お笑い芸人の狩野英孝氏が17歳の女性と性的関係を持った疑惑をフライデーが報じ、狩野氏が芸能活動を謹慎するというニュースが世間を騒がせているようです。テレビ等のメディアでは狩野氏に対する批判を強めているコメンテーターや芸能人もおり、ネットニュースでも彼等の発言が取り上げられています。


ですが、一連の報道を見聞きしていると、違和感を覚える点がいくつかありました。もちろん狩野氏を擁護するつもりは一切ありませんが、彼に批判を加えている人たちも、青少年の健全な育成に関する理解に乏しいように思うのです。


淫行という言葉を使う人は処女崇拝者だ


まず、なぜ皆「淫行」という表現を用いるのでしょうか? 

相手の女性が成人であれば、「淫行」という表現は用いないはずですよね。相手の女性が未成年だからあえて「淫行」という言葉を用いていると思うのですが、そのような言葉選びは間違った価値観を流布していると思います。

淫行という言葉には「性的なこと=いかがわしいこと」というニュアンスが含まれています。つまり、その言葉を使っている人たちはどこか頭の中で「未成年(とりわけ女性)は処女を大切にしなければならない」「貞操を守らなければならない」「未成年と性行為を行うことは貞操を破らせたからいけないのだ」という処女崇拝に陥っているのではないかと思うのです。本人はそのような意識が無かったとしても、淫行という言葉を使うことで社会に処女崇拝が固定化するのを助けてしまっているのです。

確かに未成年者が自ら性行為をすることに関して自制的であるべきなのは自明の理ですが、それはあくまで経済的リスクや身体的リスクが高く、判断能力が未熟なままであることが多いからであって、決して「淫らなことをしてはいけないから」という倫理的な根拠ではありません。


歪んだ貞操教育が「性の不幸」を導いている


いまだに日本の性教育に対する世間の価値観はそのような純潔主義を引きずっている人も多いですが、倫理観を根拠にした自制は決して子供のためにはならないばかりか、様々な悪影響が生じます。

たとえば、性行為は淫らなものと刷り込まれた女性が、パートナーとの幸せな性生活という場面で、自分が性行為をすることに対する何らかの罪悪感に苦労することは少なくありません。一方で、性的なことは良くないことと捉えているがゆえに、好きな人に対して性的な視点を向けられないという男性も少なくありません。

また、倫理を犯すことに対する背徳感を覚えることで、背徳感がなければ興奮しないという状況を作り出すケースも多々あります。女性が恥ずかしがらなければ興奮できない男性というのはまさにその典型です。18歳未満との性交渉が法律で禁止されているからこそ、女子高校生が神聖化されて性の商品化の対象になってしまうということも考えられます(この件の詳細は『男子の貞操』(坂爪真吾著)を参照されたい)。


今でこそ少なくなってはいるものの、「性行為=淫ら」というルールを破ることに対して個体として一種のステータスだと感じるがゆえに、わざわざリスクを冒そうとする少年少女もいるわけです。

このように、歪んだ貞操教育が「性の不幸」を導いているのです。ですが、本来、青少年の健全な育成において大切なことは、倫理観による抑圧ではありません。性に関する適切なリテラシーとリスク判断能力を育み、自分に合った自主的な選択ができるようにすることこそが大切だと思うのです。


挿入に固執する人が考える歪んだ健全性


次に、未成年搾取という観点からも狩野氏への批判はズレが目立ちました。

冒頭で述べたように、青少年保護育成条例は青少年の健全な育成を目的としています。その中で18歳以上の者と18歳未満の者の性行為を「一律禁止」にして取り締まる規定を設けています。それは、18歳以上の権力ある者による18歳未満の権力無き者に対する搾取が発生しやすく防ぎにくいことを考慮しているからです。

金銭のトレードや、仕事の提供(いわゆる枕営業の要求)等のようなケースは言語道断として、たとえお互い恋愛感情があって未成年者側が性行為そのものを望んでいたとしても、判断能力の未熟さや、圧倒的な権力差を考慮すれば、一律禁止は現実的な対策と言えるでしょう。

ただし、「一律禁止」というのはあくまで青少年の健全な育成を確保するための手段に過ぎません。にもかかわらず、「18歳未満の者の性行為そのものが良くない」というような、手段を目的のように捉えてしまう人が散見されました。記者会見における質問で、何度も「肉体関係はあったのか?」という質問をしていた記者はその典型だと思います。実は、このように手段と目的を履き違えることは、搾取の防止の観点から非常に危険なことです。


現実を見てください。青少年の健全な育成を阻害するのは「膣性交(=挿入行為)」だけではありません。膣性交やそれに準ずるもののみを禁ずるという形式的な判断しかできない日本の法制度の欠陥を突いて、「着エロ」等のように未成年者の過激な写真集が出回っています。18歳未満を性的対象にしたポルノや漫画ポルノもネット上に散乱しています。

「青少年の搾取がいけないのだ」ではなく、「青少年との性交渉がいけないのだ」という表面的な理解しか社会ができていないせいで、その抜け穴を突く狡猾な大人たちによって未成年の健全な育成が阻害されているのです。

まとめ


今回は、狩野氏の問題に関して、淫行は良くないとして批判する人々やメディアの取り上げ方を問題視してきました。未成年の搾取の問題に対して無理解で、処女崇拝を押し付け、肉体関係の有無にお熱になっている人たちを傍から見ていると、「結局子供のことを何も考えていない人たちなのだな」と思ってしまうのです。結局は「下ネタ」だから盛り上がっているのでしょう。どうか「子供視点」に立って、適切に報じて欲しいと思います。
(勝部元気)
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