巨人の二塁手、ルイス・クルーズがクライマックスシリーズを数日後に控えたこの時期に登録抹消。
クルーズはロッテ時代から明るい性格と同時に、プレーにムラっけのある気分屋としても知られており「何を今さら……」という感想しかないが、今回の騒動を見る限り、巨人移籍後は監督やコーチとしっかり意思疎通が計られていたのか疑問に残るところだ。
昔から、全体的に自由な雰囲気のパリーグチームから、マスコミに騒がれやすく、様々な面で規律の厳しい巨人に移籍してきた外国人選手は、度々問題を起こしてしまう。あの史上最強助っ人と言われたタフィ・ローズもそうだった。
タフィ・ローズ 近鉄から巨人へ
メジャーではなかなか結果が出ず「故郷に戻って消防士にでもなろうかな」と悩んでいた崖っぷちのローズは、1996年に近鉄入団。
日本野球への適応に苦しみながらも、4年目の99年に初の本塁打王に輝き、01年には55本塁打で近鉄バファローズ最後の優勝に貢献した。
03年にも51本塁打と当時球界最強スラッガーとして君臨していた男は、04年に巨人へ移籍するといきなり45本塁打を放ち、両リーグ本塁打王に輝く活躍。さらにFA権を取得して日本人選手扱いになり「生涯巨人」を宣言。と思ったら、翌05年4月のヤクルト戦でレフトを守っていたローズは左中間への打球をなぜかほとんど追わず、試合後に弘田澄男コーチから怠慢プレーを叱責されると激怒。マスコミに対しても「ジャイアンツ大嫌い!トーキョー帰る!」と不満をぶちまけ、球団から罰金200万円を科せられた。
結局、ローズは05年終了後に退団するわけだが、事実上、史上最強助っ人の巨人生活はこの事件によってピリオドが打たれたと言っても過言ではないだろう。
ナンパも 大阪時代のタフィ・ローズ
今思えば、近鉄時代のローズはとにかく自由だった。大型バイクにまたがり、颯爽と大阪ドーム入り。試合終了後はチームメイトの中村紀洋の愛車と並んで高速をぶっ飛ばし、夜中には阿倍野TSUTAYAの前で、近鉄電車から降りてくるおネエちゃんたちをアメリカ訛りの関西弁で陽気にナンパする日々。
そんな自由気ままな大阪生活から一転、東京での巨人時代は制約の多い日々にストレスも溜まっていたのだろう。コーチとぶつかり、右肩の故障にも悩まされ、チームも堀内政権の暗黒期で失意の帰国。
だが巨人退団後、1年のブランクを経てオリックスにテスト入団したローズは、40歳目前にして42本塁打を記録する活躍を見せた。その後、3シーズンをオリックスで過ごし、積み重ねた本塁打数は外国人歴代最高の通算464本塁打。やはり、ローズにはパリーグと大阪の水が合っていたのだろう。
タフィ・ローズの現在
球史に残るスラッガーとして語られることの多いローズだが、来日前はメジャーリーグで1番打者を任されることもあり、近鉄時代も入団後3年連続二桁盗塁を記録。97年には打率.307、22本、22盗塁とあと一歩でトリプルスリーも狙える好成績を残している。
そんなローズのターニングポイントは翌98年だ。チームは5位に沈み、打率257、22本塁打と助っ人にしては物足りない数字。普通ならここで解雇されてもおかしくないが、近鉄はまだ30歳と若かったローズの可能性に懸け残留。結果的に、この決断が翌年からの本塁打量産に繋がることになる。
その後のローズだが、昨年久々にその名前がニュースになった。46歳にして、近鉄時代のチームメイト吉岡雄二が監督を務める独立リーグ富山GRNサンダーバーズに入団。しかし、16年シーズンは一度も来日していない。
先月更新された富山GRNサンダーバーズ公式ページ内の「ローズ語り」によると、2月の自主トレ中に右脚を負傷。富山チームスタッフにローズから「まだ脚は腫れ上がったままだし、身体の調子も落ち始めている。年をとったね…」と弱気なメールが届くようになったという。
これまで何度も野球人生の崖っぷちから復活してきた史上最強助っ人タフィ・ローズ、48歳になった彼とまた日本で会える日を楽しみに待ちたい。
(死亡遊戯)
(参考資料)
富山GRNサンダーバーズ公式ページ「ローズ語り 史上最強助っ人のホンネ」