ドラマの出来が良いのに視聴率が伸び悩むこともあるのだが、『民衆の敵』の場合は第8話のストーリーも迷走気味である。(クリアファイル発売中)

『民衆の敵』最大の収獲は大澄賢也?
主人公の智子(篠原涼子)は、自分を市長に担ぎ上げた最大会派のドン、犬崎(古田新太)に反旗を翻し、副市長の前田(大澄賢也)らの解任を発表する。いわば市長によるクーデターだ。市民からの激励の電話が殺到するのだが、クーデターはあっという間に犬崎派によって制圧される。市役所の職員たちが仕事をボイコットしたのだ。これで智子は手も足も出ない。
「実は以前から市長は精神的に不安定なところがありまして……ははっ、これは書かないでくださいよ?」
これはマスコミに偽情報をリークする前田の言葉。全力でイヤミな腰巾着を演じる大澄賢也は、このドラマ最大の収獲だと思う。もはや“ルミ子の元夫”感はない。
智子陣営への切り崩しは続く。次のターゲットは和美(石田ゆり子)だ。
いきなり飛び出した「新しい家族の形」
不倫の報道を見て、怒った公平の母・悦子(田島令子)が佐藤家に乗り込んできた。そこにいるのは公平と弁明にやってきた和美と子どもたちだけ。なぜこの部分に智子が一切絡まないのかは謎なのだが、さらに謎が続く。不倫に関する誤解は一瞬で解けたのだが、主夫として智子を支える公平に「男女それぞれに役割ってものがある」「こんなのまるでヒモじゃない!」と憤る悦子。それに対して和美がいきなり「新しい家族の形」の話をぶっこんできた。
そして驚きの事実を告白する和美。なんと、和美は友人の精子提供を受けて子どもを生んでいたのだ! 友人に対して恋愛感情は一切なかった。仕事が忙しくて結婚どころではなかった和美だが、子どもだけは産みたかった。だから精子提供を受けたのだ。
「家族の形は一つじゃないです。もっといろんな形があっていいと思うんです。同性愛者の結婚だって認められるべきですし、家事に専念できる男性がいたっていい。その多様性が認められれば、人はもっと自由になれます。世の中はもっと幸せになると思うんです」
和美の主張はものすごくリベラルだ。たとえば、今年行われた衆院選の際に行われた「同性婚を法律で認めるか?(大意)」というアンケートで、「同性間でも男女問同じ婚姻制度を適用できるようにすべきだ」と答えたのは共産党と社民党。一方、自民党は「憲法24条の『婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立』が基本であり、同性婚容認は相容れないものです」と明確に反対している(ハフィントンポスト日本版 10月20日より)。安倍首相の著書『新しい国へ』には、次のような一節がある。
「『お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ』という家族観と、『そういう家族が仲良く暮らすのがいちばんの幸せだ』という価値観は、守り続けていくべきだ」
これは「いろんな形があっていい」という和美と真逆の考え方である。智子と公平の夫婦は政治的主張を一切持たない(リベラルでも保守でもない)が、和美の考え方に賛同しているようだ。
とまぁ、和美は良いことを言っているのだが、かなり大きなテーマであり、セリフだけで片付けるべきではなかった。精子提供を受けて子を産んだという話も、かなり唐突だ。
余談だが、田島令子といえば『地上最強の美女バイオミック・ジェミー』のリンゼイ・ワグナーやキャスリーン・ターナー、シガニー・ウィーバー、フェイ・ダナウェイなど、男顔負けの強い女を70年代からずっと吹き替えで演じてきた女優さん。これまでのキャリアと今の作品は関係ないとはいえ、ちょっとミスマッチだった。
キャストの無駄遣いが多すぎません?
「和解かリコールか。明日までに選べ」
犬崎は智子に通告するが、智子は和解を選ばない。ぶっちゃけ、智子のメンタル強すぎだろう。政治のド素人で議員としてもキャリアゼロ、おまけに一般の知識もほとんどない智子が、どうしてここまで頑張れるのか? 篠原涼子が演じているからとしか言いようがない。
一方、ニューポート開発問題も少しだけ進む。犬崎は反対派の漁師たちを集め、土下座、ニセの身の上話、民謡(!)まで繰り出して共感を得ようとする。反対派の中心にいる漁師の井上(菅原大吉)は怒って帰ろうとするが、他の人たちはまんまと犬崎の手に引っかかる。こんな泣き落としや田舎芝居が通じるわけがないと思うが、実際の選挙ではけっこう似たようなことは行われている。このシーンは実はリアルだったと思う。
しかし、智子と犬崎の対立と、和美の言う「新しい家族の形」がまったくリンクしないエピソードだった。ついでに藤堂もまったく活躍しない。ラストで藤堂が副市長を受託するのだが、彼が何を考えているのかわからないし、葛藤の内容も描かれていないのでカタルシスがない。
新人議員の千葉雄大、斎藤司(トレンディエンジェル)もチョイ役だし、秘書役の渡辺いっけいもほとんど出番なし。犬崎の秘書役に抜擢された若旦那だって一言二言喋るだけ。前市長役の余貴美子はすでに影も形もない。ここまでキャストを無駄遣いしているドラマも珍しい。
「藤堂さんって、市長の味方ですか?」
「……民衆かな?」
「民衆?」
「政治家は、常に民衆の味方であるべきじゃないですか?」
これはドラマ冒頭にあった新人議員の未亜(前田敦子)と藤堂による会話だ。政治家は派閥争いでどっちの味方につくか、ではなく、民衆の味方であるべきだというドラマの主張はとても正しい。しかし、肝心の「民衆」姿がほとんど見えてこない。いや、ドラマの序盤には出てきていたんだけどね……。
言いたいことはあるんだけど、エピソードが複雑骨折していて、ドラマをセリフで語っちゃっている上に、キャストをうまく使いこなしていない。
(大山くまお)