アニメ『少女革命ウテナ』に使われた音楽「絶対運命黙示録」
二番があるって、知ってましたか?

もともと「絶対運命黙示録」は、演劇実験室・万有引力の公演「カスパーハウザー」の曲。
作詞・作曲したのは、J・A・シーザー。シーザーは、寺山修司の劇団・天井桟敷で音楽を担当し、寺山没後は万有引力の主宰をしている。
『ウテナ』の幾原邦彦監督は天井桟敷やJ・A・シーザーのファンで、『ウテナ』に曲を使うことを熱烈にアプローチ。その結果、『ウテナ』にシーザーが参加することになった。
テレビで使われたのは「絶対運命黙示録」の一部。また、CDなどに収録されているものも一番だけ。

二番は、シーザーと声優の三木眞一郎が組んで行われた2001年のイベント「JYUTAISM」で一度だけ歌われたことがある。

幻の二番。実は、12月20日に聞くことができる。
J・A・シーザーのコンサート「大鳥の来る日」。豊島公会堂で、18時半から開演だ。
コンサートは五部構成。
天井桟敷や万有引力で用いられた歌だけではなく、「絶対運命黙示録」や「天使創造すなわち光」、「ワタシ空想生命体」などの『ウテナ』の曲、蘭妖子のゲスト出演など、シーザーの世界にとことん浸る二時間になる。

「ウテナの続編」的楽曲の構想もあるとのこと。
コンサートに向けて準備中のシーザーに話を聞いてきた。

「『絶対運命黙示録』の二番は、『カスパーハウザー』のときにはなかった。「JYUTAISM」のときに、新しく二番を作ったんです」
万有引力の曲は、芝居用として短く作っているのだという。本当はもっと長く、音楽の構成的に複雑でも、芝居に合わせて思い切りよく切ってしまう。

「芝居の場合は、音楽は『完成させない』。役者の動きや台詞も合わさった総合的なもので、アドリブの部分も出てくるから、完成しているとうまく合わなくなってしまう。でもコンサートのように『音楽』だけでやる場合、音楽的な要素できちんと完成させる必要がある」
演劇バージョンと音楽バージョンがあるというべきか。今回「大鳥の来る日」で歌う「絶対運命黙示録」の二番は、「JYUTAISM」とは歌詞や展開も違うとのこと。

『ウテナ』で欠かすことのできないシーザーの曲。前半は万有引力の劇伴音楽からの提供だが、後半はウテナのために書き下ろしている。

「『ウテナ』の曲は、どれも『架空の芝居を作って、その芝居用の合唱曲を作っている』イメージでした。実際芝居を作れればいいんだけど、忙しいからプロットだけ(笑)」
現在構想中の『ウテナ』続編の楽曲は、それと同じような作り方、同じような世界観で作られているのだという。
シーザーが惹かれるのは、「偉人伝」というテーマ。たとえば、シュリーマンの伝記を読むと、「シュリーマンは嘘つきだった」といわれていたりする。そこからシーザーの頭の中に台本が生まれ、それに合わせた曲が生まれる。
「『カスパーハウザー』はまさにそうだし、他にも『天使創造すなわち光』(有栖川樹璃との決闘で使われた曲)は、ダーウィンを下敷きにしている
「天使創造すなわち光」がダーウィンとつながると聞いたのは初めて。
死や生、対極的なものに引き裂かれることの歌だと思っていたが、とても腑に落ちる。
ダーウィンが唱えた進化論。今の人間の形というのは、たくさんの死の中から気まぐれに生まれたもの。生という光の中にあらかじめ死が内包されている。
また、ダーウィンはキリスト教徒だった。猿からヒトへ進化したという考え方は、アダムとイヴの話と対立する。
自分の意見の正しさを示すことは、信じてきたキリスト教の謬りを指摘することになってしまうのだ。そのとき、ダーウィンの心は二つに引き裂かれていただろう。
これを踏まえたうえで、『ウテナ』の7話を見返す。「ありたい自分」と「実際の自分」が引き裂かれている有栖川樹璃(デュエリストはみんなそうだが、樹璃は一際その印象が強い)。彼女の決闘曲として、「天使創造すなわち光」は本当にぴったり合っている。ダーウィンを意識することで、樹璃が抱いている葛藤がより強く伝わってくる。

「偉人伝以外だと、澁澤龍彦の影響があるかな。寓意的なものを、歌でどのように表現できるか。『百科事典みたいな音楽』を作りたいとも思ってますね。すでに死語になっているような言葉を歌詞にすると、言葉が生きる。自分のマンネリ化した世界の中で、言葉と出会う」
「円錘形絶対卵アルシブラ」や「歴史望楼『文字砂漠』」などは、似た単語を並べたり、作者や書物の名前を並べたような曲だ。知っているはずの言葉。でも、シーザーの曲の中で歌詞としてその単語を聞くと、まったく違って響くことに驚く。
「吐息」や「青息」、「鼻息」を、「息の貯蔵器」に「蒐集」する。昆虫標本のように、息が集められて飾られる光景をイメージする。鼻息の色や形を意識することなんて、シーザーの曲を聞くまでなかった。

シーザーの「曲」と「言葉」を単体で味わえるコンサート。
大規模なものは、2012年の5月の「山に上りて告げよ」以来(ミニコンサートやミニライブは合間に何度か行われている)。「舞台に出るのはあんまり好きじゃない」と言うシーザーがコンサートをやるきっかけはなんだったんだろう?
「もともと40歳ごろから、ロックのコンサートをやりたいなとは思っていた。でもそのためにはバンドが必要。そんなとき、若い彼らが活動し始めた」
彼らというのは、AsianCrackBANDのこと。万有引力の劇伴CDを製作することを目的に設立された。
「ちょうど彼らは、自分たちが天井桟敷を始めたときと同じような年齢。彼らが年寄りだったら、俺は『やろう』って気持ちにならなかったかもしれない(笑)。彼らがまとまりのあるバンドになってきたから、生演奏でできると思った」
AsianCrackBANDの生演奏が実現したのは2011年の「夢の国『シンクウカン』」。そこでコンサートの実現も現実味を帯びてきた。
「森岳史くん(天井桟敷時代の「シーザーと悪魔の家」のギタリスト)の協力・出演があったのも大きかったですね。彼にはまた出演してもらいたかった。そこはすごく残念です」
森岳史は、2012年のコンサートにはシーザーとともに参加。けれど今年の5月に亡くなった。今回の「大鳥の来る日」には出演できない。

「前回は、夢のように終わってしまった。色んな人に後押しされて『やる』と決心した自分と、舞台の上で歌っている自分とのあいだにギャップがあったように思う。演劇を通じてメッセージを発信してきたけれど、音楽だけでメッセージを出してどう受け取られるのか不安だった。『やろう』『やめとこう』と言う自分が二人いるような感じ。寺山さんがいるときには、こんなことはやってなかったからね」
シーザーは寺山修司作品の音楽を担当していたが、そのあいだ、シーザー自身が歌うことはあまり多くはなかった。また、万有引力の舞台にシーザーは上がらない。天井桟敷のときも、万有引力でも、そして『ウテナ』でも、シーザーは「主力」であっても「主役」ではなかった。
「変な話、コンサートをやるたびに寺山さんが遠ざかるような思いがあります。それほど、方向性は違うと思う」
コンサートのシーザーはまぎれもなく「主役」だ。
演劇は一人で作るものではないが、コンサートは誰にも頼らずに歌わなければならない。
「プロの歌手ってわけではない。『個性のある歌』というふうに評価してもらっているけれど……」
謙遜するシーザー。うーん、そうかなあ。音楽的にも高く評価されてると思うのですが……。
「そう言われると、有頂天になってしまう(笑)。そこが違うんですね。演劇だと、誰に何を言われようと常に冷静でいられるんだけど」

演劇とは違うシーザーに出会えるコンサート「大鳥の来る日」。当日券も出るとのこと。
万有引力は、2014年2月に「観客席」、5月に「リア王」の公演が決定している。また2015年には「身毒丸」も予定し、その準備もあるため、来年はコンサートが開催されない可能性が高い。書を捨てて、豊島公会堂へ行こう!
(青柳美帆子)