連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第16週「抱きしめたい!」第96回 7月21日(土)放送より。 
脚本:北川悦吏子 演出:田中健二

96話はこんな話


光江(キムラ緑子)は鈴愛(永野芽郁)の漫画「一瞬に咲け」を読んで感動し、大納言をフランチャイズから独立させるので社長をやらないかと言い出す。

急にやる気になる鈴愛


涼次(間宮祥太朗)が酔って帰って来た翌日は撮休で、ゆうべの失態のおわびにとお弁当を作る。
鈴愛、田辺(嶋田久作)、三おば(キムラ緑子、麻生祐未、須藤理彩)は、きれいなちらし寿司と唐揚げを喜ぶ。
うなちらしとはなかなか豪勢だ。

機嫌が良くなった鈴愛は、大納言で、品物以外のものを100円で売るアイデアを考え始める。
しばらく沈んでいたけれど結婚もしてちょっと元気になって持ち前の発想力が戻ってきたかのように。
例えば、“夏のサイダーみたいな声”で涼次が歌うとか、皿をストレス解消に割るとか・・・鏡が「今日もきれいだね」とイケメンの声で言うアイデアはまさに「ビューネくん」である。
何度もこのレビューで書いているが、働く女性が帰宅すると慰めて抱きしめてくれる妖精みたいなビューネくんと朝ドラヒロインの相手役とは親和性が高い。とりわけ近年、このビューネくん的な癒し系の人物が多くなっている。ビューネくんの出てくる化粧水のCMが初登場したのは99年でちょうど「半分、青い。」の時代と重なっている。初代ビューネくんは藤木直人。96話で鈴愛と菱本が話題にした少女漫画「花男」が指していると思われる人気少女漫画「花より男子」(このドラマでは違う「花男」なのかもしれないが)は、00年代、大ブームになったドラマ化以前、95年に映画化されていて、藤木直人は花沢類、律のお父さん役の谷原章介が道明寺司役だった。思えば遠くへ来たもんだ、という感じ。

話を戻して、田辺が2000円札の話をし出すが、鈴愛は聞かずにアイデアを出し続ける。ほんとうに人の話を聞かない性分だ。

どんどんアイデアを出す鈴愛に、大納言はフランチャイズのチェーン店なので自由が効かないと田辺は言う。

お姉ちゃんは時代についていけなくなったんだよ


自由にできないストレスは光江も抱えていた。
帽子教室の生徒には張り合いがないが、家が抵当に入っていて財産がないので、働かざるを得ない。
3年前(97年)、帽子屋・3月うさぎを辞めて大納言にした時、光江は反対したが、
「お姉ちゃんは時代についていけなくなったんだよ」
「お姉ちゃんの帽子はもうみんな買わないんだよ」
と麦とめありに言われてしまった。
この時、ト書きに「たそがれ時」とわざわざ書いてある。
光江は人生の「たそがれ時」を97年に味わったのだった。
ちょうどバブルも崩壊して、自由がなくなり、こういうたそがれ時を味わっている人たちがたくさんいたはずだ。

「自分の空を見つけなさいよ」


チェーン店は自由が利かないと聞いた鈴愛は、漫画家のときは自由になんでも描いてよかったと振り返る。
何センチ×何センチの枠の中は自由だった。
涼次は、映画界で、たくさんの人に見てもらうため(商品を売るために)は、こうしろああしろといろんな人から注文をつけられるものだと身にしみてわかっていた。
それが信じられない鈴愛。秋風(豊川悦司)は彼女の心の中に湧き上がってくるものを大事にしてくれた。
彼がいかにすばらしい人で、自分を守ってくれていたことに気づいた鈴愛は、思わず喫茶おもかげに行って、菱本(井川遥)を呼び出す。
そこで初めて、編集者が鈴愛の漫画のテコ入れに、“イケメンたちに取り囲まれるヒロインのコメディ”
鈴愛いわく「花男的な」ものにしようとして秋風が阻止したことを知る。

鈴愛は10年もの間、秋風の庇護の元で生きていたことには気づいてなかったが、自分に漫画の実力がないことには流石に気づいて漫画を辞めた。
「自分の空を見つけなさいよ」
「あなたの空がきっとある」と菱本は言う。

勝手な想像でしかないが、秋風は、岐阜の仙吉や晴のために鈴愛を守っていたのではないか。
片耳失聴で就職もできず、なんとかコネで農協に決まったとはいえ、このまま故郷でコンプレックスを抱えて生きていく鈴愛のことをものすごく心配している仙吉や晴の気持ちに打たれて、自分が引き受けなくてはいけないような気になってしまったのではないか。彼女に才能が全くなかったわけではないだろうがそれは二の次。
そのため、結局親離れしたようでできないまま鈴愛は20代後半になってしまった。
鈴愛が人間的に成長できなかったことは残念な気もするが、秋風のおかげでコンプレックスを必要以上に感じずに幸福に過ごせたとも言える。

「一瞬に咲け」とはどんな漫画なのか


「私の空はどこだ なんつって」とか言いながら鈴愛が御飯作っていると、光江がブザーで呼んでいる。
母屋に行くと、「一瞬に咲け」を読んで感動したという光江は、潮時を感じて撤退した鈴愛に共感し、
大納言をフランチャイズでなく独自の店舗にするから、店長、社長になれという。
田辺はどうするんだろう、と視聴者のほとんどが思ったに違いない。
ともあれ、鈴愛は自分の空を見つけることができるのだろうか。
「半分、青い。」96話。ヒロインの漫画「一瞬に咲け」商業誌に掲載。公共放送のあり方を考える
「花とゆめ」2018年 8/5 号

涼次も光江も感動した漫画「一瞬に咲け」は7月20日発売になった漫画雑誌花とゆめ 2018年 8/5 号 に掲載されているというメディアミックス的な手法である。作画は劇中漫画担当のなかはら・ももただが、楡野スズメ名義となり、原案・北川悦吏子 漫画・なかはら・ももた となっている。


「一瞬に咲け」は、85話のレビューでも紹介しているが、北川悦吏子のドラマ「運命に、似た恋」(16年)の登場人物・つぐみとカメ子が主人公になっている。「運命に、似た恋」は原田知世演じるシングルマザーが、斎藤工演じるカリスマ椅子デザイナーと恋に落ちるお話。つぐみは、原田知世演じる主人公が溺愛している息子。カメ子はそのつぐみに恋して追いかけ回しているメガネっ子だ。
カメ子役は久保田紗友(「べっぴんさん」のジャズ喫茶ヨーソローのバイト・五月役)で、つぐみは、永野芽郁と同じ事務所の西山潤(「20世紀少年」のケンジの少年時代も演じてる)。

つぐみとカメ子の心の交流はドラマでもとても印象的だった。作画担当のなかはら・、ももたは筆者のインタビューで「スタッフさんからドラマの彼らのシーンだけ抜いて編集したものを送っていただいてそれを参考にしました。ただ、このふたりはメインの登場人物ではなく、シーンも少ないのでほとんど創作です。そこにどうにかして主人公に“一瞬に咲け”と言わせることが現場の意向でした」と答えていて、ドラマの印象的なシーン(つぐみの走り高跳びのシーン、カメ子がつぐみをストーカーして写真を撮りまくるシーンなど)を巧みにつなげて24ページのボーイ・ミーツ・ガール漫画にしている。

これが6巻まで続く長編になると想像すると面白い。きっとつぐみとカメ子の恋のあれこれを延々やるんだろうなあ。だが、みつはしちかこの「小さな恋のものがたり」はチッチとサリーの恋物語で43巻描いているのだから、ノープロブレムである。


公共放送とは何か


主人公鈴愛が描いたとされる漫画が、「花とゆめ」に掲載された経緯は、ドラマの漫画考証担当者が白泉社メロディの編集長・佐久間崇だった関係である。「メロディ」ではなく「花とゆめ」に掲載されたのは、後者のほうはティーン向けで、劇中の「ガーベラ」のテイストに近かったのだろう。
佐久間やなかはらの尽力に報おうというようなこの企画、NHKは公共放送であるため、協力者にできるだけ利益分配しようと心を砕いているように感じる。
NHKオンライン よくある質問集「公共放送とは何か」の回答にはこうある。
“公共放送とは営利を目的とせず、国家の統制からも自立して、公共の福祉のために行う放送といえるでしょう。”
“NHKは、政府から独立して 受信料によって運営され、公共の福祉と文化の向上に寄与することを目的に設立された公共放送事業体であり、今後とも公共放送としての責任と自覚を持って、その役割を果たしていきます。”

さてここからは、朝ドラの戦時中の話によく出てくる大日本国防婦人会のおばちゃんたちのような小姑トークを少々。
これを読むと、受信料で制作したドラマに登場する漫画をドラマのなかでしっかり見せず、その全貌を放送中に商業誌で掲載することは、みんなでドラマをもっと楽しもうというような盛り上げ企画として済むことなのだろうかという疑問も感じずにはいられない。
「花とゆめ」を買わないとドラマを補填できないなんて(私はこの記事を書くために買いました)。
例えば、視聴者みんなが平等に鈴愛の描いた漫画を楽しめる工夫があっても良かったのではないか。ドラマの中で鈴愛の漫画を一挙掲載するようなアイデアが。漫画を映画や舞台などの別媒体でどう見せるかは多くのクリエーターが腐心していることであり、古くは庵野秀明監督の「彼氏彼女の事情」(98年)から昨今では大根仁監督の「バクマン。」(15年)、舞台だったらシディ・ラルビ・シェルカウイ「PLUTO」や、市川猿之助のスーパー歌舞伎2「ONEPIECE」や2.5次元演劇など様々ある。
NHKは漫画家のアクチュアリーを映像化した「浦沢直樹の漫勉」も制作しているのだから、やればできる局のはず。

もちろん漫画をあえて見せない手法もある。「わろてんか」(17年後期)のマーティン・ショー、「ひよっこ」(17年前期)のビートルズコンサートのように見せないからこそ余韻があることもある。マーティン・ショーの場合、「見せないんかい!」というツッコミも盛大にあったが。
「半分、青い。」の場合、主人公の体験や心情と漫画が密接であるとされているので、もっと脚本を練って漫画と本編を絡めることができたのではないかと思うと惜しまれるのだ。
漫画がテーマのドラマではないので、ドラマの後半戦、「半分、青い。」に何かドラマの未来につながるクリエイティブな発見がもたらされることを願いながら見続けたい。
(木俣冬)
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