タイトルどおり、主人公の原平助(錦戸亮)が、過去に犯してしまった放火という過ちについて、どう落とし前をつけるかが最大の問題です。
毎回、告白しかけては、他の誰かの問題にかき消されてきましたが、前回9話(12月7日放送)で、蜂矢りさ(満島ひかり)にだけは、ついに告白。
しかも告白に告白を重ね、りさのことが好きだとついに言っちゃいました。
ところが、りさは、もともと平助のことを好きでしたが、放火という事の重大さに、激怒。なにもかも終わったか〜と思わせて、最終的には、平助の罪をゆるし、好意も受け入れて、ハッピーエンドな感じに。
これ、りさがキリスト教という設定が最大限に生かされていますよね。罪を赦すことを教えとして生きてきたりさだからこそ、平助の放火によってもたらされた多くの被害を怒りつつ、矛を収めるわけですから。
平助は仏教徒ですが、キリスト教のりさに助けられたことで、ドラマのテーマである「親子の差、男女の差、宗教観の差、いろいろ違うところがあって、だからこそ最初はぶつかり合うけれど、それぞれが自分の正しいと信じることを一生懸命やっていくうちに、お互いを認め合えるようになっていく……そんなドラマにしたいと思います」(番組公式サイト 磯山プロデューサーのコメントより)を象徴するシーンになっていますね。
住職である平助の父・平太(風間杜夫)は、4話で、キリスト教は赦しをこうものに対して仏教は怒りの感情を認めないことから、「赦す、赦さないって考え自体が未熟なんだよ」と仏教最強説を唱えていましたが、平助は、キリスト教と仏教の対立をも乗り越えて、りさの手を握るのです。
りさについてもう少し考えてみますと、彼女が元々信心深くて、ハートのつり革の恋愛伝説も信じてしまっているので、平助を運命の人と思い込んだら一直線なんでしょう。
そんなところがちょっとエキセントリックなりさではありますが、性格と行動は一切ブレてません。告白シーンの前にも、激しく怒りながら、大声で話すだけ話すとスッキリしていましたし、同じように、怒りをまくしたてた後は、すんなり平助を受け入れました。見ていて、そういう性格なんだなと納得がいきます。
さて、性格と行動が一貫していることは、物語を描くときに重要なことで、それを「貫通行動」といいます。この人は、なぜ、こういう行動をとるのか、それを考えて作者は脚本を描き、俳優もそれを考えて演じることでひっかかりなく見ることができるわけです。
あったり前のことと言えばあったり前なんですが、そういう理屈抜きのシュールな存在かと思っていた菩薩のお母さん・みゆき(森下愛子)にも貫通行動があったことに驚いたものですから、つい、書いてしまいました。
すでに「うしろメタファー」(息子・平助や一平〈えなりかずき〉のうしろめたさの表れ)と説明されてはいましたが、9話では、お母さん自身の意思が感じられました。
生前のお母さんは、面白いことが大好きで、いつも笑いを振りまいていたことが語られます。
最期に「ああ、面白かった」と言って亡くなるエピソードは、「ONEPIECE」におけるチョッパーの師匠ヒルククの「まったく!!!!いい人生だった!!!!」や「北斗の拳」のラオウの「我が生涯に一片の悔い無し」に勝るとも劣らない、辞世の台詞ランキング急上昇だと思います。
人生を面白さ基準で考えるお母さんだからこそ、亡くなっても、面白くありたかったんだと想像できます。すると、ますます泣けてくるじゃないですか。いいお母さんや。
先妻の圧倒的な存在感を見せつけられて、平太の再婚相手(麻生祐未)は去っていきます。
ブレない女たちの力で、原一家、父も息子も落ち着きました。
ブレてないのは、女たちだけではなく、平助も優柔不断でくよくよしているところはブレていません。
罪の告白ができないのも、その性格が災いしていて、いつも、他の誰かの語りたい思いを優先し、自分の気持ちを押し殺してしまうからですよね。
一貫してるわ〜と思ったことはまだあります。
そうです、アレです。
次回予告の菩薩のナレーションです。
「青春、それは神様からレンタルしている貴重な時間。コメディでもシリアスでもホラーでも(のとこでシスター吉井〈斎藤由貴〉の絶叫カットが入る)、いずれ返却しなくてはいけません」というまたまた名台詞が出てきましたが、これは8話のDVDにかかっていますよね。
書いたものを決して使い捨てないのは、それだけ書いたことに責任や愛情があるのでしょう。宮藤官九郎の脚本に伏線回収がたくさん出てくるのも、ブレてないからだ思います。
それを貫通行動などと、理屈っぽい言葉で説明してしまいましたが、つまるところ、「何か大切なもの」をちゃんともち続けているってことかなと思います。
宮藤さんも、登場人物も。
例えば、平助が、ラジオのパーソナリティー・かばさんだった校長に握手してもらって「何も感じない」(いつも会ってるから)という脱力エピソードがあって、その後、りさと握手するシーンも出てきます。その感情を描いていないですが、おそらく平助は、校長には感じないものを感じたのではないかと想像できます。何も感じない状況を事前にさりげなく描くことで、後で、お別れをすることを考えた時一番悲しかったのが、りさだったと語る場面も、彼女には何か特別なものを感じたのだという差異が明確になるように思います。
平助と生徒たちの夢だった文化祭を描く最終回は、最後、「ああ、面白かった!」とつぶやけるものになるに違いありません。
まだ、平助がりさ以外の人にどう告白するか、みんながどう反応するか、最大の問題も残っていますが。
さあ、今夜9時!
(木俣冬)