国や文化によって笑いのツボは変わる。笑いのセンスが異なるために、一種の冗談として放ったことが他国では冗談でなく受け止められ、しばしば国際問題に至ることも多い。
フランスと日本の「笑い」には、どのような違いがあるのだろうか。仏国立東洋言語文化研究所で「日本の笑い」を研究し、日本でお笑い芸人として活動経験もあるエムリック・タンギーさんに聞いてみた。

「フランスの笑いは、当たり前とされることとの真逆のことを言い、それを相手も、事実と逆だとくみ取りつつ笑う『皮肉』が基本です。日本人は冗談を言う際に、『これは冗談だ』という合図を、表情であったり何かしら分かりやすい形で、相手に送る場合が多いです。しかしフランス人は、最初から自分たちが言っていることはめちゃくちゃだという前提で話しているため、日本人のように何の合図も送らない。そのためフランス人が日本人に対して冗談を言うと、真顔のため本気と受け止められやすいです。
冗談の内容も、フランスでは相手が引くくらいのことを言って、笑いに転化させることも多いです。しかし、このような文化に慣れていないと、それが『笑い』であると、なかなか通じないですね」

フランスの哲学者ベルクソンによれば、「笑い」は「社会的な罰」という一面を持つ。笑われた人は恥ずかしさを感じ、気を付け、間違いを改めようと考える。知人によれば、日本の漫才はまさにこれで、ボケ(誤った行動)をツッコミが正し、それを観客(社会)が笑う仕組みだという。そう考えると、「ボケとツッコミ」という組み合わせは、笑いにとって不可分のように思えるが、フランスは基本的に、日本の漫才のようなツッコミ役は存在しないそうだ。

理由の1つは見せ方の違いだ。
漫才や落語の場合、舞台上の芸が始まると基本的には客とのやり取りは無くなり、舞台に創り出された架空の世界を鑑賞して笑う。一方で、西洋のコメディーは舞台上でのやり取りを一方的に見るというより、コメディアンは観客との積極的な対話を必要とする。それゆえ漫才の場合は、ボケに対して舞台上でつっこむ相方が必要だが、フランスはコメディアンのボケに対して客が対話しつつ突っ込む。よって舞台上の役割としてのツッコミは、漫才のような形では存在しないそうだ。

舞台上の形以外にも、日本に特有な現象があるという。日本を訪れた時、お笑い芸人の多さに驚いたそうだ。


「日本のテレビ番組の場合、ニュース以外、どの番組にもお笑い芸人が出演しています。しかしフランスのコメディアンは、テレビにはほぼ出ません。彼らの主な活動場所は舞台で、テレビ出演は、例えば自分が映画に出演した時の宣伝などです。ネタを披露したりする番組はあるにはありますが、基本的には無く、トークショー番組は政治家やアーティストが専門分野のことを話します。あとは司会者を務めるくらいでしょうか。日本では社会的にお笑い芸人の需要がとても高いと感じました」

モノマネについても、日本とフランスでは求めるものが少し違うようだ。


「日本の場合、モノマネ芸人は同じ芸人仲間や芸能人をマネる場合が多いですが、フランスは政治家のモノマネが中心です(お笑いのテーマ自体も政治をネタにしたものが多い)。日本だと本人や状況をそっくりそのままを再現するモノマネがありますよね。フランスでは、ただ似ているだけなら本人が出演すれば良いと考えるので、何かしら別の要素を加えないとウケません」

「笑い」は人間に共通する感情であり、根本的でシンプルな行為の1つであるものの、そこに至る経緯は文化によってさまざまなのだ。
(加藤亨延)