今夜9時からの日本テレビ「金曜ロードSHOW!」で、去る4月5日に亡くなった高畑勲監督の最後の作品「かぐや姫の物語」が放映される。
今夜金曜ロードSHOW!「かぐや姫の物語」で高畑勲は何を伝えようとしたのか
高畑勲監督の最後の作品となった「かぐや姫の物語」(2013年)DVD

宮崎駿が「かぐや姫」に抱いた疑問


「かぐや姫の物語」は2013年11月に公開された。同じくスタジオジブリ作品である宮崎駿監督の「風立ちぬ」より4カ月遅れとはいえ、高畑・宮崎両監督の作品が同じ年に公開されたのは、1988年に「火垂るの墓」(高畑)と「となりのトトロ」(宮崎)が同時上映されて以来、25年ぶりのことだった。


これに合わせ、翌年1月発売(2014年2月号)の「文藝春秋」誌上では、両監督にジブリの鈴木敏夫プロデューサーを交えて鼎談が行なわれている。その冒頭、宮崎と高畑がお互いの新作について編集部より感想を求められ、まず宮崎が次のように「かぐや姫の物語」で気になった場面をあげた。

《『かぐや姫』を観たときにね、長く伸びた竹を刈っていたでしょう。筍というのは、地面から出てくるか出てこないときに掘らなきゃいけないんじゃないかとドキドキしたんですけど》

この描写は映画の前半、翁(おきな)が幼いかぐや姫を連れて竹林に入る場面で出てくる。たしかに翁は、かなり成長したタケノコを根元だけ残して鎌で刈り取っていた。私たちのイメージするタケノコは、宮崎の言うように、あまり伸びきらないうちに「刈る」というよりは「掘り出す」ものだろう。
しかし、高畑はこの宮崎の疑問に対し、《真竹だからあれでいいんですよ。孟宗竹だったら宮さんの言うとおりなんですけど、当時、孟宗竹は日本に入ってきていない。ちゃんと調べたんです(笑)》ときっぱり答えている。ちなみに孟宗竹(モウソウチク)が中国から日本に入ってきたのは18世紀なので、「かぐや姫」の原作『竹取物語』が成立したとみられる時代より約800年もあとだ。

それにしても、「ちゃんと調べたんです」という言葉からは、高畑の自信に満ちた顔が浮かぶ。鈴木敏夫はべつのところで、宮崎駿が《すべてをイメージで作るタイプ》なのに対し、高畑はまったく逆で、《細部にこだわって、とことん調べる人》と両者の違いを説明しているが(「文藝春秋Special」2013年冬号)、タケノコの描写一つとっても、そうした高畑の志向がうかがえる。


「ハイジ」を思い出させる「かぐや姫」の一場面


「かぐや姫の物語」は企画が始動してから8年がかりで完成した。もともとこの企画は、高畑が1950年代、まだ東映動画(現・東映アニメーション)の新人だったころ、内田吐夢監督により『竹取物語』を映画化する話が持ち上がった際に思いついたアイデアがもとになっていた。そこから数えれば、じつに半世紀以上もの時間がかかったわけだが、ジブリ側からあらためてこの企画を持ちかけられた当初、高畑は自分でつくるつもりはないと頑なに拒んだという。

そもそも高畑は、企画を提案されても、それが本当に自分がつくるべきものなのか、時間をかけて熟考するのが常であったらしい。ズイヨー映像(現・日本アニメーション)に所属していたころ、テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」(1974年)の企画を持ちかけられたときもそうだった。

高畑は、スイスの児童文学者シュピーリによる原作を愛読していたものの、映像化するなら実写でやるべきと考え、アニメーションでやる意義を見いだせなかったという。だが、考えに考えた末、ハイジの感情などをアニメならではの表現で見せる手法へとたどり着く。
その具体例として後年、彼がよくあげたのが、シリーズの第1話で、ハイジが初めて連れて来られたアルプスの山に感激し、重ね着していた服を全部脱いで走り出すシーンだ。原作のハイジは脱いだ服をきちんとたたむのだが、アニメでは脱ぎっぱなし、しかも彼女が走るのは、子供にはとうてい登れそうもない急斜面だった。高畑は、ハイジの心が解放され、躍動するさまを表現するため、このようにあえて現実にはありえない描写にしたのである。

じつは「かぐや姫の物語」にも、この「ハイジ」第1話を思わせるシーンが出てくる。それは、かぐや姫の名づけを祝う宴で、出席した人々が彼女の気持ちなどまったく構わず、あれこれ言い立てるのに嫌気が刺して、屋敷を飛び出すシーン。このとき、もはやその場にいられないと思ったかぐや姫は、たまらず駆け出すと、屋敷の戸という戸を突き破り、着飾った衣服もすべて脱ぎ捨て、自分の育った山に向かってひた走る。
その描写からは、怒りとも悔しさとも悲しさともつかない彼女の気持ちが痛いほど伝わってくる。主人公の気持ちのベクトルは正反対とはいえ、感情をアニメーション的な表現で表現した点では「ハイジ」とまったく同じだ。

たじろぎ、ひるむ高畑作品の登場人物


高畑勲は、現在の日本のアニメーションの土台を築いた貢献者の一人でありながら、その後の傾向には疑問を呈することも多々あった。ときにはこんなふうにジブリ作品に対しても批判の矛先を向けている。

《多くの日本のアニメの主人公は何事もたじろがないし、ひるまない。現実離れしているんですよ。平凡な少女に見える『千と千尋』[引用者注――宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』2001年]のヒロインでさえ、普通なら立ちすくむような場面でも、迷わず行動するんですから》(「プレジデント」2003年8月4日号)

またべつのところでは、高畑は「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」(1976年)などで自身もかかわった「世界名作劇場」シリーズについて、ほかのアニメと対比しながら次のように語った。


《二十世紀になって、子供の気持ちを生き生きと開放する文学が出てきたのは素晴らしかった。でも場合によっては、快楽主義、癒し、慰めしかもたらさないものになります。子供の心を開放すると言えば聞こえはいいけれど、子供を甘やかして終わる場合もある。アニメはもっとそう。主人公が愛と勇気で危機を打開する。どこで修行したんだろう? 愛と勇気だけで強くなれるの? と僕は言いたい。

 僕がやったものだけじゃなくて、こういうシリーズの持っている、日常的に付き合っていく中での様々なヒダヒダを描くこと。生活していく中には耐えなくちゃいけないこともあるし、輝くときもある。生きていく上ではいろいろあるんだっていうことを子供たちに知らせる意味で、こういうシリーズは存在し続けて欲しい気がします》(「TVシリーズ「世界名作劇場」のこと」、高畑勲『アニメーション、折にふれて』岩波書店)

考えてみれば、子供向けの作品にかぎらず、高畑が一貫して作品で描いてきたのは「生きていく上ではいろいろあるんだっていうこと」ではなかったか。

高畑作品の登場人物たちは、生きているなかで起こる危機に対し、愛と勇気、あるいは特殊能力で乗り越えたりはしない。彼らは現実の私たちと同じように、まずはたじろぎ、ひるむのだ。全体的にのほほんとした雰囲気の漂う「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999年)にさえ、山田家の主であるたかしが、暴走族(といっても、ちょっといきがった若者が数人でスクーターを乗り回しているだけなのだが)に対し、ひるみながらも注意しようとする場面があった。

高畑作品の子供たちは生きていくため、ときに盗みすら働く。「火垂るの墓」では、戦中・戦後の食糧難のなか幼い妹と二人だけで生きていく道を選んだ清太少年が、畑で野菜を盗み続けたあげく、農夫に見つかって袋叩きに遭い、交番に突き出されるシーンがあった。「かぐや姫」でも、かぐや姫の幼馴染である捨丸が、都で鶏を盗んで逃げ回っているところを彼女に声をかけられ、立ち止まったところで大人たちに捕まり殴られてしまう。彼らはけっして愛と勇気では救われない。高畑はそんなふうに現実を、作品によっては残酷なまでに描いたのである。

かぐや姫は「現代女性」だった?


「火垂るの墓」の製作にあたり、野坂昭如の原作小説を読んだ高畑は、わずらわしい人間関係を断ち切り、兄妹だけで生きてゆこうとする清太に現代の少年の姿を見たという(「「火垂るの墓」と現代の子供たち」、高畑勲『映画を作りながら考えたこと』徳間書店)。その意味において同作は、現代の子供がもし戦時中にタイムスリップしたらという一種のシミュレーションを試みたともいえる。

「かぐや姫」についても、高畑は構想をまとめるにあたり、かぐや姫を現代の女性と仮定して、次のように記していた。

《たとえば、かぐや姫を現代女性と仮定してみるとどうだろうか。翁のすることなすこと、少女時代から室内に籠もりきりの女性の暮らし深窓の麗人)、不自然な眉抜きと眉描き)やお歯黒、女性を所有することしか考えていない一方的な男の求婚とその結果、相手だけが頼りの結婚生活待つ女すべて堪えがたいことばかりではないだろうか。さらに、現代女性ならば、ほんとうはこうありたい、こうもしたい、という意志があるにちがいない。当時の社会通念に反したあのかぐや姫の毅然たる男性拒否も、「自由恋愛」を信ずる現代女性ならば、むしろ当然ではないか。この人こそはと思える相手にみずから出会えることを欲したはずである》(太字の部分は原文では傍点。「『竹取物語』とは何か」、高畑勲『アニメーション、折にふれて』)

このあとで高畑は《しかし、かぐや姫は現代女性ではない》と否定しているとはいえ、この映画を観た女性には自分とかぐや姫を重ね合わせた人も多いはずだ。鈴木敏夫は「かぐや姫」だけでなく、「ハイジ」や「赤毛のアン」(1979年)といい、27歳のOLが自分探しの旅に出る「おもひでぽろぽろ」(1992年)といい、高畑は女性映画の名手だったと評しているが(「美術手帖」2014年1月号)、たしかにうなづける。

余談ながら、安倍政権が「女性が輝く社会づくり」を政策に掲げたのは、ちょうど「かぐや姫の物語」が公開される前後のことだ(公開の翌年、2014年には首相官邸に「すべての女性が輝く社会づくり本部」が設置されている)。もちろん、時期が重なったのは偶然にすぎないが、「かぐや姫」の作中、「光輝く」という意味からそう名づけられたかぐや姫が、命名を祝う宴を境に輝きを失っていくさまは、いま観ると、国の政策に対する痛烈な皮肉にも読める。

表現も世界観も外に開かれた映画をめざして


「アルプスの少女ハイジ」製作時に日本のアニメでは初めてとされる海外でのロケハンを行なうなど、風景や日常生活のディテールを描き出すことに徹底してこだわってきた高畑だが、「となりの山田くん」では、誰もが知っているものは省略する表現手法へと転換する。

「かぐや姫」でもこれを踏襲するとともに、原画の線の勢いを活かすため、あらゆるものを輪郭線で完全に区切らないよう描く手法がとられた。高畑いわく《きれいに輪郭線で区切って中を塗ると、線よりは面の絵として捉えちゃうわけです。そうするとぜんぜん線が活きなくなる》からだという(「ユリイカ」2013年12月号)。そこには絵巻物など日本絵画からの影響があった。再び彼の発言から引用すると……

《西欧だと絵はひとつの小宇宙ですから、外界に開いていなくて、限られた絵の中を空間としてきちんと構成しなければならない。それに対して日本は閉じている感覚が乏しいので、どんどん外に開いていくし、構図だってどんどん流れていきますから決まりようがない。それが面白いんですね》(前掲)

こうした「開かれた」表現にたどり着いたのは、高畑作品を貫くテーマや世界観からいっても必然だったのではないか。前出の「ユリイカ」のインタビューの終わりがけで、高畑は自分が映画づくりにおいてめざしていることを、次のように語っていた。

《映画の中の時空が現実の時空と通じ合っていてしかるべきだと思うんですね。密室でめくるめく体験を見せて興奮させるとか観客の願望をかきたててそれを満たして「あーよかった」と終わる映画は嫌いなんです。だって映画の中でいくら願望が満たされても、“癒される”だけで、現実を生きていく上で何の役にも立たないですよね。(中略)結局、現実に還る以外ないと思うんです》

「火垂るの墓」のラストシーンで、終戦直後に死んだ清太たちの亡霊の前に現代の都市が現れように、高畑作品には必ずどこかで「現実に還る」ところがあった。それだけに、観る人によって好き嫌いがはっきり分かれるだろうし、登場人物に共感しにくいところもあるかもしれない。しかし一つの世界に閉じていないからこそ、彼の作品にはさまざまな読解の余地があるといえる。高畑が観客に求めていたのも、自作をきっかけに何かを考えてもらいたいという、そのことに尽きるのではないだろうか。
(近藤正高)