2004年の大晦日。ズボンをズリおろし、パンツ一丁姿の中年男がカメラに向かって叫びます。


「戻ってこい!中島!戻ってこい!」

これは、『エンタの神様』(日本テレビ系)の年末特番『最強のネタ芸人ベスト13』で、カンニング竹山が大トリをつとめた時のこと。
もし何の背景も知らなければ、何やらバカをやっているようにしか見えないでしょう。しかし、改めて振り返ると、病床に伏す相方への熱い想いと「“カンニング”の屋号を自分が守らなくては」との確固たる決意がくみ取れ、何とも胸が熱くなります。

2004年12月に白血病を発症した中島


竹山の相棒・中島に異変が起こったのは、2004年12月の初旬。ロケバスで移動中に立ち上がれなくなったため、「これはおかしい」と思い病院へ連れて行ったところ「急性リンパ性白血病」と判明したのです。
中島はただちに、同月9日から入院生活を開始。この時から、竹山はピン芸人として活動をスタートすることに。


ちなみに、中島の病名が公表されたのは2005年1月であり、『最強のネタ芸人ベスト13』放送時点では、「中島は体調不良」としか伝えられていませんでした。

小学校時代から仲良しだった2人


先述した大晦日のステージ。冒頭で竹山はこうも言っています。

「中島馬鹿か!!馬鹿かお前は!!せっかくお前こうやって大晦日の紅白の裏とかで大トリやぞ!!それなのに体調不良で倒れたって馬鹿かお前は!」

カンニングはこの時点で苦節13年目の苦労人コンビ。売れない時代が長く続き、その間に所属事務所を何度かクビになっています。借金を重ねた末に、借金取りが家まで押しかけてきたこともあったそうです。
それでも小学校時代からの友人同士、辛いときも支え合い、とうとう全国放送のネタ見せ番組でトリを任せられるまでになったのです。


そんな、まさにこれからという時期に、長期離脱を強いられてしまった相方の無念を思うと、竹山はやりきれない気持ちでいっぱいになり「馬鹿か!」と連発したくなったのでしょう。

ピン芸人となった竹山は、中島の復帰を信じ、より一層仕事に精進していきます。中島もカムバックを目指して治療に専念。臍帯血移植を行い1度は再発したものの、再度実施された臍帯血移植により、経過は良好となっていました。リハビリを重ねながら、具体的な復帰に向けての話し合いも進めていたといいます。

なお、中島の闘病中、竹山は「2人でカンニング」だとして、ギャラを折半し続けたそうです。
なんとも、粋な振る舞いではないでしょうか。

2006年12月、還らぬ人に


しかし2006年11月、肺炎を併発して危篤状態に。必死の看病もむなしく、12月20日に還らぬ人となってしまうのでした。
竹山は中島の入院後、可能な限り病室に顔を出して励ましていたといいます。

「一生懸命闘って、それでダメだったんで…本人的には納得していると、そう信じたい…」

逝去の翌日放送されたラジオ番組で竹山は無念さを滲ませながら、自分に言い聞かせるようにこう言っていました。

もちろん、いつまでも感傷に浸っているわけにもいきません。
生きている者の責務として前を向く必要があるわけで、竹山は次のような決意表明をします。

「これからの自分にできるのは、一生懸命働くことだけ」

どういう意味かというと、中島という一人の芸人がこの世にいたことを世間の人に忘れさせぬよう、自分はメディアへ出続けるべきだというのです。島田紳助からアドバイスを受け、そう決めたといいます。

この竹山の決心がいかに強いものだったかは、彼が今も芸能界の第一線で活躍し、いまだ「カンニング」の屋号を背負い続けている事実が示しているといえるでしょう。
(こじへい)

※文中の画像はamazonよりカンニング竹山単独ライブ「放送禁止 2012」 [DVD]