2016年12月31日、ついにSMAPが解散する。1988年に結成、91年にCDデビュー。
その後、90年代から00年代、10年代にかけて、歌だけでなく、ドラマ、バラエティなど、あらゆる分野で活躍してきた国民的アイドルグループが、その歴史に終止符を打つ。

『NHK紅白歌合戦』への出演も噂されていたが、どうやら出演はなさそうだ。12月30日付の『スポーツニッポン』は、12月26日に放送された『SMAP×SMAP』の最終回が5人揃っての最後の活動になったと断定的に報じている。

異様だったSMAPの生“謝罪”


ここであらためて、SMAP解散に至る経緯をおさらいしてみよう。
SMAP解散報道が最初に表面化したのは、2016年初頭のこと。1月13日付『日刊スポーツ』と『スポーツニッポン』が一面でSMAPの解散と木村拓哉以外のメンバーのジャニーズ事務所からの独立を報じた。

この報道は大きな波紋を呼び、1月18日の『SMAP×SMAP』が急遽生放送に切り替えられ、メンバーが解散騒動について謝罪をするという異例の事態となった。翌日の各局ワイドショーは、この映像を繰り返し使い、国民的アイドルグループの危機回避の報道を行った。

しかし、同時にネットではその欺瞞を批判する声で溢れかえった。誰の目にもこの“謝罪”は異様だったからだ。とりわけ草なぎの「ジャニーさんに謝る機会を木村くんがつくってくれて、今、僕らはここに立てています」というコメントが、この謝罪がカメラの向こうにいたファンや視聴者に向けてのものではなく、目の前にいた事務所の経営陣に対して、自分たちの造反への謝罪をさせられていたことを明白に示していた。この月、BPOへは、「パワハラだ」「無理やり謝らせた」といった内容の抗議の意見が約2800件寄せられている(朝日新聞2月13日付)。

SMAP解散は事務所の権力争いのとばっちり


SMAP解散は一旦回避されたが、事務所に残留する木村と独立を意図していたそれ以外のメンバーの対立は深まっていった。

この対立の背景にあったのが、「SMAP育ての親」である元チーフ・マネージャー飯島三智氏とジャニー喜多川氏、メリー喜多川氏の弟姉、メリー氏の娘である藤島ジュリー景子氏らの一族との権力闘争である。

対立がはっきりと表に出たのは『週刊文春』2015年1月29日号だった。メリー氏はインタビューの中で「次期社長」には娘のジュリー氏が適任であると発言し、目の前にいる飯島氏に「(娘と)対立するならSMAPを連れていっても今日から出て行ってもらう。あなたは辞めなさい」と告げている。

実際、当初は飯島氏がSMAPを引き連れて事務所を離脱する具体的な話が存在していた(前掲『週刊文春』より)。だが、事務所側が手のひらを返したことで、2016年初頭の解散騒動が巻き起こった。飯島氏は2月に事務所を離れている。SMAPの解散とは、のれん分けを巡る番頭と創業一族のトラブルのとばっちりに端を発していたのだ。

ジャニー喜多川氏とメンバーの面談


2016年は、SMAPのCDデビュー25周年の記念の年にあたるが、記念コンサートなども行われず、解散の話で行き詰まる彼らを見かねた社長のジャニー喜多川氏が危機回避に乗り出した。
ジャニー氏は5月にメンバーと個別に面談、6月にもメンバー全員を集めて説得を試みている。この時点では、具体的な解散や活動休止という結論が出ていたわけではなかったが、すでに生じていたメンバー間の溝はジャニー氏の説得でも埋まらなかった。

メンバー間の対立が表面化したのは7月のこと。音楽番組への出演をめぐる話し合いの中で、木村以外のメンバーが木村と一緒の番組出演を拒否したというのだ。ここでは、SMAPの活動休止という可能性を踏まえてのメンバーとの面談が再度行われた。


運命の8月10日…解散の決定打


決定打となったのが8月10日のこと。木村以外の4人がジャニー氏のもとを訪れ、香取と草なぎが「もう5人でやるつもりはない」と告げた(『週刊新潮』8月15日号)。これによって事務所はSMAP解散の方向性を決めたという。ジャニー氏は「解散はいやだ」と主張し続けたが、強硬に解散を訴えたのは香取と草なぎだった(『週刊文春』8月25日号)

8月13日の夜、SMAP解散の報が伝えられた。ジャニーズ事務所は「デビューより25年間アーティストとしてグループ活動をして参りましたSMAPは2016年12月31日を持ちまして解散させていただくことになりました」というリリースを発表した。

SMAP解散の直接の引き金とは?


飯島氏がSMAPを引き連れて円満に独立することができれば、解散は回避され、5人での活動は続いたことだろう。彼らの受け入れ先としてはタモリらが所属する田辺エージェンシーの名前が挙がっていた。しかし、その可能性は木村の意思決定によって失われていた。木村は早々に事務所への残留の意思を固めていたからだ。

一方、飯島氏をもっとも慕っていたのは香取である。香取にとって、飯島一人が事務所から追放されたことは大きな心理的負担となり、その原因を作った木村に対してわだかまりが生まれていた。香取と木村のすれ違いが、SMAPが解散を選択せざるを得なくなった直接の理由と言えるだろう。

解散の日付が12月31日になったのは、『SMAP×SMAP』のフジテレビとの契約の都合のようだ。
ただし、これまでファンが期待するような活動は行われていない。『SMAP×SMAP』の最終回にも生出演は行われず、メンバー全員でヒット曲「世界で一つだけの花」を熱唱する映像が流された。番組の打ち上げにもメンバーは参加しなかったという。結局、メンバーからSMAP解散について具体的なメッセージなどが発せられることはなかった。

本稿は『バンド臨終図巻 ビートルズからSMAPまで』(文春文庫)に収録された速水健朗氏の記事を下敷きにまとめさせていただいた。本にはさらに詳細な記事が掲載されているので、そちらもご覧いただきたい。
(大山くまお)
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