ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。第154回直木賞を受賞した『つまをめとらば』について語り合います。


『つまをめとらば』はほっこりするか、ゲスな話か!?


出世レースに敗北した中高年サラリーマン家庭の縮図か「つまをめとらば」

藤田 青山文平さんの直木賞受賞作、『つまをめとらば』。夫婦をテーマにした短編連作ですね。時代小説なのだけれど、ぼくは時代小説について知識はないんで、的外れなことしか言えないですが……

飯田 僕もチャンバラと伝奇以外の時代小説はほとんど読んでません。すみません。

藤田 夫婦の、割とほっこりするような関係が様々に描かれているのだけれど、インタビューなどを拝読すると、結構硬派なテーマがあるようなんですよ。

飯田 ほっこりしますかね??
 芥川賞受賞作である本谷有希子『異類婚姻譚』と主人公の性別は逆だけど、夫婦が伴侶に対して引っかかるものを抱えながら暮らしている感じは通ずるものがあるなと。そういう苦味が、この種の文学賞には合っているということなのかしら。

『つまをめとらば』は熟年離婚が増えているいま、あるいは異性との恋愛および生活はめんどくさいけど同性との付き合いってラクだよねというこれまた今っぽい作品なのかなあと。
 
藤田 『異類婚姻譚』よりは、まだ、「女」「妻」に、救いを求めることが可能な感じの世界観がある作品ではないですか? 『異類婚姻譚』は、もう離婚するしかないだろうっていう感じですが。

飯田 でもさ、たとえば「ひともうらやむ」では、庄平と克巳という男二人が出てきて、庄平の嫁になる女・世津のことをもう克巳も「いい女だな」と思っていて、結婚したあともチラチラその女のことが頭をよぎっていて、オチもめでたしめでたしかと思ったら、嫁が「時折、世津に似てきたと思うこともある」だよ? 克巳さん、ちょっとクズくないですか?
 これを「ほっこり」と形容していいものかと思うけどなあ……。

藤田 あれは「いい女」というか、恐ろしい女性だと思うんですが……
 世津は、結婚したにもかかわらず、西洋の知識もあるし、自由な気風を持っているので、離縁してくれというわけですよね。きままな小悪魔タイプ(?)というか。それで、夫が、思い余って殺してしまい、自害するわけですよね。
男を破滅に導く女でもあるわけですよ。
「世津に似てきた」っていうのは、その危険な側面が(ないと思っていて、そこが良さだと思っていたのに)自分の妻にも生じてきた、ということであって、これは割と怖い話ですよw
 女性そのものの持つ、男には計り知れない何かの深淵、みたいなものでしょう…… そういうステレオタイプが良いのか悪いのかは別として、本作が描こうとしているのは、そういうものですよね。その様々なパターンが描かれている、と言っても過言ではない。

飯田 「恐ろしい女性」なんだったらやっぱり「ほっこり」じゃないじゃん!
こわいけど、男どもは肉体としては好きなわけでしょう。「あくまで憧れの女人だ。生身の恋の相手として、考えることなどできない」とか書いてある。

 ほかの短編でも、女性観をこじらせた、若干女々しい男が出てくる。性欲はあるけど実際付き合うと女ってめんどくせえという態度を全然隠していなくて、そこがおもしろいのかな。

藤田 「食べ物で釣った」とか平然という女性が出てくるのとかは、面白いですけれどね。まぁ、しかし、現実的に、面倒くさいところがないとは、ぼくは言えないなぁ。

飯田 怖さを覚えていつつも、両義的な感じがする。惹かれている面もあからさまにあるじゃないですか。
最後に収録されている表題作だと、出てくる女の描き方は「三十を過ぎた佐世は、すっかり変わっていて、すぐには見分けがつかなかった」「顔はいまも童顔ではあったが、罪のない童女のようではなかった」「罪ではちきれそうだった躰は、肉と脂ではちきれそう」ですよ。やりたいさかりの童貞みたいな目線を向けているのに(最近Twitterで流行りの言葉でいう「まなざし」ってやつですか?)、同時に「ふつうの女など、いない」、女こえええって思っているのが、こじらせてるよね。本当。

藤田 惹かれるからこそ、怖いわけですよ。ファム・ファタール(運命の女性。ノワール映画に出てきて、恋した男性は大体破滅する)と同じでw

出世レースに負けた夫がいる中高年サラリーマン家庭の縮図!?


藤田 それで、硬めのテーマの方の話をしますが、18世紀後半から19世紀前半を作品の舞台にしている理由として、朝日新聞デジタルでの発言によると「どんなに生産現場で技術革新が進み、飛躍的に生産力が上がっても、そこにいない武家は、非武家の成長とその帰結である文化の成熟を、外側から見ているしかありません。即ち、幕藩体制の基本構造そのものが、武家の窮乏を促している。
幕藩体制は成立したときから、崩壊へ向かっていたわけです。」という言い方をしている。
 さすが、早稲田の政経の経済学科と言うべきかw 作中の言葉や雰囲気はここまで無骨な感じではないのですが、実はバックグラウンドに、経済体制の変化の中で力を失って食えなくなっていく武士という存在を描こうとする部分があるようで。

飯田 しかしそういう「蚊帳の外に置かれている」というか、組織の力学によって被る世知辛さを描くこと自体は、わりと時代小説ではあるのでは。『つまをめとらば』はサラリーマン向けのお仕事寓話というより、生活、男女間および男同士の関係にフォーカスしているけれども。

藤田 最後の表題作「つまをめとらば」なんて、老人の男同士で同性愛の関係になるか、妻をとって暮らすかで迷うっていう話ですからねw そっちの需要もあるのかもw

飯田 この本の男衆の基本的な態度としては、異性に対するグチを言いながら同性同士つるんでいるわけだけど、これは性別逆転させてもきっと女子会トークとして成立するんだろうね(『おそ松さん』の「じょし松」みたいにw)。そういう意味では普遍的なのかもしれない。


藤田 まぁ、他の特徴を言えば、武家としてみんなあまり出世できてないですよね。それが、先ほど言った経済・社会構造の変化に起因するわけですが。だから、奥さんをもらえるほどの金銭的余裕や地位が確保できるかどうか不安で、迷う。一人は、武家をやめちゃったりする。その辺りの迷いの感じは、共感しやすいんじゃないでしょうか。
 だいたい主人公は貧乏な武家で、出世は望めず、出世しても男同士の嫉妬やいじめがひどい世界で、趣味か女性に救いを求める、という構造。で、女性よりも趣味の方がいいんじゃね?的な側面もある。いっそ同性愛でもいいんじゃね?まで行ってしまう。

飯田 熟年離婚とはこうして起こるのか、というか、出世レースに負けて趣味と友人関係にしか生きがいをみいだせない夫がいる中高年サラリーマン家庭の縮図なんですかね。

エグイ内容をあっさりと書く筆運びと人生観


藤田 ただ、内容は結構エグいわけですよ、書き方次第では。奥さんを殺して自害して、主人公が介錯、とか。書き方次第ではエグい。表題作も、不倫をした妻を、法的には本当は殺さなければならないんだけど、かわいそうなので許したら、慰謝料みないなものを請求されて借金漬けにされる話なので、結構悲惨なんですよw それにしては、愚痴っぽくない、割とさらっとしている。その筆運びは美徳なのかな、と。

飯田 たしかに、不幸の押し売りみたいな書き方だってしようと思えばできるくらいのイベントが起こっているのに、煽らない。

藤田 御領地の飛び地のエピソードとか、ぼくは結構好きでしたよ。御料地の方は、税が安い。藩に組み込まれている方は、税が高い。だから周囲の村と比較して、その飛び地の村は、藩にキレているし、ナメきっているっていう感じ。で、藩の役人はシカトされてみんな病気になっちゃう、とか。
 あれも、もっとエグい話にできるんだけど、程よい加減で収めている。主人公たちも、その後どうなるか、もっと大長編にできるんだけど、敢えて書かない。その節度はいいなと。
 「つまをめとらば」だって、三回結婚して、一人死んで、二回離婚して……って話だし、昔自分のところにいた人は心中するしで、滅茶苦茶。で、男同士で住もうかと老人同士が悩んで、衆道はどうなのかなぁとか話してて、一体何の話なんだとw これはw

飯田 命、軽いなあとは思った。舞台になっている時代がそうだからといえばそれまでだけど。

藤田 描き方だと思いますよ。ちょっと達観しているというか。

飯田 独特の人間観は間違いなくあってそこはおもしろい。ただその変なところと、小説の技術的な巧みさが噛みあっているのかどうかがわからない。こちらの時代小説に対する教養不足な可能性も大きいですが。
 仮に、舞台を現代にしたら異様さがより際だつような人間模様を描いていると思います。時代小説だからオブラートにくるまれているような感じになっているけど。

藤田 この時代でも結構特殊な男女の関係なような気も…… 変動期だから、既存の組み合わせ以外の在り方を自分たちで模索して、踏み出している感はありますね。大体において、身分違いですし。

会社員をやめてYoutuberになるって話か!?


藤田 ところで、武家をやめて、算術をやろうっていう人物もいましたよね。ぼくは、三角形の和が一八〇度だと知って感動している男の描写が好きでしたね。あれ、なくても成立しそうなんだけど、なんか生き生きと描写されていて(だからこそ、女性よりも趣味の方を選ぶかも、ということに説得力が出るんですけど)、興味深かったですね。世界は明かされることを待っているのだ! 的な、すごいことを言い出す。
「この世には、まったく人の眼には見えていないけれど、疑いようもない真の正しさが、あるということだ」「この空の下には、算学によってのみ存在が明らかにされる真理がちりばめられている」と発見して「身ぶるい」し、武家を辞める決意を最終的に決める男とか。あるいは、川柳とか、本を書くとか、趣味とのバランスも色々なパターンで主題となっていますね。女性や家庭や家よりも、真理や趣味を追究したいという学究肌な葛藤は理解しやすいところがあるんじゃないでしょうかね。
 でも、これを現代で喩えると、会社員やめて、YouTuberになる、みたいな話になるんですかね……w

飯田 www