「おいら、居残りをさしてもらって分かったことが一つあります。
有楽亭八雲、倒れる!
雲田はるこ原作アニメ『昭和元禄落語心中 助六再び編』第5話は、師匠・八代目有楽亭八雲との親子会にこぎつけた三代目有楽亭助六の「居残り佐平次」を中心に動いた回だった。「自分の落語がない」と指摘されてもがき苦しんできた助六にとって「居残り佐平次」は、演者によって主人公の演出がまったく異なり、キャラクターを出すには最高の題材となる噺だ。後半は、銀座・歌舞伎座における親子会の当日に舞台が移る。八雲が選んだ噺は、幽霊噺の「反魂香」。舞台演出のために小夏に命じて香を焚かせた八雲だったが、噺の終盤に突如発作を起こして倒れてしまう。彼の目には懐かしい女性・みよ吉の姿が移っていた。そして冥界に去ったはずの盟友・二代目有楽亭助六の姿も。
自分の代にて落語を終わらせる、心中すると宣言していた八雲が死の危機に瀕する一話だ。ここから物語は急を告げていく。
圓生とパンダが死んだ日
八雲が倒れるエピソードは、六代目三遊亭圓生の最期を連想させる。
六代目圓生最後の高座は、1979年9月3日、千葉県習志野市の習志野サンペデック(現・モリシア津田沼)で行われた「習志野圓生後援会」の発会式だった。そこで圓生は「桜鯛」という小咄を語ったのだ。高座に上がる前から圓生の体調は悪く、会場の外で聴いていたマネージャーの山崎佳男は、普段であればありえないほどにその声が震えているのに気づいたという。高座を下りた圓生の容態は急激に悪化し、救急車で運ばれたものの、搬送先の病院で午後9時35分に死亡が確認された。
昭和最後の名人と謳われたこともある圓生の死は演芸界に大きな衝撃を与えた。もっと衝撃的だったのは、翌日の新聞ではその訃報が意外なほど小さくしか扱われなかったことである。上野動物園で飼育された初代パンダの一頭、雌のランランが翌4日の未明に亡くなったため、各紙はそちらを大々的に報道したのである(同日死亡というのは厳密には違う)。名人もパンダという人気者には敵わなかったわけで、演芸評論家の矢野誠一はこのことを『圓生とパンダが死んだ日』という文章に書いた。
以前このエキレビで圓生死亡について書かれた山崎佳男『父、圓生』を紹介したことがあるが、圓生の弟子だった三遊亭円丈著書『御乱心』の描写はもっと生々しい。円丈自身はその場に居合わせなかったが、弟弟子の梅生(後の七代目三遊亭圓好。
──そうしたら、“苦しいから医者を呼んでくれ! 息が苦しい!"ってもがき始めたんです。(中略)それで楽屋に戻ったら、“トイレへ連れてっておくれ! うんこが出そうだッ!"って言うんですけど、とてもトイレになんか連れてくような状態じゃないから、紙を下に敷いて、“師匠どうぞッ?"(後略)
──私が一番ハッキリ聞いた最後の言葉は、救急車へ運ばれていく時、物凄い大きな声で、“くるしいッ、ダメだなこりゃ!"と言ったのが最後でした。あとはただ“くるしい"だけでしたから。
山崎本によると病院に運ばれて手当を受け、圓生は「だいぶ楽になりました」と言ったことになっているのだが、このへんの真偽はわからない。
圓生の義父(圓生の母と再婚)であった五代目圓生も上野鈴本演芸場で最後の高座を務めた直後に亡くなっている。十八番の「首提灯」を見事に演じ、帰宅して餅の入った雑煮を綺麗に平らげた後、「ああ美味かった」と箸を置いて床に就き、そのまま帰らぬ人になったのである。二代続けて高座の責任を果たした後の急死だったわけだ。
圓生の姿が八雲と重なる
そもそも六代目三遊亭圓生が亡くなった背景には、自分が創立した三遊協会のために全国を廻って落語会を開き、身体の疲労が極限まで高まっていたという事情がある。
──八月になると円生のスケジュールの過密ぶりはピークに達した。もうムチャクチャなスケジュールだった。九州で仕事をして東京へ着くと、今度はそのまま列車に乗り込み、東北で二日やって帰って来て、東京で一軒仕事をして一旦帰宅してから、その夜、夜行で仙台へ。
そうした多忙さをものともしない体力が79歳の圓生にはあった。
──前屈すれば手は軽く畳についたし、長講一時間の落語を熱演してもほとんど呼吸は乱れない。その上食欲は旺盛。円生は、「あたしは二食でげすから」と二回しか食事をとらなかったが、その一食がまた、よく食べるんだ。おかわりを三杯し、その二回分の食事の量は、俺の一日の食事量よりずうーっと多かった。その上、お腹がすけば夜食もとったから結局三食! 物凄い食欲だ。(『御乱心』)
そのため表面上は何事もなく、周囲の人々も圓生の異変に気付かなかったのだ。死の当日、圓生は弟子一同から誕生日プレゼントとして新しい革靴を贈られているが、普段履いているものより靴底の革がわずかに一枚多かったため、「重いので取り替えてくれ」と言い出した。弟子はその感覚の鋭敏さに驚嘆したというが、そのときにはすでに体調が限界に達していたのだ。
なぜそこまで圓生は我が身を酷使していたのか。
それは前年1978年に起きた落語協会分裂騒動のためだ。
理想のために落語協会を割ってでも自説を通そうとした圓生と、古き良き落語を守るためにそれと心中することを考える八雲。やはり2人の肖像は重なって見える。
八雲もまた落語に殉じてしまうのか。それとも。
今回の噺
今回作中で語られた噺は二つ。一つは「居残り佐平次」で、これは以前にも触れたので割愛する。
次回はいよいよ「居残り佐平次」だ。助六は見事にカラッポになって佐平次になりきることができるのか。乞うご期待である。
恥ずかしながら私も落語会を企画しております。よろしければ足をお運びください。
本日10日(金)は落語立川流より立川談慶独演会。
明けて13日(月)は落語芸術協会の〈成金〉ユニットから、三遊亭小笑落語会。ふんわりとした雰囲気の会になるはずです。
17日(金)は同じく落語芸術協会の女性二ツ目・三遊亭遊かり勉強会。元気のいい落語を楽しめます。
(杉江松恋)