親目線で見ると泣ける「BORUTO 」  細田守 「バケモノの子」を超えたか
(C)岸本斉史 スコット/集英社・テレビ東京・ぴえろ
(C)劇場版BORUTO製作委員会 2015

公開初日から3日間で観客動員数51,6万人、興行収入6.8億円を記録したという映画『BORUTO -NARUTO THE MOVIE-』。「バケモノの子」と同じく父子関係がテーマになっています。
ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんが評価を語り合いました。

『BORUTO』と『バケモノの子』をめぐって評価まっぷたつ!


親目線で見ると泣ける「BORUTO 」  細田守 「バケモノの子」を超えたか
(C)岸本斉史 スコット/集英社・テレビ東京・ぴえろ
(C)劇場版BORUTO製作委員会 2015

藤田 漫画版の『NARUTO』が完結し、それを引き継ぐような形で、次世代を描く『BORUTO』が「新時代開幕プロジェクト」として始まりました。

飯田 今回の映画は、お話的には、7代目火影(忍の里のボス的存在)になった前作の主人公ナルトの息子であるボルトが、忍者として中忍試験の合格をめざして、ナルトのライバル・サスケの娘であるサラダたちとチームを組んで奮闘するいっぽう、サスケがあれこれ調べている不穏なきざしが忍の里に迫ってくる、と。
『BORUTO』はオリエンタルな世界を舞台にした「父子テーマ」作品の夏休みアニメ映画という意味で『バケモノの子』と似ている。主人公の子どもに実父と師匠の二人の父親的存在がいるのが同じ。今作では実父がナルトで、師匠(『バケモノ』の熊徹ポジション)がサスケ。
 闘技場でバトルしてる最中に事件が起こってクライマックスに、っていう展開までいっしょ。
で、僕は『BORUTO』の方がいいと思った。

藤田 ぼくは、『バケモノの子』の方が上だと思う。
 端的に全体の不満を言えば、絵に魅力がない。構図や動きの快楽では、『バケモノの子』の圧勝。最後の方のバトルは面白かったけど、それ以外は、絵の魅力が低くてつらかった。

飯田 お! 今回は評価が真逆かー。
じゃあ、対比していきましょうか。
親子&教育テーマという観点でいくと、『バケモノ』は「道を踏み誤っちゃう一郎彦と、踏みとどまる九太の差は結局なんなの? あの展開だと教育の力ってなかったことになるじゃん」という不満がある。『BORUTO』は、ズルをするだめな子どもとしてボルトを描いていて、そこからサスケやナルトと触れあうことで更正するという、きれいな流れになっている。

藤田 ぼくはそこが不満すぎますね。若いゲーム世代に、努力の価値に目覚めさせたり、親の偉大さを感じさせることがストレートすぎる。

飯田 ボルトが冒頭でマジコンを使ってRPGのキャラをいきなりレベル100にするというのが現代っぽいところ。


藤田 前作よりも現代風の世界観に変わっていて、ファミレスらしきところで主人公のボルトがゲームをしていて、チートを使う。それと、「科学忍具」という、努力なしに忍術を使える設定とが、平行するんですね。忍者としての心構えを作る修業時代だけならともかく、科学忍具は里を守るためには有効に使えるはずなので世界観と整合性がない。ナルトもコンピュータみたいなの使ってるのに。

飯田 中忍試験「では」ダメって話でしょ?

藤田 科学忍具は、ボス戦でも悪者にされてましたからね。映画全体としては否定的に描かれていた。
「次世代」を描くなら、「次世代」は、科学忍具やゲーム的感覚と、古い忍者の体質を両方持っている、だからこそ、ラスボスに勝てる、みたいなのが、ベタだけど妥当な流れなのでは。

飯田 いや、チートはダメだけどチームワークはOK、というのは次世代か旧世代かじゃなくて、価値観の問題だと思う。

子ども目線で見るか? 親目線で見るか?


親目線で見ると泣ける「BORUTO 」  細田守 「バケモノの子」を超えたか
(C)岸本斉史 スコット/集英社・テレビ東京・ぴえろ
(C)劇場版BORUTO製作委員会 2015

藤田 ぼくが若い立場でこれを見ていたら、「うぜー」と思ったはず。「ゲームとか科学とかやめて根性でやれ」みたいな話じゃないですか。親父のナルシズムばかりで、「親が子から学ぶ」契機がなさすぎる。

飯田 親の偉大さは、ボルトが親父の必殺技でもある螺旋丸の大きさを見て「ここまですげえの作れるようになるまでどんだけ修行したんだ」と自然に感じるふうにもっていってるし、ナルト側も「忙しさにかまけて、ほっらたかしすぎてごめん」って反省してるじゃない?
 ナルトは実父に育てられた経験がないから、親父という存在のモデルが自分のなかにない。里の先輩、師匠的存在であるイルカやカカシ、地雷也のような大人を父親がわりにしてきたけど、やっぱり「どうしたらいいか自分でもわからない」という感じが、今の親っぽい。
ちなみに僕が観たときは、近くの席に中学生の女の子と母親がいっしょに観に来ていて、母親のほうが泣いていた。親目線で見た方が泣ける映画なんだと思う。
 あとは、説明台詞なしでちゃんと伝えるべきことを自然に伝えてたし。

藤田 そうですかね? 説明台詞、めっちゃあったと思うんですが。「火影を目指す」とか、父が家に不在でさみしいとか、動機や感情の説明がくどいぐらいされていたと思う。ボルトが「父が忙しくてつらい思いをするから、自分は火影にはならない」とか。


飯田 「火影を目指す」のどこが説明ぜりふなの……? あれは原作でもずっといろんなやつが言ってるじゃん。
 説明ゼリフに関して言えば、たとえば、ボルトがチート忍具を使って中忍試験の二次試験を受かったあとに、自分でもうしろめたくて自分の部屋の中で科学忍具つけた右手を触りながら見つめるカット。ここ、せりふがほとんどない。『バケモノの子』なら「これ、使ってよかったのか」とか、そのあとナルトにほめられてうれしくてベッドでころがるところで「やっぱ間違ってなかったってばさ」とか、絶対言わなくてもわかることを口にさせてた。
 あとはクライマックス前にボルトがむかしナルトが着てたオレンジ色のジャージを身にまとったときにちっちゃいときのナルトの姿がダブる。そこで母親とサクラの顔を映す。でもとくにそれを説明しない。ボルトがジャージ着る、ナルトとダブる、それを見てる母親やサクラの表情…このモンタージュだけですべてがわかる。継承テーマとか親世代の想いとかボルトの変化とかぜんぶわかる。ここも『バケモノの子』だったら二言くらいぜったい口に出させてた。それに比べたら、入れなくていいせりふがない。

藤田 「ナルトにほめられてうれしくてベッドでころがる」とかが、台詞ではないけれど、描写としてぼくは説明しすぎかと思いましたね。

原作の読み込み度合いで目線が変わる!?


親目線で見ると泣ける「BORUTO 」  細田守 「バケモノの子」を超えたか
(C)岸本斉史 スコット/集英社・テレビ東京・ぴえろ
(C)劇場版BORUTO製作委員会 2015

飯田 藤田くんは『NARUTO』はどれくらい読んでたんですか?

藤田 連載開始から結構な巻までは読んでいたと思いますよ。最後のほうは全然読んでないですが。

飯田 それもあるかも。終盤を読んでいたら、ナルトやサスケ側に心を置いて観ると思う。たいへんな思いをして里を守ったのに、そんな気も知らないんだよな、子どもって。って思うんだよ!
 サスケがボルトにやさしいのは、そうは言わないけどカカシがそうしてくれたからだろうしね。師匠や親からしてもらったことを弟子や子にしてやるのは当然だ、という芸ごとの世界に似た、いい風習がある。あれだけでけっこう泣ける。
そもそも『NARUTO』は1巻目から主人公のナルトが「火影を目指す」って言っていた。火影は代々受け継がれているわけで、最初から継承テーマが織り込まれている作品ですよね。ボルトやサラダの姿を見ていると、『笑点』メンバーに立川志の輔が入るかもという報道に対する感慨に近いものがあるわけですよ。志の輔の師匠である立川談志がかつて司会をし、回答者に先代・円楽がいた『笑点』に来て、今の円楽と並ぶのか! と。

藤田 『笑点』で言われても、あまり思い入れがないので、比喩としてわかりにくくなっているw
 戦争を知らない世代の子供たちへの思い、みたいなものと重ねている部分はありましたね。序盤でナルトがインタビューを受けるときに、そういう描写がありましたし。
 そこで、子供に「里を守ること」の大変さや偉大さを「わからせたい」と思って、素直に通じちゃうのが、なんか違う感じがしたんですよね。もっと「わからない」ものじゃないか、伝わらないものじゃないか、という、ぼくの実感があります。
 今回は、現代に寄せた「次世代」を描くはずなのに、ボルトも素直すぎるというか単純すぎるし。あの年頃って、真夜中に金属バット振り回しながら奇声をあげて外を歩くのが普通じゃないですかw

飯田 素直で単純なのはジャンプマンガというか少年マンガの主人公はだいたいそうだよ!

藤田 いや、もっと反抗しないと! 同じジャンプマンガでも『ダイの大冒険』は、もっと親子関係屈折してましたよ! 『美味しんぼ』は……ジャンプマンガじゃねぇや。
 ともかく、素直すぎる。あれが、現代の子供のリアルなら、ぼくはもうしょうがないと受け入れますが。親の願望充足に見えるのが、ちょっとなぁ、と。

飯田 ジャンプの夏休み映画にひねりを求めるのもそもそもおかしい気がするし。細田守の『オマツリ男爵』みたいなのばっかつくられたら、原作ファンはぽかーんとしますよ……。

藤田 『オマツリ男爵』は傑作なのに、興行的には失敗したみたいですからね……。しかし、原作を読んでいない人も、見に来るはずだから、ぼくの意見はそういう人のサンプルとして扱ってほしい。

飯田 いや、ファンのことをちゃんと考えて作るのは原作付きのアニメーション映画としてはとても重要。もちろん、外れる作品があってもいいけど。

藤田 最近の子供向けアニメや特撮は、子供と、連れてきた大人の両方を対象にするというのが、基本ですよね? ナルト、サスケの親世代に感情移入して観る親世代と、ボルトに感情移入する子供たちとに分けて考えてもいい。両立させる作品が、いい作品ですよね。原恵一監督の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!大人帝国の逆襲』とかが成功作。ぼくは、親でも子供でもないので、誰かに感情移入して見るというよりは、その映画全体が成功しているのかどうかを見ています。

飯田 視聴者の年齢の問題じゃなくて、原作にそれなりに付き合ってきた人間は自然とナルト世代目線になると思う。というかサスケがかっこよくない? ステキ! 抱いて! って思わなかった?

藤田 この映画は、原作を全部読んでいる人だけを狙っている? 

飯田 いや、そこまでは言ってない。最初のほうを読んでて、あとはなんとなくくらいでもだいたいわかるし。「大蛇丸って誰?」レベルだとさすがに意味わかんないと思うけど。でもあるていど原作のファンじゃないと、観に行かないでしょう……。『ラブライブ!』をTVアニメ版がたいして好きでもない人が劇場版観に行かないのと同じで。

忍の里はマイルドヤンキー的世界観。その好みによって評価は割れる!?


親目線で見ると泣ける「BORUTO 」  細田守 「バケモノの子」を超えたか
(C)岸本斉史 スコット/集英社・テレビ東京・ぴえろ
(C)劇場版BORUTO製作委員会 2015

飯田 ただ、自分があそこにいたら、田舎のマイルドヤンキー的な世界観は耐えらんないとは思うw まだまだチャラい、気持ち的に若い親の集まりだし。こどもが生まれる前から親同士が知り合いっていうのも、田舎のコミュニティ感がある。ラスボスを見てサスケが「昔の俺を見ているようだ」っていうのは、元ヤンがやんちゃしてた時代を振り返って苦笑、みたいなものだし。

藤田 人間関係が、狭いですよねw 幼馴染が大人になってもつるんでいて、子供たちもその範囲内で影響受けたり与えたりし合っていて、割と狭い中で色々な継承や伝承が起きる。だけれど世界観的に、もっと人数がいるし、マスメディアも発達しているようなので、少人数の「里」的な親密な人間関係は、難しいと思う。その辺が渋谷を舞台にした『バケモノの子』とは違う。あれは、元々知り合いじゃない人達からの影響や伝承が多かったですからね。都市的。

飯田 むしろ逆で、情報環境が発達してるのに地元民でつるんでるっていうのが日本の地方っぽくてリアリティあると思ったw

藤田 じゃあ、映画の評価が割れるのも、マイルドヤンキーな地方のリアリティを、どう受け取るのかの問題なのかもしれませんね。

飯田 なんにしても、両方観てもらって、判断してもらえればと。対比したくなる作品なのは間違いないので!