
興行収入13億円、動員100万人を突破するなどの好評の映画『バクマン。』について、ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんが語り合います。
旧来の文法に囚われていない演出
藤田 今回は、映画版『バクマン。』を扱います。基本の確認からすると、原作のマンガは、大場つぐみ・小畑健の『デスノート』タッグがジャンプに連載していた「マンガ家になる高校生」を描いた作品で、実写映画は『モテキ』の監督の大根仁が務めました。『モテキ』は初の映画監督作品ながら評判が良く、様々な賞に輝いていました。
そして本作も、期待にたがわず、良い出来でした。
飯田 大根監督の『モテキ』と『恋の渦』は人間のクズしか出てこなくて「うまいけど一ミリも好きになれないな」と思っていたけど今回は登場人物に感情移入できた! 大根仁作品で初めて! 正確に言うと過去作は「人間のクズ」と「童貞が3週間くらいオナ禁してムクムク湧いてきた妄想上の女」(ご都合展開)のミックスでできていたけど、今回は後者が95%くらいになっていて、結果すごく少年マンガ的になっていた。
藤田 大根仁さんは、堤幸彦監督の元でドラマ作品を手掛けたり、スチャダラパーのMVなどもされていて、いい意味で日本映画の旧来の文法に囚われていない演出をできる方で、それが今回とても生きていた。サカナクションの青春的な音楽と、リアリズム志向ではないCG描写の演出が合わさって、ミュージックビデオ的なノリと、「マンガ的」な文法を合わせた表現を映画の中で成功させていて、その部分に括目しました。
おそらく、マンガのコマを動かしたりプロジェクションマッピングするあの映像の参照元は、宇川直弘がTHE ORBのために作ったPV「FROM DISTANCE」という、ドラえもんのコマなどを切り貼りしたCG作品だと思います。(宇川さんもスチャダラパーのPVやっていますし)
飯田 マンガのコマをCG等々を使って動かしまくるという、まったくマンガ的ではない演出手法で、しかし「マンガっぽいイメージ」を観客に体験させる、というのはおもしろかった。ふつうにつくったら地味になりそうなマンガ家の話を、CGを駆使してバトルものに仕立てたのは発明。
画面に出てくる主人公側のマンガとライバル側のマンガを両方とも小畑健が作画しているから「小畑健vs.小畑健」みたいに映って狂気を感じたね。
藤田 マンガを描いていたり、アイデアを思いつくとか、外面から見れば地味なことを、CGなどで視覚的に表現できたのは見事ですよね。ランキングバトルのシーンとか、とてもよかったですよ。
マンガのランキングで争うシーンなどは、ハリウッドのようなリアリズム志向のCGとは異なる、良い意味で非リアリズムなCG表現が、実写と見事に組み合わされていましたね。陳腐な言い方で言えば、拡張現実的な描写がされていましたが、その多層感や組み合わせ方のアイデアが抜きんでているなと思いました。
小畑健のマンガが、作中で贅沢に使われていて(書き下ろし?)、それだけで、人によっては眼福だったようですね。他のジャンプマンガも、大量に作中に登場していて、集英社の協力っぷりがハンパなくて、よかったです。著作権的に相当頑張っていると思う。
飯田 ただ、場面転換のときに主人公たちを走らせるのはちょっとワンパターンだなと思った。『モテキ』でもやってたし。あれも画面が部屋の中で完結しないように、という工夫なのかもしれないけど。
藤田 いいんじゃないですか。青春は走るものですよ!(笑)
ヒロインがリアルな女性じゃないという批判

藤田 ところで、今作のヒロインについて、「現実の女性っぽくない」という批判がありますが…… あれは、「マンガ=恋人」という設定なので、夢を追う原動力や目標そのもののメタファーなので、まぁいいんじゃないかなぁと思いましたね。『銀河鉄道999』のメーテルとか、『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャみたいな、「男の子ががんばる動機になる」古いタイプのヒロイン像。
飯田 あのヒロイン像はほとんど初期の『東京大学物語』だよね。あのマンガも一話目でヒロインにコクってくっついちゃう話で、ラブコメのお約束をブチ破っていたわけだけど、それを今回の映画では『ラブプラス』的にというか「つきあってからが長いよ」っていう今日的な感覚にしたのかなと。
藤田 ヒロインが声優志望で高校中退して、アイドル歌手的に売り出されてから事務所の都合で恋愛禁止だから……っていう展開が、なんか現代的だなって思いました。両想いなんだけどくっつけない、という展開を、そうやって成立させるのかと、今までのラブコメとの違いが面白かった。
飯田 佐藤健に恋愛奥手キャラを演じさせるのはムリがあったけどねw
担当編集のキャラがブレている!?
飯田 細かいところでは文句つけたい部分もあったけど「俺も仕事がんばろう」とか思えたから、これはいいエンタメ映画なんじゃないかとw
藤田 例えば、どんなところ、文句付けたいですか?
飯田 主人公たちの担当編集になる服部のキャラがブレすぎじゃない? 最初はモノ食いながら電話に出るようなダメ社会人で新人に厳しいこと言ってたのに、いつのまにかどちらかと言えば気弱っぽく見えるいいやつになり、しかし作家を守るために会社には反抗。みたいな。「作家が売れたら手のひら返しを平気でする編集者」という意味ではリアルなのかもしれないけど……。
藤田 服部は、間に立たされる役割だから、ブレてもいいのかな、とぼくは思いましたけどね。疲れているサラリーマンでありながら、でも、マンがへの夢や信念もある。そういう揺らいでいる役だから、結構ぐっとくる感じありましたけどね。
飯田 担当作家を過労死させたリリー・フランキーが編集長に出世、ってのも今ならありえないんじゃないかな?
藤田 人気が出て来て、主人公たちの高校生マンガ家コンビの一人が倒れて…… って展開になるんですが、ぼくもあそこ、ちょっと変だなと思いましたよ。どっちも進学を希望していないんだから、中退してマンガに集中すればいいのにとは思った。
そういう覚悟がねぇから、中退したヒロインに追いつけないんだよ! とは思った。
飯田 「高校生マンガ家」という肩書きを宣伝に使うために編集部が辞めさせなかったのかなw
ところで、編集長役のリリー・フランキーは『モテキ』ではナタリーを仕切ったり今回はジャンプを仕切ったり、憎たらしい体制側がよく似合うね。『バケモノの子』での細田守のキャスティングの仕方は間違ってるよ! リリーさんをいいやつに配役しちゃダメだって!w
藤田 いや、今回のリリー・フランキーさんは、まだいい人の役ですよ…… 過去に亡くなった作家のことも思っているし、主人公たちの体調も気遣っているし。
細かいところにツッコんでいくと……

藤田 そういえば、炎上で思い出しましたけど、この作品って、アンケートの話は出ますけど、インターネットの話は全然出ませんね。主題がブレるから、出さなくてもいいんだけど、炎上とか、作家が評判を気にするとか、そういう問題がオミットされているのも、少し気になりましたね。
監督は『電車男』の舞台も手掛けているので、意識的に入れなかったのだろうと推測しますが(ちょっと、映画版の『電車男』の演出を本作は思い出しました)。
飯田 あと、佐藤健はちっちゃいころから絵を描いていたからすぐに伸びるのはわかるけど、神木くんはなぜ何もしていないっぽいのに話がすぐつくれたのか…
藤田 神木くんは、文部大臣賞を作文で取っているという設定があるにはあったのですが、なんで文才があるのかの描写はないですね。小説とかもう少し読んでるシーンとかあってもいいはずなんですが、それも「マンガ」の主題からズレるからオミットされたのかなぁと。
飯田 ほかにもプロのマンガ家からしたら違和感あるところはいろいろあると思う。
藤田 しかし、それはそれでもういいんじゃないかな。マンガの映画化で、注目されている大作を、それをこういう形で成功させるのは、才能あるなと思いましたよ。企画の勝利とも言えます。
飯田 『進撃の巨人』の諌山創さんとか『弱ペダ』の渡辺航先生みたいなキャラを出して、「ジャンプ」に持ち込んでダメ出しされた作家が別の版元に持ち込むシーンを入れたらリアルだったかもしれないw
藤田 そして、彼らがアニメ化されて人気になり、「勝負に勝つ」というドラマですね。それは燃えますねw
飯田 まじめに言うと、テレビでこのあと何回も放映されそうだし、毎回視聴率取れそうだなあと。
藤田 王道で青春モノで気持ちいいんだけど、音楽はテクノで、映像はPV的で、演出は実験的だという、意外と怪作だと思います。これ、本当に、この作品の演出の分析だけで、学術論文一つぐらいになりますよ。
飯田 マンガをいかに映像化するか(ベタな意味でも、メタな意味でも)ということに対して挑戦的だし、批評的にも興味深い作品だと思います。
もはやマンガもノスタルジイの対象か!?

藤田 『スラムダンク』の話で盛り上がるという伏線も、エンディングに繋がっていて、良かったですよ。ぼくらが小学生ぐらいがちょうどジャンプの黄金期と重なっているはずなので、懐かしいし、ピンとくることばかりでしたよ。
飯田 全体にややノスタルジックな印象があるよね。演出は新しいけど、昭和くさい価値観が通底しているというか…
藤田 エンドロールで、ジャンプマンガの単行本の背表紙を模して、スタッフの名前が出るんですが、あそこのロゴも、割と「昭和」の作品のものが多かったように思います。
だからある意味で、もう一人の日本のCG使いの達人である山崎貴監督の『三丁目の夕日』に似た部分があるんですよね。「未来」に「前向き」だった過去を、ノスタルジックに、最新技術で描こうっていう側面に関しては。『バクマン。
飯田 『テニプリ』や『黒バス』的な俺様イケメンキャラとかが出てこないのも昔のジャンプくささに関係あるかな?
藤田 男くさい世界観だなぁ……とは思いましたよ。それは、「ヒロインが人間ぽくない」問題にもつながるんですが。
飯田 あれは佐藤健の妄想が生み出した「エア彼女」でしょうw
藤田 でも、ライバル同士が協力してマンガを描くという、あのむさ苦しい男くささは、嫌いじゃないです。「ホモソーシャル」と批判されそうですけどね。でも、男同士でああやって何かの目標に向けて頑張る作品を、女性も好きじゃないですか。『弱虫ペダル』のお客を観ると。
まぁ、「マンガ家になって、ああいう彼女を作りたい!」という夢、妄想、原動力のような象徴と考えるしか、ヒロインの造型は擁護できないですけど。
飯田 野郎作家が協力して描くのは、トキワ荘っぽかった。みんなで『オバQ』を描いて、そしてのちのち著作権問題で単行本復刊が難しくなるw
藤田 主人公のおじが書いていたマンガも、『ヤッターマン』的な、古臭いギャグマンガだったし、背景を書くのが得意な三枚目のキャラを配置するとか、なんか「不細工キャラがちゃんと機能していた」時期のマンガを思い出しました。(その人が、トキワ荘に言及してましたね)
ジャンプマンガだらけの中に、謎の『ドラえもん』推しがある(マグカップなどの小物で頻繁に出てくる)のも、「トキワ荘」的な展開への伏線か、と思って、自分を納得させました。
飯田 生っぽくするとイヤな話になるから「あえてリアルにしない」を選んだのかなあと。きれいごとを貫かないと成立しないし、まとまらない。なのでヒロイン造形もしかたない。
藤田 真にリアルだと、暗い側面も描く、社会派ドキュメンタリーになりそうで、それはそれで、観たい気もするけど、気が滅入るから観たくないきもする。
