連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第24週「風を知りたい!」第139回 9月10日(月)放送より
脚本:北川悦吏子 演出:二見大輔
「半分、青い。」139話。律(佐藤健)が変身した瞬間
「半分、青い。 」メモリアルブック (ステラMOOK)
9月14日発売

半分、青い。 メモリアルブック

連続朝ドラレビュー 「半分、青い。」139話はこんな話


脱サラして起業しようと考えはじめた律(佐藤健)に反対し、怒らせてしまった鈴愛(永野芽郁)は、晴(松雪泰子)と話して自分のしたことを反省する。

鈴愛は昔の晴のようになっていた。


梟町にふらっとやって来た鈴愛。
入院を前にした晴に華やかな柄のパジャマをプレゼント。晴を喜ばせる。
殺風景な病室に飾る絵がほしいと晴にねだられ、鈴愛は家族の思い出の場所・お墓参りに行く丘を描く。
「いい風が吹くね」(8話)の場所だ。

物語の書き方にはおおまかに分けて2つある。

結末を決めてそこに向かって書く方法。
結末を決めないまま書き始める方法。

「半分、青い。」は行き当たりばったりで無軌道に進んでいるようで、じつは前者・結末に向かって一定の軌道を通っている。途中、多少暴れても目的があるからなんとかなる。むしろ、激しくあっちこっち行って見えるのはたどり着きたい目的に向かうための力技ともいえるだろう。暴れる牛を檻の中になんとか入れようとしている格闘である。


螺旋階段のようにまわりながら結末へと上っていく(下っていくでもどっちでもいい)、その途中で、どこかで必ず似たシチュエーションの位置と重なる。そのひとつが「いい風が吹く場所」。
さらに、相手を思って言ったことが結果相手を怒らせてしまうことも、かつて描かれていたことだ。

心配して独立起業することを止めた鈴愛は、彼女が東京で漫画家になると言ったときに止めた親心(26話)と同じだと晴に指摘され、は!となる。
長い年月を経て、あの頃の親と子の対立がイーブンになり、どちらの気持ちも理解できた瞬間だった。

嫌いなことはやりたくない。


鈴愛は東京に戻ると、律に謝りに行く。
ちょうどその時、律は、元嫁より子の再婚祝にバラの花を贈ろうとしていた。今更気遣いしても遅い・・・と哀しくなる。

律は同じ日に生まれた幼馴染に、許せんとか縁を切るとか言えないと言う。
どんなに傷つけあっても決定的な別れに至ることない。たいへん理想の関係性である。


猛省した鈴愛は、いつもの律をひたすら応援する側に戻る。律は「律する」の律で、「飛べない鳥」のようだと自虐する律に、律は英語で言うと「リズム」だから軽やかだと励ます。

「私のマグマ大使は律だけや」そう言われて、気持ちが上向く律。
彼は「こんなことがしたい」という気持ちがあって独立起業するのではなく、事業計画を出すために何をやるか考える。
一方、鈴愛は漫画家、結婚、五平餅カフェ、ひとりメーカーとまずやりたいことがあって後先考えずに行動するタイプ。
ドラマはふたりを好対照というふうに描いているようだが、鈴愛も実のところ、やりたいことがあまり具体的じゃない。
やってどうなるかを考えてないし、すぐに見切りをつけてしまう。
律は、やりたいことがみつからないが「これは嫌だ」ははっきりしていると言う。鈴愛もそこは同じ。やりたくないことはやりたくない。自分のその勘を信じてふたりは生きてきたと言ってもいいのではないか。

ある人が言っていた。
人のほんとがわかるのは「好き」なことよりも「嫌な」ことだと。

律が変わった。


嫌なことはやりたくない。それは誰しも同じ思いだと思う。
では、やりたいことはなんだろう?
139話では、いよいよ、その本題に入る。
いままで何もみつけられなかった律が何かを見つけそれに邁進していくというわくわく感があってよかった。

特筆すべきは、律が変わる瞬間。
和子が好きだった「この広い野原いっぱい」(そういえば、この唄は「ひよっこ」120話でヤスハル(古舘佑太郎)がギターで弾き語っていいムードを醸していた)
の歌詞を諳んじながら、「そよ風の扇風機があったらよくない?」と鈴愛が言い出したのを聞いて、律の眼瞼挙筋が動き、口角まで上がった。シャキーン!! 脳細胞が動き始めると顔筋も稼働する。
この瞬間のために、いままでよくぞ、虚ろでい続けた佐藤健。

だが、ひとつだけ小姑チェックさせてほしい。
「和子さんも外出たがってたな」
え。和子さん(原田知世)、弥一(谷原章介)にどっか行きたいところはないかと尋ねられて「ここ(弥一や律や梟町のそば)がいい」って言っていましたよね・・・(122話)
(木俣冬)