
タレントのりゅうちぇるさんが、両肩に妻と息子のタトゥーを入れたことに、批判が起こっているようです。
彼が公開したインスタグラムには、「りゅうちぇるがタトゥー入れてるのイメージダウンだな」「タトゥーを入れた父親なんて、子どもがかわいそう」「もっとしっかりしたパパだと思ってたのに」というコメントが押し寄せました。
話題は芸能界にも広まり、既に多くの人が疑問を呈していますが、私もりゅうちぇるさんがこの件で叩かれるのはおかしいと思います。彼が誰かの人権を侵害したわけでもありません。彼の身体は彼自身のもので、決して親のものではありません。どうデコレーションしようが個人の自由です。それなのに、なぜ他人から抑圧を受けなければならないのでしょうか?
女子生徒の下着の色を校則で規定する学校の問題がTwitterで俄かに話題になっていますが、安易に他人の身体の自由に介入するという人権侵害に対して、日本社会は意識がなさすぎだと思います。「自他境界」を理解できているとは思えません。
自己正当化に子供を利用しないでほしい
「世間の厳しい目が向けられるし、子供がかわいそう」という理由を持ち出す人が散見されましたが、その「世間」とやらはおそらく批判者本人のこと。自分の意見を正当化するために主語を大きくしないでほしいです。
そして子供を都合良く使わないで欲しいです。Twitterでは「うちの父親もタトゥーをしていたが、それで自分が可哀想だと思ったことはない」という意見もありましたが、結局は子供それぞれによって価値観は変わります。だから親は突拍子も無い非科学的なことを除けば、とりあえず自分の信念を貫けば良いだけです。
それに、自分が子供の立場として嫌だと思うなら、自分は嫌だと自分の親に言えば良いだけです。他人の家庭に口を出す資格も、リンク君(りゅうちぇるさんの息子)の代弁する資格も、赤の他人である非難者自身にはありません。
叩いている人はだいたい自己肯定感が低い
結局のところ、タトゥーを叩くのは、既婚者が独身者を叩くことや、夫婦別姓・事実婚を叩くことや、ベビーシッターに預ける親を叩くのと同じで、そのほとんどが自分の人生選択に満足できていないからではないでしょうか? 自分で人生を選ぶことなく、レールに沿うことが当たり前と自分に言い聞かせてきたから、レールに沿うことなく自由に人生を選ぶ人たちが許せない、そのために叩くのではないかと思います。
つまり、結局これも自己肯定感の問題なのでしょう。自己肯定感が高ければ「自分は自分」「他人は他人」で済みますから、いちいち他人が勝手にすることに興味は持ちません。いちいち他人のことに言及するということは、その人のアイデンティティーが「レールに沿っていること」に強く依拠しており、レールを逸脱する人をマウンティングしなければ、立っていられなくなるからではないでしょうか。
近年インターネット社会で「自己肯定感格差社会」が始まっているという指摘は以前から指摘していますが、ネットを触るリテラシーとして「人権侵害のケースでも無いのに、ネットで誰かを叩いている人たちは自己肯定感が低い」という事実は、国民全員が知っているレベルまで周知する必要があると思います。
ピアスだって昔は印象悪かった
「ダメとは言わないけれど、タトゥーは体を傷付けるものだから、印象が悪くなるのも当然だよね」という意見もあるようですが、タトゥーと同じで体に傷をつけるものとして叩かれてきたピアスの歴史を振り返ってみれば、その価値観自体ももう少し柔軟に捉えることができるのではないでしょうか?
宗教的な意味でのピアスはブッダの時代からありましたが、オシャレとしてのピアスが日本に広がりだしたのは1980年代頃と言われています。その後、1990年代半ばには中高生のピアスが「非行」の象徴のように扱われたこともありました。私も1999年の高校生の頃から今に至るまで、ピアスを8個ほど開けていますが、やはりそれだけで「非行に走った」と見なされたことは多々ありました。
ですが、1990年代後半には40代や50代の母親世代にも浸透したことで、次第に非行の印象は薄れ、2000年を過ぎると若い世代では採用する人が過半数を超えたとも言われています。今やアクセサリー売り場に行けば、イアリングよりもピアスのほうが圧倒的に多く、イアリング派が商品を選ぶのに苦労するほどです。
人の価値観なんて短い時間で変わるもの
今、ピアスをしている女性を見て、「印象が悪くなった!」「非行だ!」と言っているのは、20世紀の教育から抜け出せていない教育機関か、処女妄想の強過ぎる一部のアイドルのファンだけではないでしょうか? 男性はまだ悪い印象が残っている面が強いですが、女性に関してはほとんどなくなったことでしょう。
私の親も、私がピアスを開けた当時はとても幻滅していた様子ですが、今ピアスを開けている人に対していちいち幻滅することはありません。人々の価値観や文化というのは短期間のうちに変化するものです。
タトゥーに対して悪いイメージを抱いている人たちに対して、別に「そのイメージを変えろ」と言うつもりはありません。でも人間が持つイメージや価値観なんて、ピアスのように10年スパンでゴロっと変化するということは、頭の片隅に入れておいても良いように思います。
健康というならタトゥーよりもタバコが問題だ
「タトゥーは感染症のリスクがあるから、親として自分の健康リスクを減らすのは当然」と反論する人もいますが、リスクは十分抑えられると思いますし、タトゥーを入れたところで寿命が縮まるわけではありません。
むしろタバコを吸っている親のほうが問題です。病気のリスクが顕著に増加し、寿命が縮まる可能性も十分あります。何より受動喫煙(副流煙だけではなくサードハンドスモークも)によって子供にも害が及びます。
このように、人権侵害ではないのに叩くケースというのは、概ね様々な理由が非論理的です。結局は「タトゥーを否定したい」という感情が先にあって、それに最も正当化できそうな論拠を都合良く持ってきているだけですから、非論理的なことになります。
りゅうちぇるさんが特別なのがおかしい
りゅうちぇるさんはつい先日もテレビ番組で、家事育児に関して自分事として関わっているというスタンスを述べて、インターネット上でも高く評価されていました。「妻に作って欲しい」と駄々をこねた初老の男性芸能人たちがとても醜く映っており、その分りゅうちぇるさんが輝いていたように思います。
確かに、りゅうちぇるさんはとても素晴らしい人だと思います。旧来の「男らしさや女らしさ」「社会人らしさ」「親らしさ」を自然と飛び越える姿勢には、大変共感するところが多いです。だからこそ様々な批判を招くのかもしれませんが…
でも本来、彼がこの手の発言で称賛されるのもおかしいのではないでしょうか? 彼が言っていることは個人の自由や人権を重んじる欧米の社会ではごく当たり前のことであり、日本もそれがスタンダードにならなければなりません。
りゅうちぇるさんのような一部の芸能人だけが気を吐いている状況は、日本の自由や人権がいかに遅れているかを如実に表していると言えるでしょう。りゅうちぇるさんには引き続き、ファーストペンギンの一人として日本社会の閉塞感と戦ってほしいと思いますし、私たちも彼のようなフェアでフラットなスタンスの芸能人を応援して行きたいものです。
(勝部元気)