アニメ『BANANA FISH』(→公式サイト)。
「第19話 氷の宮殿」が今日11月15日(木)25:05より、フジテレビ”ノイタミナ”ほかで放送。
Amazon Prime Videoで毎話フジテレビ放送開始1時間後より配信予定。
「バナナフィッシュ」自分の頭を撃てと脅したら、平然と銃爪を引かれた、どんな顔すればいい?18話
吉田秋生「BANANA FISH」18巻表紙。18話は幸せを手に入れ、覚悟を決めたアッシュの、意思の強靭さを感じさせる回

今回注目したいのは、アッシュの師であるブランカとのアクションシーン。
ブランカから漂う「絶対勝てない感」「詰んだ感」は見事だった。
「るろうに剣心」の剣心と比古清十郎のような関係だ。

幸せなアッシュ


「君が撃つんだ、君自身の頭をね」と月龍にいじわるげに言われ、銃を渡されたアッシュ。
彼が何一つ躊躇なく引き金を引くシーンは、力みゼロの本当に何も感じていない自然な動きだった。

月龍は狡猾な人物だ。
彼は相手を言葉で追い詰め、精神的に潰していく拷問的な手段が得意らしい。
今回だって、自分で引き金を引けという躊躇させられる提案だし、仮に銃をこちらに向けても恥をかく、という悪趣味なもの。殺すのではなく、心を揺さぶるのが目的だ。

でもアッシュがあまりにもあっさりしているもんだから、月龍の方が心配する有様。
月龍「あんなやつのために、何で、何でそんな簡単なんだ!」
アッシュ「何言ってんだ?死んでみせろと言ったのはお前だろ」

月龍がさらに追い詰めようと頑張る。
バナナフィッシュの情報を受け取ったら、あとはディノの元で「最低の男娼」として働かせる。
そうすればエイジは安全にしてやる、と。
月龍「君は何もかも失うんだ。探し求めた真実も、兄の復讐も、仲間の信頼も。自由も」

でも、アッシュはあっさり「わかったよ」と受け入れる。
月龍「君は本当にそれでいいの? 何もかも失って地獄に落ちてもそれでも」
月龍は価値観の違いにすっかり飲まれてしまい、鬼になれない。今までたまーに見せていた彼の脆さが、ボロボロ出てくる。


アッシュは決して「死にたがり」ではない。
オーサーとの戦いの前に、エイジに「オレは死を恐れたことはない、だが死にたいと思ったこともない」と述べている。
「キリマンジャロの雪」の話で出てきたように、アッシュは自分に価値をほとんど見出していなかったから、漠然と生きてきただけだった。
彼が今、死を恐れないのは、エイジに出会い、生きた実感がきちんと得られたから、そしてエイジを守りたいからだ。
アッシュにとっての「生きる」意味が、ガラリと変わった。

今回後半のマックスとアッシュのやりとりあたりは、だいぶ端折られている。

そうまでしてでも、前半のアッシュとエイジのやりとりは余裕を持って尺を取る必要があったのだろう。

悪人ってなんだ?


研究所から逃がすほどアッシュへの愛が暴走中のディノは、一途すぎる一面を見せ続けてきた。
月龍は無慈悲なキャラかと思いきや、心を痛めたりあたふたする人間味がにじみ出てきた。
そしてアッシュの師である殺し屋のブランカは、アッシュときちんと話す時間を作り、意思を尊重した。
「どんな状況になってもお前の幸運を祈ってるよ」と思いやるシーン、恐ろしいラスボスではなく、優しい先生としての印象が強い。

アッシュも含め、ほとんどの登場人物が「この世界でしか生きられない人間」だ。
エイジのような、光の下は歩めない。
そもそも一般市民から見たら、何人殺しているかわからない極悪人ばかりだ。

ただ、18話を見てしまうと、メインキャラに根っからの悪人はいるのか?と疑問が浮かんでしまう。
月龍はサイコパスではない。家の問題がなかったら、感受性高めの、ませた頭のいい普通の少年だったでは、と感じさせられてしまう。
むしろアッシュのような幸せを未だに知らず、復讐のために闇社会に進もうとがむしゃらになった末、シンに心配されるほど危なっかしさを抱えている彼は、アッシュより不幸だ。


アッシュ以外のメインキャラたちに、何かしら信念や愛があるのが見えてくる。執拗にアッシュだけを追い続けたオーサーも、その1人だろう。
彼ら自身、うまくはいかない苦悩と諦念の中を、やるしかない状態で進んでいるのが見えてくる。みんな、キリマンジャロを登り続けてしまうヒョウだ。

それぞれに同情してしまう部分があるから、「大団円」は全く見えてこない。
しかもアッシュとエイジの間に生まれた本当の「幸せ」が描かれただけに、仮にディノや月龍が自分の願望を果たしても、「幸せ」が生まれない、空虚しか訪れないのもわかってしまう。

この回の後、視聴者の感想で「2人で日本に行くifものがあれば…」というつぶやきがあがっていた。
これは原作時にもあがっていた声だ。
日本の学園モノを描いて欲しい、という意見も吉田秋生に寄せられていたそうだ。

二次創作的なifモノ、特に学園モノは、苦しむ少年少女作品への鎮魂歌だ。
もし、ショーターとアッシュとエイジとシンが日本の高校で、学ラン姿でつるんでいたら。
幸せなファンタジーを思い描くほど、本編のやりきれなさが生々しくなる。

(たまごまご)