実在しない架空の地図を描き続けて20年以上。『みんなの空想地図』を出版し、タモリ倶楽部にも出演して話題になった『地理人』こと今和泉隆行さんにお話を伺いました。


「私は競争ができません」空想地図作家・地理人の働き方


空想地図作家とはどのような仕事なのか


――『空想地図作家』として取り上げられることの多い今和泉さんですが、具体的にはどういうお仕事をしているのでしょうか?

「地図関係の自営業ですね。内訳はいろいろですが、分かりやすいものだと、ドラマなんかのテレビ番組で使う架空の地図の制作や、観光・インバウンド向けに実在の地図を描いたりするなどがあります。大企業の下請けや行政の孫請けなど立場はそれぞれ異なりますが、土地勘や統計、及びその見せ方など、地理に関することでお困りのさまざまなプロジェクトの中で、『地理情報プラグイン』として仕事をしています」

――『世の中にそんな仕事があるのか!』というのが率直な感想で、他ではなかなか耳にすることのない仕事ですが、依頼する方はどうやって今和泉さんのことを見つけているんですか?

「知り合いや、知り合いの知り合い。あとは私がどこかで喋っていたのを聞いたひとが、『町の住みやすさ、町の見方をうちの社員に話してほしい』とメールフォームから連絡をくれたり、というような感じですね」

――空想地図を描き始めたきっかけは何だったんでしょうか?

「描き始めたのは7歳か8歳の頃ですが、子どもがおままごとをやったり、紙に迷路を描いたりするのと同じように、これといった理由があって始めたことではないです。強いていうのであれば、世の中を有り様を自分の手でトレースする遊びが、ある子どもにとってはおままごとだったり、別のある子どもにとっては砂場遊びだったりするように、私にとってはそれが地図だったということです」

「私は競争ができません」空想地図作家・地理人の働き方



生き方を見極める期間としての『ハイブリッドワーカー』


――今の働き方に至るまでどのような経緯がありましたか?

「大学を卒業したあとは、企業と企業のドキュメントのやり取りや通信などを手掛けているIT企業にいたんですが、自分はそこにはまったく合わなかったんですね。社会で生きていくとはそういうものだろうと思いながら、頑張っているフリをしつつ働いていたんですが、限界だなと感じ、2年で退職しました」

――会社を辞めてからは。

「退職してからは、時間を限った最低限の雇用労働と、自営業として仕事を受けることを並行していて、これを『ハイブリッドワーカー』と勝手に呼んでいました。もしも自営の方の仕事が来なければ、そちらの能力はないということで、次は自分に会う会社を探して転職活動をしよう。
自営の方が食べていけそうであったら、そちらをメインにする方向でシフトしていこう。どちらにすべきか見極めるため、ハイブリッドワーカーの期間を少々のあいだ設けていたわけです」

――結果的に現在は自営業の方で生活をしている。そうなった要因は何だったのでしょうか?

「分かりません。自分のバランスの悪さをある程度正確に把握した上で、足りないところをどう補っていくのか。自分で補完するのか、他人が補完するのか、いずれもやらなくて済むほかの方法を取るのか、と考えながらやってきた中で、最初は微々たるものだった自営の収入は徐々に増えていき、ある時期を境に自営と雇用労働の収入が逆転しました。これも自分の意志の力というよりは偶然だと思っています」

「私は競争ができません」空想地図作家・地理人の働き方



「他人に勝とうという気が一切ない」


「私は競争ができません。
他人に勝とうという気が一切ないので、競合がいる分野だとあまり上手くいかないだろうとも思っています。そこで『他の人は面倒だと感じるけど、自分にとっては面倒ではないもの』が生産性の高いものだと捉えて、そこを追求していこうという方向にいくわけですよ。
例えば人を3人誘うことと、資料制作や作図だったら、前者はタダでもやるという人が多くいる中で、私にとっては苦痛で仕方がない。一方で後者は、多くの人にはできないことだけど、私にとってはまったく苦痛がない。この例でいうと後者の方は希少価値もあるし、生産性が高い。さらに『この能力とこの能力があれば、掛け合わせてこういうこともできるのではないか』といった感じで、やれることを増やしていき、生産性の良い仕事を増やしていくことによって、時間を掛けずに確かな価値を人に提供し、手間なく働くのだ! という発想になっています」

――『他の人は面倒だと感じるけど、自分にとっては面倒ではないもの』というのは、自分にとって簡単だからこそ、誰にでも簡単にできてしまうように思い込んでしまいがちです。
見つけるのがなかなか難しいような気がしてしまうのですが、どのようにして見つけていったのでしょうか?

「自分と似ていない人がたくさんいる環境に身を置いたり、そういう人たちとの関係を深めていくことを意識的にしてきました。私が放っておくと知り合いがちな人は、どちらかというとマニアックで、対人関係は割と苦手な人たちだし、私自身ももともとその素質がある人間です。自分と遠いところにいるはずだった人たち、純粋に『人が好き!』といえてしまうような集団の中にあえて入っていったら、そこで面白がられて必要とされるということが起こりました。

彼らこそ、人と接したり共生したりすることが苦にならないけど、細かい作業が苦手な人たちだったので、彼らのイベントには積極的に参加しない代わりに緻密な資料を作って、それを提供するということを試験的にやってみたら、これが上手くいった。自分から遠い人との繋がりを作ると、自分の持ってるものがどう特異か分かってくるわけです。『こんなに重宝されるのね』と」

――自分から遠い集団の中に入っていく苦労のようなものはありませんでしたか?

「最初はちょっと腰が重くなりますが、そもそも遠くない集団の中にいるのもしんどいですからね。
マニアックな人たちとの人間関係もけっこう難しくて、お互い自分の興味のある対象については話すけど、自分のことや相手のことについてはほとんど話さないので気を使う。それよりも、全然それを理解していない人に向けて話して、伝わるのであれば、その方が面白く感じます。結局私にとっては、似た人同士の集まりであってもアウェイだし、ビジネスマンの寄り合いだろうと、地元の同窓会だろうとすべてがアウェイだし、だったらなんか単純に面白がってくれて、『また来てくれ』と言ってくれるアウェイの方がまだ良いのかなと」

――すべてがアウェイ。それだけ聞くと後ろ向きになりそうなフレーズなんですが、話を聞いているとすごく前向きに捉えているように感じます。

「そうですね。全てがアウェイでホームのない人だと、まったく人間と関わりたくないという人もいるとは思います。
けれど私の場合、他人に踏まれたくない自分のアイデンティティだとか、守りたい自我やプライドといったものも別にないし、逆に閉じこもっていたほうが低い自己評価を下してしまうんです。自分が自分の味方をしないので、他人の方が自分の味方をしてくれるんですよ。閉じこもらず、アウェイだろうが外に出ていった方が、まだ自分よりマシな評価をする人たちがいるというわけです。だからまぁ、人のいる場所に行った方が良いなと思っていますね」

(辺川 銀)