第19週「ただいま。おかえり。」第112回 8月10日(木)放送より。
脚本:岡田惠和 演出:黒崎 博
![「ひよっこ」112話。お父ちゃん、帰郷して「谷田部実」という人生とに向き合う](http://imgc.eximg.jp/i=https%253A%252F%252Fs.eximg.jp%252Fexnews%252Ffeed%252FExcite_review%252Freviewmov%252F2017%252FE1502382617492_68a1_1.jpg,quality=70,type=jpg)
112話はこんな話
明日は田植え。
「新しい年のはじまりみてえなもんだ、明日は」
実(沢村一樹)が良いタイミングで帰って来たと、茂(古谷一行)はあたたかい言葉をかける。
田植えの日はあいにく雨だった
「やっぱしお父ちゃんはお父ちゃんだよ。違う人になったわけじゃないよ」とみね子(有村架純)は美代子(木村佳乃)を励ます。
浴衣はぴったりだし、好物のきんぴらごぼうを美味しく感じるし、実のカラダには記憶が残っている。
みね子(有村架純)が実と再会した日は、土砂降りで(103話)、実が故郷に帰って田植えをする日も雨。世津子に拾われた日も雨で、やっぱり実は、記憶を失っている間は「雨男」なのか。
おそらく、田植えのロケ日があいにくの雨で、でも他の日に変更ができないため、強行したと想像する。
逆に、雨で自然がみずみずしく見えた上に、レインコートを着て作業する谷田部家の人たちに、いっそう愛おしさが募った。
それに、雨もないと、作物は育たない。雨降って地固まるとも言う。今回の雨は、恵みの雨のような気がした。
実は故郷の良さを再認識する役割を担っている
記憶喪失中、実は「雨男(あめお)」と呼ばれていた。
田植えに出かける前、茂に「実って良い名前ですね、好きです」と実は言う。
自分のほんとうの名前を取り戻しかかけていることと、作物が実る、の「実」という名前を、実りを求めて田植えする時に感じるという素敵な流れだ。
文章を書くにあたって、「実(みのる)は」と書くと、「実(じつ)は〜〜」のように読めてしまうので、少々書きづらい。・・・というぼやきはさておき、実(みのる)は改めて、自分の記憶をたどり、名前をかみしめ、「谷田部実」という人生に向き合う。
たぶん彼は、奥茨城で生きる自分を選ぶだろう。ヒロインが、故郷の良さを再認識する展開が、これまでの朝ドラでは多かったが、ヒロインの父が、その役割を今回は背負わされたようだ。
それこそ、岡田惠和の最初の朝ドラ「ちゅらさん」(01年)は、ヒロインが最終的に故郷・沖縄に帰り、何かと比較される「あまちゃん」(13年)も、劇中歌にもあった「地元に帰ろう」というテーマを持っていた。「ひよっこ」では、お父ちゃんが、郷土愛を背負う分、みね子はどうなるのだろう? これからの展開が気になる。
ちよ子に注目したい
放送開始からずっと、ちよ子(宮原和)は、みね子や進(高橋來)に比べると、おとなしく見えた。
お父ちゃんが帰ってきても、末っ子の進が積極的に、お父ちゃんに話しかけていることに比べて、ちよ子は、
遠慮気味。たぶん、みね子以上に気遣いの子。
でも、実は、そんなちよ子に、ちゃんと話しかける。いいお父ちゃんだ。
家事をするちよ子を見て、みね子は「手際よくなったね」と褒める。
この時の宮原和が、有村架純よりも木村佳乃よりも、家事がカラダに馴染んで見えたのは、木村や有村は、人生の中で女優である時間の分量がすでに多いからかもしれない。
失われた記憶を求めて
記憶といえば、111、112話と、ドラマの序盤、1964年時の回想シーン(谷田部家が貧しいながらも家族6人、仲睦まじく暮らしている場面)がたくさん挿入される。
回想シーンは、ドラマの世界では、珍しくもなんともないはずなのに、「ひよっこ」の場合、実が失くした記憶を探しているところなので、回想シーンも重要だ。
それは最初から計算されていたことなのか、「ひよっこ」では、ささやかな出来事がたくさん描かれてきた。
64年から67年と4ヶ月間で3年しか経ってない分、日々の生活描写を積み重ねて来たので、回想シーンに足り得る場面がたくさんある。
それを観ていると、人は、大なり小なり思い出を積み重ねて生きているのだと感じてしまう。
振り返れば、1961年からはじまった朝ドラは、ずっと、主人公の体験する家族や友人や恋人や夫や子供・・・たくさんの記憶を描いてきた。そこには、戦争や震災など、歴史的な出来事も描かれた。
朝ドラとは、日本人の思い出をつないでいくドラマなのだと「ひよっこ」を観て思う。
この調子でいけば、「ひよっこ」は、たくさんの人たちの記憶に強烈に残る朝ドラになるだろう。
(木俣冬)