池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》(河出書房新社)第16回(第2期第3回)配本は、第16巻『宮沢賢治 中島敦』
入社入学1か月。キャラが定まらない新入社員・新入生に効く「わが西遊記」
池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》16『宮澤賢治 中島敦』(河出書房新社)。年譜=栗原敦+山下真史、月報=夢枕獏+古川日出男、帯写真=川島小鳥。2,900円+税。

結核で死を覚悟したあとの透明感


本集で宮沢賢治の詩業から選んだ部分の核となるのが「疾中」。戦前からその存在は知られていたが、全貌が明らかになったのは死後20年以上たった1956年の筑摩書房版全集から。


本集で底本としているのは1995年に同社から出た《新校本》全集であり、先に挙げた(1927?)(同ちくま文庫版とは、冒頭2篇とラスト2篇以外は配列が異なっていて、前半に口語詩、後半に文語詩が置かれている。
入社入学1か月。キャラが定まらない新入社員・新入生に効く「わが西遊記」

「疾中」には1933年の肺疾患療養中の境涯が反映されているという。いまでも結核では年間2,100人くらい亡くなっているというが、戦前はこの病が日本人の死因の上位にあった。

本全集収録作家では樋口一葉堀辰雄が肺疾患で命を落とし、福永武彦も若いころ胸膜炎で死を覚悟した。
夭折の文学者の代表格である正岡子規、梶井基次郎、中原中也も死因は結核性の病だ(子規は脊椎、中原は脳に菌が回った)。本巻所収の中島敦が気管支喘息で夭折したことも考えあわせると、呼吸器疾患が近代人の死生観に多大な影響を与えたことがわかる。


「疾中」のなかの「眼にて云ふ」はこのように始まる。

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな

自分の吐血をまるで他人ごとのように医師に告げ、いい風などと言っている!
あれこれを通り越して、ほとんど死を受容している凄み(じっさいには作者の死はこの5年後だが)。
〈清明〉は24節気のひとつで4月上旬、ちょうど本巻刊行の時期だ。

宮澤賢治を聖人に祀り上げる人が苦手!


僕は宮沢賢治が苦手だった。どうもあの、スピリチュアルな感じが苦手だったらしい。

大人になって、吉田司のノンフィクション『宮澤賢治殺人事件』を読んでから、宮澤賢治の「ヤバい人」っぷりに興味を持った。
 そうか、この人のそういうヤバい部分に惹きつけられたメルヘンおばさんやスピリチュアル親父が、自分の主張のために宮澤賢治を勝手に聖人に祀りあげてしまったんだな、とわかった。

入社入学1か月。キャラが定まらない新入社員・新入生に効く「わが西遊記」

さらに年をとると、もうそういうのも全部「まあいいか、にんげんだもの」と思うようになり、本集にの収録された宮澤賢治作詞作曲の歌曲「星めぐりの歌」が岩手県を舞台とする宮藤官九郎のドラマ「あまちゃん」の大友良英のサントラで使われたときに、わりと素直に感動できるようになっていた。これが老化というやつか。
入社入学1か月。キャラが定まらない新入社員・新入生に効く「わが西遊記」

そのいっぽうで、宮沢賢治作品のハイカラ志向、池澤夏樹の言葉を借りれば〈モダニズム〉的な側面には、ちょっと惹かれるところもあった(さらに宮沢賢治にはSF趣味やBL趣味もある)。
 本巻所収の童話のうち「ポラーノの広場」には、そういうハイカラ志向が出ている。
入社入学1か月。キャラが定まらない新入社員・新入生に効く「わが西遊記」

また「銀河鉄道の夜」(本集未収録)と並ぶ臨死体験童話の代表作「ひかりの素足」も、本集で大人になって読んでみるとまた印象がずいぶん違っている。
入社入学1か月。キャラが定まらない新入社員・新入生に効く「わが西遊記」

子どものころ苦手だった茄子を、大人になって食べられるようになった。
本でもそういうことがある。本は逃げない。こちらの苦手意識が減るまで待っていてくれる。

宮澤賢治と「性」


宮澤賢治は生涯童貞だったと言われている。そのあたりの真偽はもはや確かめようもない。
遺品から大量の枕絵(春画)コレクションが見つかって、世人を驚かせたという。
 それで驚いたというのは、人が故人に聖人像を勝手に貼りつけていたということだ。


時代もそういう時代だったのだろう。いまだったら、
「あーやっぱりね。彼は3次元の異性に興味がなかったのかな」
で片づけられてしまったかもしれない(もちろんそんな証拠もありません)。

未発表の原稿のなかには、童話ではなく短篇小説らしきものも含まれていた。本集はそのなかから、性的なものを書いた「泉ある家」「十六日」を収録している。
これも一般的な宮澤賢治像へのちょっとした異議申し立てだろう。
気が利いたチョイスだ。

なお本巻には、池澤夏樹の宮澤賢治論集『言葉の流星群』(僕の宮澤賢治嫌いを少し軽くしてくれた本でもある)から、表題作の一部と「ポラーノの広場に集う者」が附録として加筆収録されている。
入社入学1か月。キャラが定まらない新入社員・新入生に効く「わが西遊記」

俺たちの李徴はここにはいない


本巻月報で夢枕獏氏がこう書いている。

〈ぼくにとって、中島敦と言えば、「山月記」と「名人伝」に尽きる〉
入社入学1か月。キャラが定まらない新入社員・新入生に効く「わが西遊記」

多くの人にとってもたぶんそうだろう。それくらいこの2篇は有名だ。でも本巻にはこの2篇は収録されていない。

弓矢の道を究めて「不射の射」を体得し、名人すぎて最後には弓そのものを忘却してしまったという超名人・紀昌(本全集前回配本の〈魔の矢〉宗頼もびっくりだ)はここにはいない。


 「俺のやってたロックって、ロックじゃない世間を見下してるつもりで、ほんとは自分が世間を怖がってることを直視できないただの自己欺瞞だったんだ」
って懺悔した舌の根も乾かぬうちに
「それでは最後に1曲、聴いてください。One, two, three…」
とワンツーカウントからのAm7コードで歌いだす、とことんダサくて反省の足りない俺たちの李徴も、ここにはいない。

本巻には、中国伝奇リブートものでは「わが西遊記」「悟浄出世」「悟浄歎異」)、また中国史ものでは「弟子」「李陵・司馬遷」(一般に知られる「李陵」の題は無題の遺稿に暫定的に深田久彌がつけた仮称)が収められている。
入社入学1か月。キャラが定まらない新入社員・新入生に効く「わが西遊記」

また紀行「環礁」と随筆「章魚木の下で」は南洋(作者はパラオの南洋庁に勤務していた)と日本の落差から生まれた作品。腹を割った率直な名文は気っぷがいい。
初期習作「巡査の居る風景」は同時代の、日本領下の京城(ソウル)を舞台とする作品。中島敦は10代の4年間をソウルで過ごした。

キャラが定まらない新入社員・新入生は「わが西遊記」を読め!


「山月記」の李徴が中学生的な肥大した自意識ゆえの自己否定ポーズを描いた作品だとすれば(もちろんこれは数ある解釈のひとつにすぎないが)、「わが西遊記」第1篇「悟浄出世」での悟浄は、いわば李徴と同じクラスにいるべつの男子生徒、ものごとの理由を考えるばかりで行動を起こせない男子を描いた作品といえる。
入社入学1か月。キャラが定まらない新入社員・新入生に効く「わが西遊記」

この頭でっかちな男子中学生は約10年後、みごと第一志望の企業に就職したものの、
「昭和チックなモーレツ社員・悟空や退社後の時間を充実させてる八戒といった同期たち、また腹の据わった三蔵先輩に比べてこの俺は……」
と定まらない自分のワークライフバランスに悩んで青春を謳歌できないまま4月を終えようとしている。自意識の空転は10年やそこらでは止まらない。
と、そういうところからスタートするのが、三蔵法師らと旅に出た悟浄を描く続篇「悟浄歎異」だ。

「山月記」同様に容赦ないが、こちらは底の底では圧倒的な優しさを感じる作品であり、読んでいると登場人物たちを労わりたくなると同時に、自分のことも受け容れたくなる。

入社・入学1か月たったいまの時期にそろそろ出てくる男子の「自意識疲れ」「キャラ疲れ」に、これほど効く小説も珍しい。ゴールデンウィークは中島敦を読むのに最適な時期だなと思いました。

今回配本の収録作はこちら。両者の作品の文庫版は無数にあるので、ちくま文庫版の『宮沢賢治全集』および『中島敦全集』の巻数のみを記す。
宮沢賢治
・詩集『春と修羅』(1924。ちくま文庫版『宮沢賢治全集』第1巻所収)より「春と修羅」
・詩稿「疾中」28篇(1930)、「詩ノート」附録「〔生徒諸君に寄せる〕」(1927?)(同第2巻所収)
・歌曲「星めぐりの歌」(楽譜つき。同第3巻所収)
・文語詩未定稿(同第4巻所収)より「〔われらひとしく丘に立ち〕」「スタンレー探検隊に対する二人のコンゴー土人の演説」「農学校歌」
・童話「水仙月の四日」「狼森〔おいのもり〕と笊森、盗森〔ぬすともり〕(以上1924)「北守〔ほくしゅ〕将軍と三人兄弟の医者」(1931)「雪渡り」(1922)短篇小説「泉ある家」「十六日」(同第8巻所収)
・童話「ひかりの素足」「気のいい火山弾」(同第5巻所収)
・童話「土神ときつね」「雁〔かり〕の童子」(同第6巻所収)
・童話「ポラーノの広場」(同第7巻所収)
・散文「〔石川善助追悼文〕」(1932。同第10巻所収)

中島敦
・紀行文(短篇小説?)「環礁 ミクロネシヤ巡島記抄」連作短篇小説「わが西遊記」(「悟浄出世」「悟浄歎異 沙門悟浄の手記」)(以上1942。ちくま文庫版『中島敦全集』第2巻所収)
・短篇小説「弟子」「李陵・司馬遷」随筆「章魚木〔たこのき〕の下で」(以上歿後1943発表。同第3巻所収)
・短篇小説「巡査の居る風景」(1929。同第1巻所収)
 このふたりは国語の教科書でおなじみだけれど、そういえばこのように1対1で並べられることがあまりない。新鮮な取り合わせだ。

次回は第17回(第2期第5回)配本、第25巻『須賀敦子』で会いましょう。
入社入学1か月。キャラが定まらない新入社員・新入生に効く「わが西遊記」

(千野帽子)