
155話は、こんな話
2015年8月10日、希(土屋太鳳)と双子と徹(大泉洋)の誕生日であり、希と圭太(山崎賢人)の結婚式の日。ついに徹(大泉洋)が帰ってきた。
今日の、感動
「父帰る」といえば、文藝春秋創立者である菊池寛が大正時代に発表した戯曲で、
いなくなっていた無力な父を家族が各々どう迎えるかが描かれていました。「まれ」の通奏低音には、この極めてクラシックな世界観と相通ずるものが鳴っているように思えます。
ちょっと昔のものを思い出していたところ、昭和時代、「スター誕生!」(71〜83年)というオーディション番組で、合格者がいなかったときに司会の萩本欽一が「万歳!・・・なしよ」というフレーズを使っていたことも思い出しました。
「まれ」の155回を見ていて、「感動!・・・なしよ」と欽ちゃんが勢い良く挙げた両腕をかわいく横に倒すみたいな身振りが脳裏をよぎったのです。
8年ぶりに“父帰る”という待ちに待ったシーンは、既に徹(大泉洋)がコンクールをのぞきに来ていたり、ブログにコメント書いたりしているので、感動は真夏の部活のケータリングにあるポカリスウェットのように微妙に薄まっていましたし、一子(清水富美加)と洋一郎(高畑裕太)の関係も、動物の顔マスクをし、おちゃらけておいて、まさかのマジ展開に? と裏読みしたら、当然のごとく裏をかかれました。
一子は「どうしても男としては好きになれないげ」と痛烈な一撃を洋一郎にくらわせたうえ、「あんたは最高の仲間や」とさらに傷に塩を塗るようなことを言って、洋一郎にとっての「感動!・・・なしよ」展開。
脚本家さんは予定調和の感動をひたすら避け続けます。夢嫌いな主人公を描いたところからそれは徹底しているし、それどころか「どっちらけ」の状況にまでもっていこうとする。そのこだわりはすごく意義深いと思います。
こうなる理由は、希が徹にぶつけた「迷惑かけてよかってんよ。家族ちゃきっとなんもできんでもおるだけでいいげんさけ」という台詞がすべてを物語っています。
テレビの前の何も成せていない多くのひとたちにとって、究極の救いが「まれ」なのです。生きているだけでいいと、こんなにも勇気をくれるなんて、嬉しいったらありません。これまた昔、新聞に載っていた尋ね人欄の「●●(名前)、心配いらない帰ってこい」みたいなニオイが「まれ」にはします。
(木俣冬)
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いまひとつ視聴率が伸びないが、奮闘は讃えたい。NHK朝ドラ「まれ」おさらい(54話までを総括))