今夜、日本武道館で「AKB48グループじゃんけん大会2014~拳で勝ち取れ!1/300ソロデビュー争奪戦~」が開催される。AKB48とその姉妹グループのSKE48・NMB48・HKT48のメンバーが文字どおりじゃんけんで争うこの大会は、今年で5回目を数える。
優勝者にはソロデビューの権利が与えられることになった今回、武道館での本選出場者はじつに112名にのぼる。勝負のゆくえばかりではなく、恒例となっているメンバーそれぞれの個性あふれるコスプレも見どころの一つだ。

このじゃんけん大会、一昨年と昨年はテレビの地上波でも生中継されたが、今年はそれがない。ただしスカパー!での完全生中継に加え、3年ぶりに全国の映画館でライブビューイングが予定されている。思えば、2011年開催の第2回のじゃんけん大会を私(愛知県在住)は、台風接近で鉄道の運休や遅延があいつぐなか、名古屋の映画館までどうにかたどり着いて観戦したのだった(そのときのレポートはこちら)。あのときは、SKE48のメンバーが登場するとひときわ歓声があがったり、地元ならではの盛り上がりを見せてとても楽しかった。
個人的にはAKBにハマり出してまだ日が浅かったこともあって、いまだに鮮烈に印象に残っている。

でも、あのころの新鮮さというか、純粋な楽しさというのを、AKB48グループのイベントから受けることが少なくなってきた。その原因の大半は私のなかにあるのだろうが、HKT48をのぞけば48グループの勢いが以前よりちょっと落ち着いてしまった感もなくはない。この夏は、TOKYO IDOL FESTIVALに始まり、乃木坂46、Perfumeの単独コンサートと、ほかのアイドルのライブを観る機会も多かっただけに、よけいにそれを感じた。

そんなふうにファンとしてやや“倦怠期”にあった私に、ここへ来て「48グループって、やっぱすごいじゃん!」と思わせてくれたのが、9月11日から昨日16日まで東京・渋谷のアイアシアターで上演されたミュージカル「AKB49~恋愛禁止条例~」だ。

「週刊少年マガジン」で連載中の原作マンガ(宮島礼吏・元麻布ファクトリー著)については、もうかなり前、単行本の第1巻が出たときにエキレビでも紹介した
男子高校生・浦山実が、ひょんなことからAKB48のオーディションを女装して受験したところ、思いがけず合格してしまい、研究生「浦川みのり」として活動を始めるというお話で、実在するメンバーや総合プロデューサーの秋元康なども登場する。正直にいえば、この公演が最初に告知されたとき、48グループの現役メンバーでこれを舞台化するなんて、ちょっと安易じゃないかと思ったりもした。しかも主人公の浦山実を、現在はSKE48と上海のSNH48を兼任する宮澤佐江が演じるという。それって、単にボーイッシュキャラだからってだけの配役では? と思ったのも事実だ。

それでも一応チェックしておこうと、9月14日に全国の映画館で実施されたライブビューイングで観ることにした。ちなみに私の観た場所が大阪のTOHOシネマズ梅田だったのは、その日、大阪文学フリマに参加していたからである。
傍から見れば、せっかく大阪に来たのに、おいしいものを食べるでもなく、文フリ会場から映画館に直行とは、結局おまえは相変わらずAKBが好きなんじゃねえかとツッコまれても文句は言えまい。

それはともかく、スクリーンを通してながら公演を見て、私の心配はまったく的外れだったと反省した。宮澤佐江にとって、このミュージカルは48グループでの代表作となったことは間違いない。そう思わせるほどに、「浦山実/浦川みのり」はハマり役だった。

舞台は、高校野球の地方予選で、浦山実がピッチャーとして力尽きる場面から始まった。決勝戦で失投から相手チームに敗れ、甲子園の夢を打ち砕かれたばかりか、肘を壊して野球への夢そのものが断たれてしまう。
すっかり生き甲斐を失い抜け殻のようになっていた実だが、ひそかに想いを寄せるクラスメイトの吉永寛子(小嶋真子。大和田南那とのダブルキャスト)がAKB48に入りたいと語るのを聞き、その夢を応援しようと、自分もオーディション会場に潜入したのだった。

原作の設定は、先述のとおりかなり突飛なものだ。それが違和感なく読めるのはマンガだからというのもある。だが、そのまま舞台化するには不自然なところも色々と出てくるはずだ。それは主人公の演じる人間の性別からしてそうだ。
これを原作どおり男が女装するということになっていたら、よっぽどうまく扮装しても違和感は残ったと思う。そもそも現役の48グループのメンバーが演じることがこの舞台のキモなのに、主人公だけが外部からの起用となっていればファンも納得がいかなかっただろう。

私が、浦山実が宮澤佐江のハマり役だと思った理由のひとつも、まずそれだった。先に書いたとおり宮澤は48グループ内でボーイッシュキャラのイメージが定着している。やはりこのキャラを活かさない手はない。

それにしても、女性である宮澤佐江が少年を演じ、劇中ではその少年が少女に扮するという設定は、ジェンダー的にかなりねじれている。
こうした設定が物語の大前提となっているというのは、出演者の性別が単一である宝塚歌劇にも歌舞伎にもあまり例がないのではないか。

宝塚歌劇の拠点・兵庫県宝塚市で、歌劇を観ながら育ったマンガ家の手塚治虫は、『リボンの騎士』をはじめその作品にも宝塚からの影響が色濃くうかがえる。だが、手塚本人は、宝塚からドラマの背景や設定に影響を受けこそすれ、セクシュアルなものを感じたことはなかったと語っている。そんな彼が唯一、宝塚にエロティシズムを感じたのは、終戦直後の一時期だけ募集された男優たちが、タカラジェンヌとともに共演したとき(あくまでテストケースとしてのようだが)だった。手塚いわく、タカラジェンヌが男とステージに立つのを見て、「あああれは女だなと初めて思った」「つまり、女だけ見ていても性の対象にならない。男が出てきて女が色っぽいと、初めてセクシーだなという感じがした」のだという(石上三登志との対談「ヒゲオヤジ氏の生と性」、『手塚治虫の時代』所収)。

逆にいえば、男女が共演することで、妙に生々しくなってしまうこともあるということだろう。原作マンガで浦山実は吉永寛子に、その気になれば手を出せそうなものだが、更衣室を覗こうとたくらむことすらしない。あくまで彼の寛子への想いはプラトニックだ。それも生身の男が演じるとやはり嘘っぽくなってしまうに違いない。宮澤佐江の起用はその意味でも正解だった。

さて、劇中、実や寛子たち新人研究生たちは初舞台を踏むにあたり、プロデューサーの秋元(声のみの登場)から「研究生公演の入場料を1万円にして、2カ月以内に定員250名の劇場を満員にすること。できなければ終演後、研究生全員は即刻解雇」との試練を与えられる。

観客は日を追うごとに増えていくが、常識はずれの課題だけに、満員になるまでにはほど遠い。それでも寛子は、ほかの研究生には内緒で、各地でビラを配り続ける。ほかのメンバーたちもそれに気づき、手伝うようになる。こうした地道な努力が実を結び、期限となるその日、劇場は満員に達しようとしていた。だが、肝心の寛子は疲労がたたって倒れ、意識不明になってしまう。寛子のことが心配でたまらない実は、開演直前になって劇場を飛び出し、寛子の搬送された病院へと向かった。ほかのメンバーは、劇場支配人の戸賀崎(日野陽仁。日野はこのほかにも実たちの学校の教師を演じるなど、八面六臂の活躍だった)に頼みこんで、開演を遅らせるのだが……。

実が戻るのを待つあいだ、メンバーたちが「君はペガサス」を歌うのにグッときた。これはAKB48初期の劇場公演で、宮澤がいまはグループを卒業した秋元才加・佐藤夏希・野呂佳代とともに、宝塚風(というか「ベルサイユのばら」風)の衣装をまとって披露していた曲だ。この歌を本当にうたうべき彼女を待つ場面で、この選曲は絶妙だった。このほか、「鏡の中のジャンヌ・ダルク」「大声ダイヤモンド」「AKB参上!」など、劇中ではたくさんのAKB48の名曲が使われていたが、いずれもうまく物語に織りこまれており、ファンとしていちいちうならされた。

メンバーや観客を待たせるこの場面で、私がいまひとつ思い出したのは、AKB48から上海のSNH48に移籍した宮澤の実体験だ。あのとき、中国で芸能活動するためのビザがなかなか下りず、宮澤は劇場になかなか出演できなかった。ようやくそれを果たしたときには、移籍発表からじつに1年以上が経っていた。そう考えると、このミュージカルは宮澤佐江のドキュメンタリーでもあったのだ。浦山実の役が宮澤にとってハマり役だったという最大の理由はここに尽きる。

宮澤ばかりでなく、このミュージカルに出演したメンバー全員は当然ながら研究生の経験を持つだけに(なかには現役の研究生もいる)、その意味でもこの舞台はドキュメンタリーだったといえる。

ハマり役といえば、実たちの1期先輩にあたる研究生の岡部愛を演じた須田亜加里(SKE48)もそうだった。もっとも、人あたりのきつい岡部と、現実の須田は正反対ではある。だが岡部のプロ意識の高さは、握手会で会ったファンについて事細かにノートに記録するなど、ファン対応にかけては48グループ随一の須田とまさに一致する。

このほかにも見どころは多く、寛子役の小嶋真子(AKB48)は、「こじまこかわいい」とアホな感想しか出てこないくらい、本当にキラキラしていてかわいかったし、狂言回し的にさまざまな役で登場した、松村香織(SKE48終身名誉研究生)と谷真理佳(SKE48)の掛け合いは息がぴったりだった。まったく、こんなミュージカルが見られるなんて、本当にAKB48グループがあってよかったよ! としみじみ思いながら、終演後、私は最終の新幹線で大阪をあとにしたのだった。
(近藤正高)