
柳楽優弥といえば、最近では民放衛星放送や焼きそばのCMなどでコミカルな演技が印象的。デビューは13歳と早く、14歳で史上最年少かつ日本人初の受賞となったカンヌ国際映画祭での最優秀男優賞受賞は、大きなニュースとして取りあげられた。だが、輝かしい子役デビューを飾った彼のその後の人生は、決して順風満帆というわけではなかった。そんな柳楽優弥のこれまでを振り返る。
華々しい子役時代
1990年代以前に生まれた方の多くは、「柳楽優弥」と聞けば「カンヌ」という言葉を思い浮かべるのではなかろうか。そのくらいに鮮烈だった、柳楽優弥の映画デビューとカンヌ国際映画祭での最優秀男優賞(※注)受賞。まずは略歴やデビュー、子役時代についてまとめよう。
※賞の名前「Prix d'interpretation masculine」の訳し方は「男優賞」「最優秀男優賞」「最優秀主演男優賞」などメディアによってばらつきがあるが、本記事中では「最優秀男優賞」で統一した。
プロフィールと略歴
・プロフィール
生年月日:1990年3月26日
血液型:A型
身長:174cm
特技:武道、乗馬、サッカー
・略歴
2002年に芸能界入り。2003年4月から放送されたHONDAのテレビCM「翼ある人。心に翼を。-『親子』篇」(本田技研工業)が、初めて公開された出演作となる。同年、テレビドラマ「クニミツの政」(フジテレビ系)でドラマデビュー。
2004年、映画デビュー作となる是枝裕和監督作品「誰も知らない」で、第57回カンヌ国際映画祭最優秀男優賞を受賞、史上最年少の14歳かつ日本人初受賞だったことが大きな話題を呼んだ。
その後テレビや映画を中心に活動を広げるも、2008年には処方薬の過剰摂取により病院に搬送されたことが報道された。この報道だけがきっかけではないが、この前後に出演作品やメディア露出などが減ったり、約2年にわたり出演がほとんどない時期もあった。
2010年1月、19歳の時に女優の豊田エリーと結婚。同年10月に第一子となる女児が生まれた。この後から、また映画やテレビ作品への意欲的な参加が見られるようになる。その勢いのまま再び多くの作品に出演するようになった柳楽は、映画「ディストラクション・ベイビーズ」で、「誰も知らない」以来の受賞となる第90回キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞などを受賞。同年放送され話題となったテレビドラマ「ゆとりですがなにか」(日本テレビ系)に、主要キャストとして出演。2017年の映画「銀魂」に続き、2018年8月公開の「銀魂2 掟は破るためにこそある」で土方十四郎役を演じている。
芸能界入りのきっかけ~デビュー
所属事務所はスターダストプロモーション。芸能界に入るきっかけは、2002年(当時12歳)に同事務所に応募したこと。理由は「友達が所属していて楽しそう」などだった。
初めて公開された出演作は、前述のとおり2003年から放送されたHONDAのテレビCM。続いて同年夏の出演ドラマ「クニミツの政」が放映されたが、芸能界での初仕事は映画「誰も知らない」だった。ただし「誰も知らない」の撮影期間が1年におよび、公開までにはさらに1年を経ていたため、世に出た出演作としては3つ目となる。
「誰も知らない」は柳楽優弥にとって初めてのオーディション参加であり、初めて役者として演技し、初めて映画に出演(しかも主演)した作品だ。この“初めて” づくしの作品で、柳楽はさらに世界的に権威ある映画祭で日本人“初”の最優秀男優賞を受賞。もちろん柳楽にとってもこれが初めて獲得した賞となる。
映画「誰も知らない」でカンヌ史上最年少の最優秀男優賞受賞
2004年に公開された映画「誰も知らない」は、是枝裕和監督が15年もの歳月をかけて構想し映画化が実現した作品で、1988年に東京都豊島区で起きた「巣鴨子供置き去り事件」を題材にしたもの。是枝監督は、オーディションで「目に力がある」と柳楽優弥を主役に抜擢した。柳楽は、役者としての初参加作品ながら、親に放置されても子供たちだけで懸命に生き抜こうとする長男役を演じた。
この作品が第57回カンヌ国際映画祭(2004年)のコンペティション部門に出品されたことで、彼の人生が大きく変わる。作品としての受賞はなかったものの、柳楽優弥が史上最年少、日本人初の最優秀男優賞を受賞したのだ。このニュースは日本だけでなく、同映画祭が行われたカンヌ(フランス)でも話題となった。同作品で柳楽が受賞した賞は、第78回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞、第40回シカゴ国際映画祭Golden Plaque賞など、ほかにも多数ある。
受賞以降の活動
1作目から主演で始まった映画俳優の道は、上述の受賞が一躍注目を集めたことで、しばらく主演作品が続く。「星になった少年 Shining Boy & Little Randy」(2005年)、「シュガー&スパイス 風味絶佳」(2006年)と続いて主役を務めた。一方、テレビドラマは2004年の「電池が切れるまで」(テレビ朝日系)以降、2010年まで出演がない。ちなみにカンヌ国際映画祭での受賞が発表されたのは、「電池が切れるまで」の制作中のことだった。主演・財前直見が扮する教師の生徒役を柳楽優弥が演じていたが、受賞を受けて、まだ収録が終わっていなかった回での柳楽出演シーンが増やされたという。そしてこれが、子役としての最後のテレビドラマ出演となった。
天才子役の苦悩と挫折
輝かしい受賞、華々しい主演作品。恵まれた子役時代だったと人は思うだろう。しかし、まだ14歳だった柳楽少年にとって、どこへ行っても付いて回る「カンヌで受賞した天才子役」というプレッシャーは、どれほどのものだったのだろうか。
プレッシャーと苦悩、周りとの摩擦
受賞後、数々の作品に主演俳優として迎えられた柳楽優弥に対し、作品に関わる大人たちには「カンヌ受賞者」に対して遠慮がちなところもあったという。まだ10代だった彼が、「テングになって」も仕方がなかっただろう。インタビューでも、自身がそう述べている。
「だからもう、天狗(てんぐ)なんてもんじゃない。わがままで生意気でした。ガキのくせして『やる意味がない』とか言って偉そうに仕事を断ったりして。それによって周りに迷惑をかけていることにもまったく気づいていませんでした。10代の僕は、本当にタチが悪かった。今ここにいたら、ぶん殴ってやりたいほどです」
Heros File(マイナビ転職)
経験浅くして受賞した大きな賞は、そのまま彼の足かせともなった。周りとの摩擦もあったという。後に当時を振り返り、「撮影が毎日怖かった。自信がなかったし、自信がつくほどの努力をしてなかった」とテレビ番組で語ったことがある。
スクリーンから姿を消す 過食や自殺未遂の噂も
徐々に表舞台から姿を消していった柳楽優弥は、2008年8月、自宅で安定剤の大量服用により病院に搬送され、一部スポーツ紙などで「自殺未遂」と報じられた。これについては数日後、本人が公式ホームページにコメントを発表し、大量服用にいたった経緯とともに自殺未遂を否定している。それによれば、家族と口論になった際についカッとなり、処方されていた安定剤をいつもより多めに服用したとのこと。その後、体調に異変を感じたため自身で救急車を呼び病院に行ったが、その日のうちに退院した、とあった。自殺未遂について否定したコメントは下記のとおり。
「自殺をしようとしたということではまったくありませんので、今回の件で関係者の方々、マスコミの方々、ファンの皆様などにたくさんのご心配とご迷惑をお掛けしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
また、「理想の自分にまったく近付けないことにイライラ」して、ストレスから過食を繰り返した時期もあった。1日8食の生活をしていたこともあったという。
妻・豊田エリーとの結婚から復活へ
そんな柳楽優弥の二度目の大きな転機は、後に妻となる豊田エリーとの出会いだ。
妻、豊田エリーの略歴とふたりの出会い
豊田エリーは1989年1月14日生まれ、柳楽優弥の1歳年上。彼らの出会いは、高校時代。豊田は女優やモデル、タレントとして、柳楽も役者としてすでに芸能活動をしていた。そんな二人が通っていたのは、多くの芸能人が通うコースがあることでも知られている堀越学園高等学校だ。
柳楽が、1学年上の豊田に一目惚れしたという。男女交際が禁止されていた高校で密かにその恋を育む二人には、「校内でしゃべりかけない」「他人の目がある所では別々に歩く」などの約束事があったそうだ。
2010年1月、4年の交際期間を経て結婚し、同年10月に第一子が誕生した。結婚した当時、柳楽優弥は19歳だった。
家族の支え
柳楽は、どんな時にも支え続けてくれた妻・豊田の存在にも助けられ、演技の魅力を再び感じるようになる。役者という仕事に、もう一度真剣に向き合うことを選んだ。そしてようやく、俳優・柳楽優弥がスクリーンに帰ってくることになる。
しかし復帰当初はさほど仕事が多くはなく、2011年頃には妻子を養うためにまだアルバイトもしていたという。その経験は、人としても役者としても、柳楽の役に立ったそうだ。家族を持ったことによる責任感と、家族から得るサポート。人間としての成長や俳優業への復帰を促したものは、家族の存在だったといえる。
減量と、役者修行
俳優業を本格的に再開するには、過食で80kg以上にまで増えた体重を戻す必要があった。柳楽優弥は、家族のサポートを受けながら20kgの減量に成功。そしてこの頃、もう一度ゼロから演技を学ぶチャンスを掴む。
復帰作となった映画「すべては海になる」の山田あかね監督からオファーがあり、名声高きハリウッドの俳優養成所「アクターズ・スタジオ」で1週間の俳優修行をすることになったのだ。柳楽は、「ぜひやりたい」という強い思いでこれに臨んだという。この様子は、NHKBSプレミアムのドキュメンタリー番組(「旅のチカラ 21歳の決心 ハリウッド俳優修業~柳楽優弥・アメリカ」)でも放送された。
映画「すべては海になる」で俳優復帰

話が少し前後するが、映画「すべては海になる」(2010年)を柳楽優弥の“復帰作”と呼ぶ記事を多く目にする。その前の2年間は映画にもテレビにも出演がなかったことから、“復帰”と表現されるものだろう。そして同作が公開された年の後半からは、2004年以来途絶えていたテレビドラマ出演が再開され、徐々にその数が増えていく。2012年には初の舞台作品に参加、2013年以降は映画の出演数も飛躍的に増え、俳優・柳楽優弥は完全復活を遂げる。先に述べたハリウッドでの俳優修行のきっかけもこの映画だったことを考えると、「すべては海になる」は柳楽優弥にとっての復帰作であると同時に大きな節目の作品でもある。
役者として覚醒してから現在まで
紆余曲折を経て、再び表舞台に舞い戻った柳楽優弥。復帰から現在にかけて、彼の活躍の場は、その演技の幅とともに広がるばかりだ。
復帰後の主な出演作品
・舞台「海辺のカフカ」(2012年)※主演
演出家・蜷川幸雄の指導を受けた、初舞台作品。村上春樹の同名作品が原作。出演が決定した際には、「蜷川さんにぼろくそに言われるなら、それは本望。こんな幸せなことはないです」と語った。
・映画「許されざる者」(2013年)
渡辺謙、佐藤浩市、柄本明らと共演し、名優たちから数々の教えを受けた作品。主演の渡辺謙に負けない存在感を見せた。
・ドラマ「アオイホノオ」(テレビ東京系/2014年) ※主演
コメディ作品への初参加となったドラマ。次項をご参照いただきたい。
・ドラマ「連続テレビ小説『まれ』」(NHK/2015年)
「これまであまり普通の役がこなかったので、自分の中でこういうキャラクターを開拓してみたいと挑んだ作品」だったと語る。朝ドラへの出演は初めて。
・舞台「金閣寺」(2014年) ※主演
宮本亜門の演出により三島由紀夫の原作小説を舞台化、2作目の舞台出演となった。「僕の代表作にする」という強い意欲で挑んだ。
・ドラマ「ゆとりですがなにか」(日本テレビ系/2016年)
続編やスピンオフも登場した人気ドラマ。別項にて詳しく触れる。
・映画「ディストラクション・ベイビーズ」(2016年)※主演

」
完成披露舞台挨拶で、「仕上がりを観たときに、もし参加していなかったら本当に悔しいと思うような作品になった」と話した。柳楽にとって「誰も知らない」以来12年ぶりの受賞作品となり(第90回キネマ旬報ベスト・テン 主演男優賞、ほか)、表彰式では目に涙を浮かべる姿も。
・大河ドラマ「おんな城主 直虎」(NHK/2017年)
史実にもとづくストーリー中で、架空の人物「龍雲丸」を演じた。実在の人物たちとの距離感に難しさを感じたという作品。前述のアクターズ・スタジオで学んだことを活かせる部分もあったという。
ドラマ「アオイホノオ」との出会い
2014年に放送されたテレビドラマ「アオイホノオ」は、柳楽優弥の役者としての幅を広げた作品と言えるだろう。漫画家・島本和彦氏が自身の大学時代をベースに描いた同名漫画(小学館「ゲッサン」にて連載中)を原作としたドラマで、柳楽にとっては初のコメディ作品への出演となったが、まるで漫画からそのまま飛び出してきたかのような好演が評価された。
本人いわく「暗い役が多かった」柳楽が、そのイメージや殻をぶち破った記念碑的作品である。監督・脚本を手がけたのは福田雄一氏。同氏は「コメディの鬼才」と呼ばれ、ムロツヨシや佐藤二朗など個性派俳優を抜擢したコミカルな作品を数多く生み出している。勇者ヨシヒコ」シリーズなどで知られており、山田孝之や鈴木亮平らの新たな側面を引き出した名手でもある。近年の柳楽優弥が出演する作品やCMには、どこかシュールでコミカルなものも多い。その足がかりになった作品のひとつと言えるだろう。
デビュー10周年という節目の年に、節目となる作品に出会った柳楽。自身でも、この作品との出会いが自分を変えたと話している。
「最終回の放送が終わった後、福田雄一監督に『アオイホノオをきかっけにいろいろなことが変わった。自分の中で一歩踏み出せたような気がします』とメールしたんですけど、まさにそういう気持ちです」と心境の変化を話してくれた。
オリコンニュース
ドラマ「ゆとりですがなにか」で一風変わったキャラを好演

2016年放送のドラマ「ゆとりですがなにか」は、その後2017年にスペシャルドラマとして続編が放送されたり、スピンオフドラマ「山岸ですがなにか」がオンデマンド配信されたりと、何かと話題を呼んだ人気作品だ。
主演の岡田将生をはじめ、松坂桃李、柳楽優弥、安藤サクラら豪華若手俳優陣の共演や、作中に飛び出すキャストたちの名台詞(脚本・宮藤官九郎)が大きな反響を呼び、主題歌に抜擢された「拝啓、いつかの君へ」(JIJI RECORDS/2016年6月)を歌う感覚ピエロも一気に注目を集めた。
柳楽優弥が演じたのは、名門中学に首席で合格するも、大学受験に敗れ続け11浪中の元秀才・道上まりぶ。東大を目指して受験勉強をしながら呼び込みの仕事をするまりぶは、見た目もチャラく、一風変わった役柄だ。このインパクトの強いキャラクターを柳楽優弥が好演し、道上まりぶを絶賛するコメントがネットに溢れた。柳楽は本作で、第89回ザテレビジョン ドラマアカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した。
映画「銀魂」の土方十四郎役
8月より公開中の最新作は、映画「銀魂2 掟は破るためにこそある」。同作は映画「銀魂」(2017年)に引き続く出演で、土方十四郎役を演じている。前述のドラマ「アオイホノオ」の福田雄一監督とのタッグを組む「銀魂」シリーズだが、前作で初めて土方十四郎役に抜擢された時には「こわい」と語っていた。土方は原作漫画でも人気の高いキャラクターで、それだけに原作ファンのなかにはすでにそれぞれのイメージができあがっているし、期待も高い。そういった背景に思わず本音がこぼれたものだろう。
だが「銀魂2 掟は破るためにこそある」のインタビューでは、「福田監督に『この作品でムービースターになる』って、ずっとアピールしていました」と、たくましい言葉で語っている。今作中での土方が、そして柳楽が、前作に比べてどのような成長を遂げたのか、そのあたりも見どころの一つかもしれない。

9月には「響 -HIBIKI-」(欅坂46 平手友梨奈主演/東宝)「散り椿」(V6 岡田准一主演/東宝)と2本の出演映画の公開が続く。俳優・柳楽優弥の存在感と、彼が演じるキャラクターたちの魅力を、ぜひ映画館で体感していただきたい。