きょう9月15日は、いまから418年前の慶長5年に関ヶ原の戦いが行なわれた日である(ただし西暦でいえば1600年10月21日だが)。それに合わせた、というわけでもなさそうだが、サントリーの缶コーヒー「BOSS」のCMでは今月に入って、タモリが徳川家康、野村萬斎が石田三成に扮した「関ヶ原」篇が放送中だ(動画)。
毎回このCMで宇宙人役のトミー・リー・ジョーンズは今回、タカアンドトシとともに足軽として関ヶ原に参戦している。

宇宙人はともかく、このCMでは、家康と三成がにらみあいを続けるなか、三成方についていた小早川秀秋が家康方に寝返り、戦いは一気に家康方の勝利に終わる。時代劇などでもおなじみの展開だ。わずか30秒にすぎないCMにまでこのエピソードが採用されるのは、それだけ広く周知されているという証しだろう。
衝撃の関ヶ原合戦の真実。小早川秀秋は「超高速」で裏切ってた、日和見じゃなかった!家康タモリに教えたい
白峰旬『新解釈 関ヶ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い』(宮帯出版社)。「真実」という俗っぽいタイトルに反して、緻密な検証により合戦の実像を浮かび上がらせる

小早川秀秋が裏切ったのは開戦直後のことだった


ただ、小早川秀秋が徳川方に寝返ったのはたしかだが、巷間伝えられている、小早川は合戦が始まっても去就をなかなかあきらかにせず、正午頃になってようやく寝返ったという“通説”は、近年の歴史研究により否定されつつある。

このことを私は、昨年刊行された柴裕之の『徳川家康 境界の領主から天下人へ』(平凡社)という本で初めて知った。同書によれば、小早川秀秋は合戦当日、反徳川方の大谷吉継の陣近くの松尾山城(岐阜県関ヶ原町)に入城した時点ですでに徳川方へ従う意向を示しており、開戦するとすぐに脇坂安治、小川祐忠・祐滋の父子とともに寝返ったという。
こうして反徳川方の石田三成や宇喜多秀家などが敗勢のなか逃亡、大谷吉継は討たれ、勝負はあっけなくついた。ちなみに時代劇などでおなじみの、小早川秀秋にさんざん待たされ、しびれを切らした家康が鉄砲隊に命じて松尾山に向かって発砲させ、裏切りを催促したという、いわゆる「問鉄砲(といでっぽう)」の逸話も、後世の創作らしい。

なお、今年出版され、ベストセラーとなった呉座勇一の『陰謀の日本中世史』(角川新書)にも、《西軍の小早川秀秋が合戦以前ないし合戦直後に東軍に寝返り、あっという間に決着がついたことは、ほぼ確定した》と同様のことが書かれており、研究者のあいだではすでにこの説が定着しつつあることがうかがえる。

前出の『徳川家康』『陰謀の日本中世史』の記述はいずれも白峰旬の研究に依拠したものだ。白峰は2014年刊行の著書『新解釈 関ヶ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い』(宮帯出版社)において、一次史料を綿密に吟味しながら合戦の実像に迫っている。

白峰が例の説の根拠のひとつにあげるのは、徳川方についた石川康通と彦坂元正が、合戦が行なわれた翌々日の9月17日、同じく徳川方の武将・松平家乗に合戦の経緯を報告した連署書状である。
そこには、開戦時に小早川秀秋らが裏切ったため、敵(三成方)は敗軍となったことが記されていた。このほか、当時日本でキリスト教の布教にあたっていたイエズス会の報告書のなかにも、開戦からまもなくして小早川秀秋らが裏切ったため、石田三成方の軍勢はパニックに陥り、陣列が混乱して短時間で敗北したとの記述が見られるという。

これに対し、いままで伝えられてきた《小早川秀秋は正午頃まで去就を明らかにしていなかったとか、石田三成方の軍勢が正午頃まではよく善戦していた》といった通説は一次史料による裏づけがまったくないフィクションであり、江戸時代の軍記物などの記載をそのまま鵜呑みにしたものにすぎないと、白峰は断じる。

たしかに、関ヶ原の合戦を史実どおりに、開戦と同時に小早川秀秋らが裏切って、三成方の軍勢が瞬時に敗北したというふうに描けば、物語としてはあまりにあっけなさすぎ、面白みがない。後世になってさまざまな逸話が“創作”されたのは、白峰の推測するとおり、《合戦の展開をスリリングに演出するため》であったのだろう(『新解釈 関ヶ原合戦の真実』)。

なぜ“通説”がまかり通ってきたのか


『新解釈 関ヶ原合戦の真実』ではこのほか、関ヶ原の合戦における「東軍・西軍」という呼称に疑問を呈したり、そもそも「関ヶ原の合戦」という名称は正しいのかということにまで踏み込んで検証している。さらには、合戦にいたる経緯をあらためて顧みたうえで、「家康は関ヶ原合戦の真の勝利者ではない」とする説も興味深い。


それにしても、関ヶ原の合戦といえば日本史上もっとも有名な合戦のはずなのに、なぜ、これまでその実像がほとんど検証されないまま、根拠にとぼしい通説がまかり通ってきたのか。その一因として白峰旬は、関ヶ原の合戦について一般書籍や歴史雑誌などで数多くとりあげられるのとは対照的に、歴史学の分野での研究論文(学術論文)が非常に少ないことをあげている。

学界での関心の薄さは気になるところである。これについては、呉座勇一が『陰謀の日本中世史』で本能寺の変を例に説明しているのが参考になりそうだ。本能寺の変もまた、歴史学の分野ではまともな研究対象として扱われてこなかったという。それというのも、学界では、《本能寺の変の歴史的意義は、織田信長が死んだこと、そして明智光秀の討伐を通じて豊臣秀吉が台頭したことにある。
つまり結果が大事》と考えられてきたため、明智光秀が信長を襲撃した動機などに関してはほぼ研究の対象外に置かれてきたというのだ。

これと同様におそらく関ヶ原の合戦も、学界では、豊臣秀吉没後の豊臣政権下にあって徳川家康が敵対する石田三成らに勝利し、天下人の立場を固めたという“結果”にこそ歴史的意義があると考えられてきたのだろう。それゆえ、合戦の内実にはあまり関心が向けられなかったということなのではないか。

ぜひ新説を盛り込んだ関ヶ原のドラマを


それでもここまで紹介してきたように、最近になって研究者のあいだでも関ヶ原の合戦の実像は大きく見直されつつある。そこで気になるのは、今後のドラマや映画などでの関ヶ原の合戦の描かれ方だ。もちろん、ドラマがかならずしも史実に忠実である必要はないし、話を盛り上げるためにも、きっとこれからも「問鉄砲」などの逸話や通説の類いは採用され続けることだろう(たとえば赤穂浪士のドラマや映画だって、いまだに史実よりも、歌舞伎など後世の創作によるところが大きいのだから)。


しかし、いずれは志と力量のあるつくり手が、小早川秀秋の開戦直後の裏切りなど新説を盛り込んで関ヶ原を描くべきだろう(題して「超高速!関ヶ原」?)。歴史ファンとしてもぜひ観てみたいところだ。ついでながら、今回のCMで家康を演じたタモリにも、「ブラタモリ」あたりで関ヶ原の合戦をめぐる近年の研究成果をぜひ教えてあげてほしい。
(近藤正高)