ところで、原作の五郎はいつも所在がない。それはめしを食べるときも同じだ。
何をどこで食べようかと迷ったあげくに飛び込んだ店は、労務者の多い定食屋、オバサンだらけの回転寿司屋、誰もいない焼肉屋……。そして所在なさげに食べるめしが、いつも当たりとは限らない。なんとなく違和感を抱えながら店を出ることも少なくないのだ。
ドラマ『孤独のグルメ』は、五郎の抱える所在なさを、食べることではなく、それ以前のドラマパートに腑分けして処理しているように見える。今回で言えば、依頼主が健康麻雀をやっているのを五郎がただ見ているだけのシーンだ。五郎は見事に所在がない。
しかし、食事のパートに入ったら、スカッとうまいものをもりもり食べる。何を食べるか注文で迷うこともあるが、おおむね正解を選ぶ。もう一つ食べたくなれば、頼んでしまう。
ドラマの五郎は漫画の五郎に比べて、満足度がとても高いのである。
これは視聴者の「食べたい!」という生理的欲求を気持ちよく刺激するための策だろう。ドラマの五郎は原作のように「俺…いったいなにやってんだろ」とわびしさを噛みしめながらコンビニめしを食べることはない。そんなことをしていては視聴者だってわびしくなってしまう。幸せな空腹感を抱えたまま、寝床に入ることができない。
ドラマの中の五郎の満足感と多幸感は、番組の最後のミニコーナー「ふらっとQUSUMI」で、ドラマに登場した店で「これですよ、これ!」「この良さがわからない人とは友達になれない!」と言いながら酒と食事を楽しむ原作者・久住昌之のエビス顔と重なるものがある。久住については、以前「食べログを否定する久住昌之の最新作『野武士のグルメ』」という記事を書いたので、よろしければそちらもぜひ。
ドラマ『孤独のグルメ』は正しく視聴者の腹を減らせるため、とても効果的に作られたドラマである。今日の放送は「中央区銀座の韓国風天ぷらと参鶏湯ラーメン」だ。なんだかわからないが、きっとうまいに違いない。そしてわれわれの腹は、またグーグーと鳴る。
(大山くまお)