一方で閣下自身がインタビュアーになることもある。
、映画『貞子vs伽椰子』のイベント(レポ)終了を待ち受けてのインタビューである。

全国ロードショー中
(C)2016「貞子vs伽椰子」製作委員会
第1回 第2回
聖飢魔IIの影響を受けた世代が作り手に
──イベントお疲れさまでした。前半のインタビューではインタビューと言いつつ、僕の思いの丈をただ喋る部分が多くて。このままだと閣下が「そうだね」って言ってるだけの記事が載ってしまうので、もうちょっと質問しなきゃいけないなと思いまして。
閣下 (笑)
──貞子の登場する最初の映画『リング』は98年に大ヒット。その時点で怖いイメージのホラー映画だったのに、聖飢魔IIにオファーは来なかった。聖飢魔IIが解散して久しい魔暦18(2016)年になったら「ここは聖飢魔IIだ」と。で、やってみたらすごく自然なというか、楽しい企画になっているし、楽曲もいいものになってる。(主題歌『呪いのシャ・ナ・ナ・ナ』)

閣下 (笑)

全国ロードショー中
(C)2016「貞子vs伽椰子」製作委員会
──でも、魔暦前1(’98)年に聖飢魔IIに頼まれたらできなかったわけじゃないと僕は思うんですよ。それが何故あのときには来ないで、今ここにきて聖飢魔IIというバンドにオファーが来るようになったというのはどうお考えですか?
閣下 まあ……(考えた上で)「時代が我々に追いついた」って言い方もできるし。
──聖飢魔IIの影響を受けた世代が作り手になってきた。
閣下 そうそうそう。そういうことが大きいんじゃないかな。
──『テラフォーマーズ』(主題歌)の作者の方も、相当な聖飢魔IIの信者(ファン的なもの)ですよね。僕も好きですが、でもたとえ若い側がそうでも、聖飢魔IIの側が、もうこんな音楽や~めた、みたいになってたら頼もうと思っても頼めないわけじゃないですか。だから期間限定であれ、数年に一度姿を表して活動してたっていうことも……。

閣下 上手いことね、そのサイクルが合ったっていうことよね。
──しかし’80年代、 ’90年代、 ’00年代、’10年代って、つまり40年じゃないですか。40年、のべじゃないや。四捨五入……。
閣下 足掛け。(笑)
──足掛け40年。
閣下 四捨五入じゃねえな。(笑)
──まあ30何年。さっき(同席の編集の)アライさんと話してたんですけど、アライさんがまさに、早稲田大学に在学してた1982~3年ころ、閣下が学内で活躍してるのをみていたって……
アライ 早慶戦(の応援ステージ)とかで。
閣下 早慶戦。ほう。
アライ:はい、(世を忍ぶ)仮の姿でした。
閣下 怪獣のモノマネやってた?
アライ はい、そうです。やはりそうですよね。(笑)
──閣下は今10万53歳で。アライさんは?
アライ 10万53……あ、10万付かない。(笑)
閣下 10万つかない。(笑)同じ学年かな、じゃあ。
アライ:たぶん同じだったと思います。
──早稲田は学生数が多いもんね。そのころから学内でもアライさんが知ってるくらい「面白い存在」で閣下は有名だった。聖飢魔IIは、もちろん本当の悪魔ではあるのだけども、キャラクター的なこととしても面白がられて、芸能界にバーンと、そのことで出ていった。’80年代前半には何か「キャラクター」がひとまず面白がられる時代のムードがまずは感じられました?
閣下 あっただろうね。あの時代は今まで、たとえば芸能で言えば、大手のいかにも芸能プロダクションがこう、絵を書いたシナリオ通りのものが世の中に出て、やらされてる人たちが表に出てというような時代……。
──テレビを観る人もそれを受け身にしていた……
閣下 が、徐々にシンガー・アンド・ソングライターというのが登場して、自分で作ったものを自分で披露するという人たちが出てくる。で、それはバーンって売れてるメジャーシーンもさることながら、ちょっとメジャーではないややマイナーなところ、アンダーグラウンドなところの人たちも積極的に活発に活動し始めて。まあいわゆるサブカルチャー。サブカルチャーというものが世の中でちょっと注目され始めた時代だったんで、そういうのと関係あるんじゃないかなとは思ってるけどね。
──そうかもしれませんが、聖飢魔IIってバンドは「サブカル」ってとこでも「オタク」ってところでも、微妙に収まりが悪い感じも僕は感じるんです。
(補足・デビュー後間もない頃のデーモン閣下は、町山智浩氏やみうらじゅん氏と宝島社の雑誌などで活躍していた。
──その「もろサブカル」っていう感じでウケているバンドとも違うし、でもウケてないのかっていうと、熱心な信者と呼ばれるファンはたくさんいる。どうにもカテゴリできないって、ずっと思ってて。自分も好きで大教典を買って愛聴してはいたんだけれども、人に言うとなにか、そんなの聞いてるの? みたいに言われることもあるし、メジャーな感じには思ってもらえない面もあったり。’90年代になるとその、サブカルチャー的なものや、パフォーマンスがある何か、キャラクターを伴って出てきた音楽ではなくなってきた感じがしましたよね。
閣下 聖飢魔IIが?
──いや、音楽シーンが。人気者やヒットソングの世界が。
閣下 シーンが。うーん。
──そのころに、一瞬やりにくさを感じたことはありました?
閣下 やりにくいということはないけれども、常に我々が思っていたことっていうのは、その、決して何かすごく不遇なことになってることはないが。だからといって完全に満足している状態でもなく、なにか新しい突破口とか新しい切り口で違う展開とか世界とか、見られると良いと思いいろいろなことはやっているけれども、うーん、それほどどれも目覚ましく、なにか新しいものが開けるというわけでないという状態が長く続いたね。

やはり、とぼけられるなあ
──なるほど。それでたとえば ’98年の時代にヒットするホラー映画のオファーがそのときにあってもいいのに、その時には採用されなかったり。でも、やってた音楽は一環していて、それがいま確かにハマった。それも、’00年代は飛び越えて’10年代でやっとという感じがあって、不思議なんです。ここにきて急に、ハロウィンとか、妙に気軽になりましたよね。
閣下 ああ、そうだね。世の中でね。
──昨年の氣志團のイベントに聖飢魔IIも出演されて、ももいろクローバーとかとね、わーって大勢でいるのを翌日の朝のテレビでみると、なんの違和感もなく並んでいて。
閣下 うん。(笑)
──かつてのキャラクターの時代とは似て非なる、2016年ってこういう時代かって思ったり。いっけん、ももクロとかにも似た「にぎやかさ」だけど、実は ’80年代からやっててそこにすんなり居るってことの驚きが。
閣下 まあ(そのイベントには)和田アキ子さんもいたからね。
──より、ゴットが(笑) なにに感動っていうか感慨を抱くかというと、他の音楽で頑張ってる人間と、閣下は全く異質の経験をしてきてただろうし、シーンを見てきたんじゃないかなということを強く思うんですよ。そう問われても、ごく淡々とお応えになるでしょうけど。
閣下 (笑)
(補足・細かくみていくと、ももクロのメジャーデビューが2010年。氣志團のCDデビューが2000年。ちょうど十年ずつ、みてきたシーンにズレがある。しかしいずれも、見た目からして強い「キャラクター」を持っている集団であり、その意味では聖飢魔IIと似ている。だからワイドショーで「一瞬」に切り抜かれると、居並ぶ三者の「意味合い」もよく似てみえるわけだが、実態はすべてバラバラの方向を向いており、それぞれに違う面白さがあるだろう。だが、強調したいのは、朝のワイドショーのような場で「にぎやかそうな人気者」として聖飢魔IIが映されることは、解散前も含め二十年間、なかったのである。彼らだけが「にぎやかに居並ぶ」ことのなかった'90年代半ばから'10年代初めまでの居心地の悪さはなんだったのか。閣下ともう少し深く話してみたかったが、こちらの追求もうまくできず、残念である)。が、
その4に続く!
(ブルボン小林)

聖飢魔II オフィシャルWEBサイト