
昨年も出ており、これは二冊目。ムックくらいの厚みがある、しっかりした作り。子供も塗って遊べるものの、どちらかというと大人向け。
以前も紹介した「まるごとおそ松さん」のマンガ家セットのように、絵柄はシンプル、かつ六人の個性描き分けが必要ゆえに、「おそ松さん」はイラストを描く入門としてはもってこいの作品だ。
なので塗り絵も、シンプルにも塗れるし、凝った遊び方もできる、という寸法。色鉛筆でシコシコやるのもいいですが、PCに取り込んで遊ぶのもGOODではないかと。
なお一巻目は「肌色の色鉛筆を多めにご用意ください」と注意書きが。つまりはそういうこと。
無人島極限生活
22話は、無人島に打ち上げられた六つ子・トト子・イヤミ・チビ太・デカパンを描いた、ストレートなギャグ回。
ノリとしては、パロディをやりすぎたせいか、お蔵入りした一期一話に近い。
(参考・ネット大騒ぎ。収録中止「おそ松さん」“幻の第1話”を徹底的に振り返ってみた)
イヤミはヨガを極めて「ストリートファイター」のダルシム化。チビ太は戦闘力をあげて、「ドラゴンボール」のフリーザ状態に。
トト子はセーラームン的なものに変身し、デカパンは大魔神ダヨ〜ンを召喚。
十四松はトウモロコシ畑にナインを呼び出して、フィールド・オブ・ドリームス。
大丈夫? またお蔵入りしない?
(というか前回もバニラ求人、ライザップ、戸塚ヨットスクールと、パロディだらけでしたね)
パロディだけではなく、極限状態に追い詰められた面々の表現に、こだわりが見られた回だ。
「無人島ネタ」がアニメやマンガでしばしば用いられるのは、精神的にキツイ状態に置くことで、キャラクターの本質を描けるからだ。
たとえばトト子。最初のうちはお姫様プレイで六つ子に命令を出し、上から目線で行動していた。
ところが話が進むに連れ、「もののけ姫」のサンのような野生のキラーマシンと化す。普段は一人で狩猟をし、大物を見つけた時はリーダーとして全員を率いる役目にまわった。
最も強いのが、ただ一人の女子であるトト子、というのもポイント。童貞たちは彼女に手を出せない状況になっている。
カラ松も意外と順応性が高かった。
元々カラ松は「かっこいい自分を謳歌したい」という人間。なので、自分が楽しめるものを見つけられれば、どの環境でも満足できるようだ。
後半、語りがカラ松になり、冷静にみんなを俯瞰して見ているのが、普段と違って面白い。
もうひとりタフさを見せたのは、一松だ。彼はオナホールを自作して商売を始めた。以前のギャグ短編「げんし松さん」のネタの延長だ。
自然からは手に入らない、ニーズのあるものをものを、人間の技術を用いて制作。経済的価値を与える。彼は孤島で「職人」として文化を築いた。
ニート生活よりマシな無人島生活
一方で壊れてしまったのが、トド松だ。
島についたばかりの時、絶望しながらもおちゃらけていた面々と異なり、トド松は呆然とし続けていた。
「ない!だってどうせ死ぬもん!僕こんな所で生きられないもん!」
サバイバルしようという意識が、彼には全く生まれない。スマホを無くしてしまって以降、一人海辺に座って、石で作ったスマホもどきをずっといじり続けている。
「うーん、まだ誰からも返事返ってこないかー。電話でないかー。ここ電波弱いのかなー」
一期でチョロ松が「自意識ライジング」した時、心が破綻してしまってエアスマホしていたのと似ている。
トド松は今まで「自分がかわいい」と言い続けて心を保っているところがあった。極端に人からの評価を気にして、いい子を演じ、立ち回って、時々ゆらいでいた。
いざ社会から切り離され、ネットや電話のつながりが絶たれたことで、完全にアイデンティティの軸が失われてしまった。
二期のトド松は、繊細でもろい。
お酒にふけってパチンコごっこをしているおそ松、島に来ても野球を楽しもうとする十四松、普段は魚釣りしつつ自慰行為に救いを求めるチョロ松と、いつも以上に六つ子の性格がはっきり出た回になった。
Twitterでは、家にいるより孤島暮らしの方がまとも、という感想が多く見られた。
前回、両親が6人を手放せないと涙したのを思い出す。一見いい話のようだが、それは閉じた家庭のホラーだ。
今回両親が出てこないのもミソだろう。松野家六つ子は根本がダメ人間なのではなく、環境に流されてきた部分が大きそうだ。
(たまごまご)
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