まったく目と耳が離せない坂元裕二の脚本と、松たか子、満島ひかり、松田龍平、高橋一生の演技による四重奏が楽しく、心地よく、ハッとして、胸に迫るTBS火10枠ドラマ『カルテット』。
今夜5話「カルテット」高橋一生の手の名演に泣いてたら急展開が…なんてドラマだ!
イラスト/小西りえこ

「面白いのに低視聴率」がすっかり枕詞になってしまった感があるが、先週放送された第4話の視聴率は微減して7.2%。
一方、ツイッターなどで『カルテット』ファンはどんどんヒートアップしており、『あまちゃん』フィーバーを思い起こさせるような素敵なファンアートも大量にアップされている。それ自体がドラマの批評になっているイラストもあるので『カルテット』ファンはぜひ一度ご覧あれ。

さて、第4話の主人公は、卑屈で理屈っぽいヴィオラ奏者、家森諭高(高橋一生)だ。彼の意外すぎる過去と、とても普遍的な親子の情愛にグッと来た視聴者も多かったはず。後半では、巻真紀(松たか子)と彼女にストーカーめいた愛情を持つ別府司(松田龍平)の関係がいきなり進展! 諭高のもう一つの謎も解き明かされて……。

バツイチ子持ちでVシネ俳優という経歴に驚愕!


諭高は実はバツイチで、しかも子持ちだった。やっぱり諭高も家族からはぐれた存在だった。
半田(Mummy-D)と墨田(藤原季節)は諭高に付きまとっていたのは、元妻・茶馬子(高橋メアリージュン)の居場所を知るため。彼らが持っていた写真の女性を、すずめ(満島ひかり)、真紀、司に微苦笑まじりで「別れた妻……」と明かす諭高だが、すぐに真顔に戻るのはダメージを引きずっている証拠だ。筆者も離婚経験者だからよくわかる。

諭高の過去を整理すると、
・バツイチ子持ち。
・小学生の頃、自転車で日本一周した。
・Vシネの俳優をしていた。

・宝くじで6000万円当てたことがある(だが換金し忘れた)。

「ヴィオラ奏者のVシネ役者なんかいるかよ!」と思う人もいるかもしれないが、Vシネに大量に出演しているコワモテ俳優の白竜はかつてチェロ奏者だった。世の中、あり得ないことなんてない。

6000万円をフイにして落ち込んでいた諭高は、ヤケになって飲み歩いているうちに茶馬子と知り合い、ハムスターを死なせた茶馬子を慰めているうちに結婚してしまった。東日本大震災で帰宅難民になったときに知り合い、そのまま結婚してしまった『最高の離婚』(坂元裕二脚本)の光生(瑛太)と結夏(尾野真千子)を連想した人も多いだろう。その後の諭高と茶馬子の丁々発止のやりとりも、光生と結夏そっくり。
人は心が弱っているとき、お互いに支え合うために結婚するのかもしれない。

「結婚ってこの世の地獄ですよ。妻ってピラニアです。婚姻届は呪いをかなえるデスノートです」という諭高のキラーワードに心奪われるが、駅から落ちて大怪我して入院した話をするくだりで一瞬、諭高が真紀を見て目をそらすカットが終盤への伏線になっていた。『カルテット』は繰り返して見ると二倍、三倍楽しい。
今夜5話「カルテット」高橋一生の手の名演に泣いてたら急展開が…なんてドラマだ!
イラスト/小西りえこ

はなればなれの親子をつなぐもの


茶馬子と息子に会いにった諭高が車の中で口笛を吹いているのが「フレール・ジャック」というフランスの民謡。日本では「かねがなる」という訳詞が知られているが、幼稚園や保育園では「グーチョキパーで何作ろう」という替え歌が歌われている。
小さな子の親なら馴染み深い曲だ。

小学生の息子・光大(こうた)がリコーダーで吹いているのもこの曲。「フレール・ジャック」が離れた親子をつなぐメロディーだったというわけだ。第1話で諭高が小学生の男の子とすれ違ったとき、男の子を目で追いながらこのメロディーを鼻歌で歌っていた。当然、光大のことを思い出していたはずだ。

諭高が水を飲もうとする光大を手伝おうとして、もう手伝いが不要になったほど背が伸びたことに気づくシーンがせつない。
同時に、とっさに手が出る諭高と光大の結びつきの強さも示している。きっと2人でよく遊んでいたのだろう(諭高、無職だったし)。子どもと見つめ合って、抱き上げる高橋一生が本当に自然で素敵。

「いつ離婚終わるの? だいたい何月ぐらい?」と我が子に問いかけられて、心が揺れない親はいない。バイトをクビになっていた(いつの間に!)35歳の諭高は、カルテットを辞めて就職し、家族をやり直そうとまで思う。

諭高と光大を結びつけるメロディーが「フレール・ジャック」なら、諭高と茶馬子を結びつけるのは、独特のチャイムの鳴らし方。
ここでも、見えないもので家族が結びついている。

手の表情で視聴者を泣かせる高橋一生


我が子を取り戻しに別荘にやってきた茶馬子とカルテットの面々とのやり取りが意味深。「ハムスター死んじゃったんですよね」「病死ですか?」「あと何死にました?」と畳みかけるすずめは、“死”が家族を引き寄せることを経験したばかり。「私の中ではあの男(諭高)も死んでますけどね。そう思うたほうが楽やし」と話す茶馬子を真っ向から否定する真紀は、失踪した夫を「死んでない」と思っている。

「結婚って天国だ。妻ってノドグロだ。婚姻届は夢をかなえるドラゴンボールだ」という真紀の言葉は、もちろん諭高の発言の裏返し。デスノートの対義語がドラゴンボールとは気付かなかった! 諭高が「茶馬子は僕のドラゴンボールだよ」と言うときに、階段の脇の壁に座って足を組むのは高橋一生のアドリブだったらしい。演出の金子文紀が「すごい王子様っぽいね」と絶賛してドラマに取り入れられたのだとか。壁の上に座っている「星の王子様」のイメージだろうか。

諭高「茶馬子は僕のドラゴンボールだよ。ノドグロだよ。キンキだ、クエだ」
茶馬子「あと?」
諭高「伊勢海老」
茶馬子「魚!」
真紀「……関サバ」
諭高「関サバ!」


というやりとりで微笑み合うとことが夫婦っぽい。きっと二人が家族の頃は、こうしたやりとりをたくさん重ねてきたのだろう。夫婦をつないでいるものとは、婚姻届ではなく、目に見えないものだ。しかし、この目に見えないものが一度壊れた夫婦はそう簡単にやり直せるものでもない。「夫婦って別れられる家族」(真紀)なのだ。

決定的だったのは、諭高の「あーあ、あのとき宝くじ引換えておけば、今頃……」という一言だった。6000万円という金額云々ではなく、宝くじを引換えておけば弱ることもなかった。つまり、結婚もしなかっただろう、ということだ。

茶馬子「妻ってな、夫にな、“もし結婚してなかったら”って思い浮かべられるほど悲しいことってないよ」

諭高は光大と「フレール・ジャック」の合奏をする。息子にバイオリンを教えるときの慈しみの笑顔は、小学校の校門の前の作り笑いとまったく別のものだ。諭高がヴィオラで独奏するのは、ヤン・ティルセンの「La Veillee」という曲。タイトルには「見守る」という意味があるという。諭高の心情が表れた選曲だろう。

曲に乗せて、親子の別れが描かれる。別れの意味がわからない子どもの笑顔が悲しい。子どもに向けて振った手で顔を覆って涙を堪える諭高……。高橋一生は手の表情で深い悲しみを表現していた。また、この曲を選んだのは高橋一生本人だという。

いい話じゃ終わらない! 残り10分で急展開!


ここで終われば、『カルテット』の第4話はわかりやすい人間ドラマだ。アニメ風のアイメイクでカルテットドーナッツホールの面々が諭高を慰めるくだりも心温まる。ああ、いいものを見た、という気分で我々は床につけるだろう。家族を失った諭高にも、新しい居場所があるじゃないか、と。

ところが、ここから物語が急速に動きはじめる。スーパーですずめと会った有朱(吉岡里帆)は、すずめと鏡子(もたいまさこ)との会話を耳にして態度を急変させる。いつも目が泳ぎ気味のすずめに対して、有朱の視線はいつも真っ直ぐだ。これが猛烈に怖い。

諭高は、すずめに実は自分は真紀を強請ろうとして近づいたことを明かす。真紀の夫は、諭高に「妻にベランダから突き落とされた」と語っていたのだ。諭高が真紀に近づいた謎が解けるともに、真紀の恐ろしさ、諭高のろくでなし加減がわかる。さっき親子の情愛で泣かせてくれたばかりなのに……。“居場所”は音をたててきしみはじめる。

そして、自宅マンションに貯めたゴミが異臭騒ぎを起こした真紀は、ゴミ捨てを手伝ってくれる司とともに東京に向かう。司は残された夫の靴下を大事にしている真紀に迫る。

司「あなたといると、二つの気持ちが混ざります。楽しいは切ない。嬉しいは寂しい。優しいは冷たい。愛しいは……虚しい」

司は真紀の手をとる。真紀はこれまでのように拒絶しない。お互いの指が少しずつ動く……というところで突然マンションのドアが! 何この展開! やっぱり『カルテット』は油断できない!
今夜5話「カルテット」高橋一生の手の名演に泣いてたら急展開が…なんてドラマだ!
イラスト/小西りえこ

『カルテット』はグレイゾーン


諭高が茶馬子に会いに行くときのすずめとの会話は“行間案件”だ。

すずめ「何で私が家森さんの恋人役やらなきゃいけないんですか。巻さんの方が恋人っぽいじゃないですか」
諭高「茶馬子は僕のことを知ってるからね」

茶馬子は僕のことを知ってる→自分の好みのタイプの女性を連れていかないと不自然→すずめは好みのタイプ、ということ。何度も繰り返して言われているが、『カルテット』には何気なく聞き流しそうな会話にも意味がある。

坂元裕二の脚本講座に行った人のブログを読んでいたら、坂元の発言として次のようなことが書かれていた。

「脚本には物語が書かれていない=その人の心は書かれない。場面・行動・台詞の3つだけがある(書き手が書いて良いのはこの三つだけ)。脚本に書かれるものは『目に見えるもの』『耳に聞こえるもの』以外はない」
「どこで何が起こって誰が何を喋ったか。具体的な情報の積み重ねで、その人が何を思っているかが炙り出される」
(昭和クッキー大演説「坂元裕二のシナリオ講座」受講レポートより)

これぞまさに“行間案件”。ドラマに登場するセリフ、役者の表情、目線、手の動き、服装、具体的なオブジェクトにも、すべて意味があるが、その意味は見る側が自分で読み取らなければいけない。いや、「読み取る」というより「受け取る」と言ったほうがいいだろうか。

これはドラマの中のことだけではない。人生すべてにおいて言えることでもある。見えるもの、聞こえるもの、はっきりしているものだけに目や心を奪われていてはいけない。

繰り返しになるが、『カルテット』はわかりにくいドラマだ。プロデューサーの佐野亜裕美は「わからないことを楽しめるか、どうかだと思うんです」とインタビューで語っている。

諭高が妻子と別れたところで終われば、わかりやすい人間ドラマになるのと同じで、真紀が実は夫を殺していたことが判明すれば、『カルテット』はわかりやすいサスペンスドラマになる。だが、きっとそうはならないだろう。エンディングテーマ、椎名林檎作詞作曲「おとなの掟」にはこういう歌詞がある。

そう人生は長い、世界は広い
自由を手にした僕らはグレー


白黒つけずに、グレーでもいいじゃないか。愛しさと虚しさはどちらも真実だが、大切なのはその間にあるものだ。自由はグレーにこそある。そういえば、半田を演じたMummy-Dのラップグループ・ライムスターの代表作は「グレイゾーン」という曲だ。

さて、今夜放送の第5話で第1幕が終わるとのこと。佐野の言葉によると「3話、4話と謎がどんどんと膨らんで、5話で温めていたものがパンと弾ける。風船が弾ける時を楽しみにしてほしい」。何それ! 怖いけど期待!

そして第6話が放送される来週2月21日は、真紀と夫の結婚記念日なのにも注目!(すずめのスマホにあった真紀のデータより)。そして、そろそろ真紀の夫の正体が判明するはず。やっぱり身長は176.5センチなんだろうなぁ……(とあるTBSドラマに縁の深い人の身長が176.5センチだったりする)。
(大山くまお)