11月23日から高畑勲監督『かぐや姫の物語』が上映されます。
それにあわせ、今晩『火垂るの墓』がテレビで放映されます。


ぼくがはじめて映画館で『となりのトトロ』『火垂るの墓』を見た時、どちらも夢中になって見ました。
『トトロ』が「楽しい!」なのに対して、『火垂るの墓』は「辛い……」。
でもそれも含めて、すげえなあ、アニメでこんな苦しい思いになるんだなあと、びっくりしたんです。

けどね、子供のぼくはどうしても『火垂るの墓』に納得ができなかった!
特に、西宮のおばさんと、清太。
確かに西宮のおばさんは、絵に描いたようなイヤな感じはあるけどさ、戦争中でしょう?
なのに、清太はそこで我を張っていいのかいと。
そこは我慢しろよ、そしたら二人共生き延びられたかもしれないじゃん、と。

それ以来、高畑勲作品は大好きなのに、『火垂るの墓』はどうしても苦手、という意識が芽生えてしまいました。

この点について、『もっと! Vol.4』の「ジブリの狂気が大好き」特集で、全く同じ部分について触れられていました。
サメマチオが「私の感想文 火垂るの墓」と題して、16ページのエッセイコミックを載せています。

例えばサクマドロップの缶に水をいれて、それを節子が飲んだら「味がいっぱいするぅ」というシーン。
どんな味だろう?と憧れてやってみたものの「味しねえぞセツ子!!!!」。
あるある。
ぼくもあれこれ言いながら、サクマドロップ買いました。納得行ったかどうかと、アニメが好きかどうかは別なんだよ!

そんな『火垂るの墓』大好きな作者が、社会人になってから飲みながら話し合います。
「ありゃー、よく考えりゃ、清太が相当甘ったれだよな!! 思えば助け合いってキーワードは出てたんだよ。それに耳を傾けない清太は傲慢だし、行動次第で違う結果も出せたよな」
同じ考えの人は、多いかも。

ところが、数年後に子供を持つ別の人と話していて、作者は気づきます。
あれは西宮のおばさんが切ない映画だと。

西宮のおばさんに対して、映画を見た子どもたちは「ウチの母ちゃんとは違う! 西宮のクソババアめ!」と考えるだろう。
でも自分が親の立場になったら、あの状況で、反物売らない自信はない。
「親だからこそ、西宮のおばさんは大人としてどうなの?って思う反面、全面的に諸悪の根源みたいに言われると『じょうなんてドコにあるんですかっ』って、清太と同じ気分になるのよ」

「清太が悪い」「西宮のおばさんが悪い」とか、そういう問題じゃないのかもしれない。
「味がいっぱいする」とサクマドロップの水を飲みながら言った節子に、作者はこう問います。
「セツ子、実はやっぱりそれ、水じゃないのか?」

13歳の少年は何を考えていたんだろう。4歳の少女はどんな気持ちだったんだろう。

ぜひ読んでほしいエッセイです。
やっぱり、年齢に応じて見え方変わるからこそ、何度もテレビで流す意味、あるんだよなあ。

今なら、同じ戦争を描いた作品で、高畑勲の『火垂るの墓』、宮崎駿の『風立ちぬ』を見比べてみるのも、面白いかもしれません。
あわせて『夢と狂気の王国』で二人の関係を見ておくのもオススメです。
なんで日テレでだけジブリ映画を放映するかの理由もわかりますよ。

(たまごまご)