民主化直前の韓国、捏造捜査の行方は
来年4月に公開予定の『タクシー運転手』でもネタにされている、民主化直前の韓国。ちょうど30〜40年前の話ということで、絶妙にノスタルジーをくすぐる題材なのかもしれない。『ありふれた悪事』もそれに連なる作品で、舞台は1987年。軍事独裁政権の最末期にあたる。
多少手荒だが平凡な刑事であるカン・ソンジン。民主化を要求するデモに手を焼く警察官であり、足の不自由な息子と障害者の妻を支える大黒柱でもある。楽しみといえば近所に住む親友の新聞記者ジェジンと酒を飲むことくらい。
ある日、ソンジンは大統領直属の治安機関である国家安全企画部の室長ギュナムに呼び出され、そこで別件で逮捕した男が例の連続殺人事件の犯人だと告げられる。捜査資料を渡され、裏付けを取るための尋問に取り組むソンジン。しかし、捜査を進めるうちにこの男はどう考えても犯人ではないことに気がつく。民主化への要求から国民の目をそらすため、国家安全企画部が捏造した犯人逮捕の片棒を担いでいたことを知るソンジンだが、多額の報酬と息子の治療のためには捜査を続けざるを得ない。
一方、国家安全企画部の陰謀に疑いの目を向けるジェジンは、捏造捜査を暴くべく取材を続ける。
なんといっても30年くらい前まで独裁政権下にあった国の人たちが、自分たちで撮った映画である。ディテールがとにかく生々しい。刑事たちのファッションは平服の上にジャンパーを羽織った韓国警察伝統のスタイル。彼らはベトナムでの従軍経験について語らい、タバコを吸いまくり、民主化を要求する学生たちをしょっぴいては容赦無くシバき上げる! 思わず「いいもん見てる!」という気分に。
主人公ソンジンは、そんな生活に特に疑いを持たなかった人物だ。正義感こそあれ、民主化デモの参加者をバンバンひっぱたくし、ちょっとでも怪しい人間はすぐに手錠をかけてしまう。ソンジンは「自分は完全に普通の人間で、こうして仕事をしていれば普通に生きていける」と信じ込んでいる人物だ。一方、彼の親友であるジェジンは典型的な反権力志向の記者だ。軍事政権下であるにも関わらずお上にたて突くような記事を書いては上司に怒られ、それでも諦める気配を全く見せない。現状に満足しきっている男と、現状に強い不満を持っている男。
「ありふれた悪事」がもたらす恐怖とは
この映画のタイトルの『ありふれた悪事』というのはなかなか秀逸な邦題だと思う。ちなみに英題は『ORDINARY PERSON』で、「一般人」みたいな意味。どちらもこの映画が描写している恐怖をうまく拾っている。
映画は後半、自分のことを「普通の人間」だと思っていたソンジンが引きずり込まれる地獄を描写する。そもそも捏造捜査には無理があり、民主化運動を受けて勢いに乗る国民の目はうまく逸らせない。
単に仕事をしていただけのソンジンが、みるみるうちに追い詰められて泥沼にはまっていく様は、正直言ってけっこう怖い。しかも、その原因は国家安全企画部という治安機関にあるのだ。独裁政権の持つ強権と治安機関の様々な手管が本気で牙をむいた時、ただの下級警察官であるソンジンとただの新聞記者であるジェジンにとれる手段はほとんどない。それでもなんとか仁義を通そうとする2人の姿には、韓国映画らしい熱さがある。
だが、それと同時にぞっとするのは国家安全企画部と韓国の軍事政権自体はフィクションでもなんでもないところだ。
それでも韓国は民主化し、現在では軍事政権時代の面影はほぼ存在しない。映画もその史実に則った展開をたどって終わる。正直終盤はちょっとくどいかな……という感じだったのだが、民衆抗争で民主化を勝ち取った国だけに、あの終わり方でなければ終われなかったのだろうという気もする。少なくともこの映画のスタッフと俳優たちは、30年前の韓国に存在していた悲劇から目を背けなかったのは事実だ。というか当時政権側だった人もまだ存命だろうに、こういう内容の映画が成立するのはなかなかすごいことだと思う。非常に気骨のある作品である。
【作品データ】
「ありふれた悪事」公式サイト
監督 キム・ボンハン
出演 ソン・ヒョンジュ チャン・ヒョク キム・サンホ ラ・ミラン ほか
12月9日より公開
STORY
1987年の韓国。刑事のカン・ソンジンは、情報機関である国家安全企画部の指名を受け、別件で逮捕した男を連続殺人事件の犯人として取り調べる仕事を命じられる。一方ソンジンの親友である記者ジェジンは国家安全企画部の陰謀を暴くべく取材を続けるが……。
(しげる)