえ。
──ロケ地はどのように選択されたのですか?
西川 東京の話なんですけれど、その中のどこの街か、という特定はあえてしないようにしたんです。東京に住んだ事のある人、足を踏み入れた事がある人なら、だれもが、その風景を「ここ、知ってる」と思えるような気になる風景で構成したかったんです。ふたりの生活圏内は山の手線の外側。東京だけどダウンタウン。そんなにきらびやかでなく、スタイリッシュで洗練された状況でなく、いろんなものが沈殿している街を描きたかった。ただ、東京という街は過密だし余裕もない街だから、地方に比べるとなかなかロケの許諾をとることも難しいんです。そういう世知辛い中でも、浅草周辺初め下町の方には多くお世話になりましたし、場所提供を許してくださった方たちはほんとに神様みたいに思えましたよ。
──最後に。西川さんの映画は、「蛇イチゴ」からずっと、嘘をついてる人っていうか、お腹の中の気持ちを言わない人を、4作続けて書いているのはなぜでしょうか?
西川 なんでなんだろう? って思いますが「詐欺に興味あるんですか?」って訊かれるとそうじゃないと私は思うんです(笑)。
──逆に、そういう質問の仕方のほうがおもしろいかもですね(笑)。
西川 思ってることをお腹の中に溜めて言わないのは、たぶん自分にそういうところがあるからだと思いますね。そして同時に、自分だけでなく、きっと多くの人間にもそういう部分はあるだろうと。後ろ暗い事、やましい事。恥ずかしい事。秘密にしたいこと。
──墓場の中にもっていくものを、もってますか?
西川 あると思います。いくつか。
──みんな、もってますかねえ?
西川 ないですか? 赤の他人になら、例えば、道ばたの手相見になら言えるかもしれないけれど、近い人にこそ言えないことってないですか? 私はあります。ないですか?
──そんなかっこいいことがないんですよねえ。
西川 いや、ちっちゃいことなんですよー。ちっちゃいことでも自分の中にわだかまりがあって、そんなことにわだかまってしまう自分が、なんだろう?って考えるところから、自分というものの見たくない輪郭が見えてくるような。おそらく、同じ告白を友達にされたら、なんだ、そんなことで悩んでたの?と軽ーく言うと思うんですよね。でも、そんな風に他人には寛容に振る舞いつつも自分に関しては同じ事が許せないってなんなんだ?っていう。そこで励ましたりしている時点で、自分がその人よりひとつ上に立とうとしているんじゃないかとかも思ってしまうし。果ては自分の抱える問題も、同じように寛容に許してもらうための下地を造ろうとしているのじゃないかとかね。その人が抱えてる秘密って、ある意味ではその人そのものであると思うんですよ。私が描いているのは、嘘というより秘密かもしれないですね。
──言える範囲でいいので、秘密はなんですか?
西川 言える範囲で? 難しいなあ。ちょっと言えないなあ(笑)。自分が秘密にしたいことって、たまに作品の中にそっと入れていたりしますよ。登場人物に背負わせちゃう。
──はじめて秘密をもった年齢は? 西川さん、早熟そうですが。
西川 早熟だったかどうかは・・・早熟だったかなあ。でもませてはいなかったですね。幼稚園にあがる前くらいかなあ。
──そんな時から秘密を。
西川 その頃の記憶がすごく鮮明なんです。2歳とか3歳とか、その頃が私のピークだったんじゃないかな。その頃、筆をもたせていたら、いいもの書けたと思いますね。
──新作の予定は。
西川 いつになるか、ですね。よりいいものを作れるまであせらずにと思っています。

(木俣冬)