先日、野球好きが集まる忘年会の席でそんな話になった。近鉄ジム・トレーバーの顔面を捉えたカネヤンキック、いや怒れるナベツネの「クスリとマントは逆から読んじゃダメなんだ事件」も捨てがたい……なんてお約束のネタで一通り盛り上がったのち、その後の球界に大きな影響を与えた事件という意味では、「野茂英雄のメジャー挑戦」、そして純粋に野球の試合では「ジュッテンハチ決戦で決まりでしょう」ということで満場一致。
伝説に残る「10.8決戦」
そりゃあそうだろう。今から22年前の1994年10月8日。巨人・中日の両チームがともに129試合を消化して69勝60敗で並び、勝った方がリーグ制覇というペナント最終戦。長嶋監督が「国民的行事」とぶち上げ、まるで映画のような、あまりにも出来過ぎたシチュエーションは、9月29日に雨天中止となった両チームの第26回戦が10月8日の土曜日に組み込まれたことにより実現した。まさにセ界に金の雨を降らせた名古屋の空模様である。
ナゴヤ球場で行われたこの一戦は、プロ野球中継史上最高の視聴率48・8%を記録。NPBが現役の監督、コーチ、選手858人へ調査したアンケート「最高の試合」部門でぶっちぎりの第1位。
両軍の選手達は何を思い歴史的一戦に臨んだのか? これまでもテレビや雑誌で様々な報道がされてきたが、その決定版とも言うべき一冊の本が『10.8 巨人vs中日 史上最高の決戦』(鷲田康著/文藝文庫)である。
「10.8決戦」の舞台裏…長嶋監督と桑田真澄のやり取り
全300ページ超えのガチボリュームで、今明かされる決戦の舞台裏の数々。その中でも注目エピソードは長嶋監督と桑田真澄のとんでもないやり取りだろう。
「桑田か? すぐ俺の部屋に来てくれ!」
桑田真澄の部屋の電話が鳴ったのは決戦前夜、94年10月7日の午後10時過ぎのことだ。最上階のスイートルームを訪ねた桑田は長嶋とふたりきりで話す。「桑田……この間はナイスピッチングだったな」と2日前のヤクルト戦で見せた8回1安打11奪三振の快投をねぎらう言葉に、小さく頷く当時26歳の桑田。
まだ右肘手術前、数々のスキャンダルを跳ね返した鋼の精神力を持つ、全盛期バリバリのエースを中3日であろうが当然ぶっこむ長嶋流。
「ハイハイハイ。ああ、ケンちゃん!」
例のハイトーンボイスが部屋中に響きわたる。「明日はやるよ。俺たちは絶対にやるから!……ありがとう……うん、ありがとうね!」そんな目の前の会話を聞くともなく聞いていると、受話器を置いたミスターが唐突に目を見開いて桑田にこう問う。
「ケンちゃんだよ、ケンちゃん!分かるだろ?」
……ケンちゃんって誰やねん、分かる訳ないやろ。それでも天下のミスターに「洗濯屋のケンちゃんですよね」なんてボケは許されない。必死になって考えた桑田のファイナルアンサーは「志村……けんさんですか?」
すると長嶋は驚いたようにかぶりを振った。
「ケンちゃんって言ったら高倉の健ちゃんだろう!」
桑田の起用法は「痺れるところで行く」
知らんがな! 恐らくエースは心の中で絶叫したことだろう。肝心の起用法は「痺れるところで行く」一辺倒のミスター流。己の人生を左右する大一番前に「監督、痺れるとこっていうのは……」と必死に食い下がる桑田。
「うん? もう痺れるところですよ。クワタ!痺れるとこで、ね。頑張ろう!よし!」
いったい痺れるところってどこなんだろう……桑田は疑問を抱えたまま眠れぬ夜を過ごす。すれ違う高倉健と志村けんのケンちゃん論争。まったく噛み合わないカンピューター長嶋とロジカルモンスター桑田。そのふたりが24時間後にグラウンドで歓喜の抱擁を交わすことになるのだから、野球は筋書きのないドラマだ。
あれから22年、2016年12月の夜に忘年会から帰宅して『10.8 巨人vs中日 史上最高の決戦』を読み返していると、最後の打者を打ち取った桑田の歓喜のガッツポーズが脳裏に鮮明に蘇ってくる。今思えば、ジュッテンハチ決戦が行われ、野茂英雄が渡米した94年から95年はプロ野球の長い歴史において転換期だったと言えるだろう。
ちなみに歴史的一戦でベンチ入りしていた両軍選手はすでに全員現役引退しており、10.8が行われた1994年に生まれた大谷翔平はいまや日本のエースである。そして、この試合をナゴヤ球場の内野スタンドから、焼そばを頬張りながら観戦していたハタチのイチローは、43歳になった今もメジャーリーガーとしてプレーし続けている。
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(参考資料)
『10.8 巨人vs中日 史上最高の決戦』(鷲田康著/文藝文庫)