『報道ステーション』が始まって10年余り。今やすっかり平日22時の顔となった古舘伊知郎。
もう、ニュース以外の顔を見たことがない人もいるだろう。

しかし、昔の古舘伊知郎はもっと自由だった。局アナ時代からプロレス実況で名を馳せ、「おーっと!」「燃える闘魂」「掟破りの逆サソリ」などの名フレーズを生み出し、そのテンションのまま畑違いのF1実況を初めてやった時はフジテレビに抗議の電話が鳴り止まなかった。

古舘伊知郎はその豊富な語彙と機転の速さを活かし、90年代はバラエティ番組の司会者としても活躍していた。その足あとを振り返りたい。

クイズ番組など数々のバラエティを仕切る


知的なイメージがあるせいか、古舘伊知郎が司会を務めた番組にはクイズ番組が多い。4人のものしり博士に翻弄される『クイズ日本人の質問』(NHK 93年4月〜03年3月)をはじめ、街の人に常識クイズを出題する『クイズ赤恥青恥』(テレビ東京 95年4月〜03年3月)、逆回転したVTRを見て初めの状態を当てる『クイズ!世にも奇妙な逆回転』(89年5月〜90年3月)などがある。


『クイズ悪魔のささやき』(TBS系列 94年5月〜96年5月)では、和田アキ子とコンビを組み、様々な事情の「ビンボー」な出場者に賞金をかけたクイズを出題した。当初は番組タイトル通り、100万円のチャンスをそそのかす存在として古舘伊知郎がいたのだが、徐々にビンボー話を盛り上げる方向に番組は変化。「1,000万円の貯金があるけど使いたくないので遊ぶ金が欲しい」という出場者には会場含め猛烈に反発したが、結局100万円を持っていかれてしまったこともある。

その後、同枠では『輝く日本の星!』(96年5月〜97年3月)『しあわせ家族計画』(97年4月〜00年3月と和田アキ子とのコンビが続いた。子供相手でも容赦なく自由に素人出場者に突っ込む和田アキ子と、それをフォローする(たまにかぶせる)古舘伊知郎というコンビネーションは安定感があった。

同じTBS系列では『スポーツマンNo.1決定戦』の実況を務めた流れで『筋肉番付』『体育王国』に出演しているが、『最大公約ショー』(95年7月〜96年3月)にも触れておきたい。
こちらはヒロミとのMCで、言葉巧みにゲストに公約を取り付け、目標を達成したorできなかった場合は公約を実行するというバラエティだった。ライブで木梨憲武より歌詞間違いが多かった石橋貴明を土下座させ、英検に合格できなかったデーブ・スペクターを黒髪に染めるなどした。

他にも『そんなに私が悪いのか!?』(テレ朝)ではメディアで批判されている人物を口八丁で弁護し、音楽番組『MJ -MUSIC JOURNAL-』(フジ)では加山雄三と田中律子という今考えても不思議な並びで司会を務めた。入院した逸見政孝の代理で『クイズ世界はSHOW BY ショーバイ!!』の司会をしたこともある。

そして2004年、古舘伊知郎は『報道ステーション』が始まると同時に、『おしゃれカンケイ』など当時のレギュラー番組を全て降板する。その後司会をしたバラエティは『テスト・ザ・ネイション』くらいだろうか。


「腹黒さ」をもっと見たい!


90年5月に出版された自著『喋らなければ負けだよ』のなかで、古舘伊知郎は「『おしゃれ30・30』というトーク番組を持つようになって、改めて会話の駆け引きというか、微妙なやり取りに気をつかうようになった」と述べている。それまでは実況という一人舞台にいたわけだから、バラエティ番組で「会話」を意識するようになったということだろう。

しかし、この本はその「会話術」について書かれているのだけど、どうにも腹黒い。人を褒める時には「本人を目の前にして言うのも何ですが……」と注釈を付けると反応が良い、という話題では「ヨイショの内容は変わらないのに、こういう一言を添えるだけで素直でバカなゲストは(まぁうれしい)と感激してくれる」という調子である。いたるところに毒が混じっている。

元々、古舘伊知郎は腹黒いのだ。
ゲストのつまらないギャグに愛想笑いをしながら「殴ってもいいですか」と言う人なのだ。その腹黒さは時おり『報道ステーション』でも見られ、視聴者の反発を招くこともある。ならばもっと自由に、毒をさらけだしてほしい。自身のライフワーク『トーキング・ブルース』が2014年に11年ぶりに復活したように、またバラエティ番組で“古舘節”を堪能したいと思うのだ。
(井上マサキ)
『AERA (アエラ) 2014年 7/14号 [雑誌]』