
2019年が始まって間もないのに、「女性・ジェンダー・性」等の分野で炎上が止まりません。先週の記事では、AKS(NGT48運営)による暴行隠蔽事件、西武・そごうの元旦広告、ピーチジョンの広告、ヤレる女子大学生RANKING(SPA!)の4つの問題を取り上げました。
ですが、その後も菅公学生服の広告、ワイドナショーでの松本人志氏のセクハラ発言、志村けん『バカ殿』の肉布団企画、Amazonプライム・ビデオ『今田×東野のカリギュラ』の『家庭内下着泥棒グランプリ』、「子連れ出勤」の政府後押し等、次から次へとメディアで取り上げられる規模の炎上が噴出しています。
このまま全て膿を出し切ってもらいたいとも思うのですが、ある意味全身のほとんどが膿で出来ているような日本社会ですから、おそらく今後も「女性・ジェンダー・性」等の分野で炎上は続くでしょう。
若い世代には旧態依然な社会にNOを言える人材が豊富だ
そのような現状にゲンナリしてしまう人もいるかと思いますが、個別の案件を見ると、そこには先頭に立って声をあげた女性の姿が見えることには大変勇気づけられると思います。NGT48運営の告発に踏み切った山口真帆さん、ピーチジョンの問題を発掘した政治アイドルの町田彩夏さん、ヤレる女子大学生ランキングへの反対署名を主催して世界規模のニュースにした山本和奈さん等、若い世代に人材が豊富なことは大きな希望です。
インターネットを漁っていると、彼女等以外にも、既存の男尊女卑社会的価値観に迎合せず、しっかり主義主張を言えるリーダー候補を確認することができます。中にはムーブメントを起こそうという学生さんもおり、実に頼もしい限りです。
わずか数年間ではあるものの、日本のジェンダーや性の問題を訴えてきた先輩としては、人権侵害が当たり前に蔓延る日本の状況に対して「おかしいよね」という感覚を当たり前に持つ人が増えてきた現状に、大変うれしく思う次第です。欲を言えば、そろそろ男性リーダーも現れてほしいと思います。
問題の構造や本質を全く理解していない大人たち
ところが、若い世代がジェンダー平等的な価値観を当たり前に有している一方で、相次ぐこれらの炎上について問題の構造や本質を全く理解していない大人たちも散見されます。グラビア女優の石川優実さんも自身のブログで書かれていましたが、ヤレる女子大学生RANKINGの炎上について、批判に対して驚くような見方をする人が以下のように散見されました。
たとえば、弁護士の山口貴士氏(1976年生まれ)は「平成最後の年になっても、『女性=貞節であるべき』という価値観を無意識のうちに内面化しているおじさん/おばさん保守が多いこと、しかも、その多くがフェミニストであることに驚いた」とTwitterで述べています。
また、株式会社ZOZOのコミュニケーションデザイン室長でインターネット上のインフルエンサーでもある田端信太郎氏(1975年生まれ)は、「これ『蔑視だ』というのも、貞淑に価値をおく古い貞操観では?。女性が自己決定として性体験豊富になり、そういう女性が多い大学という意味だとしたら、何が悪いんだろ」と述べています。
さらに、アーティストのろくでなし子氏(1972年生まれ)も「女がセックスに奔放で何が悪いのか。女性に押し付けられた性的に無垢で清らかであれとする古い価値観を打ち砕くのがフェミニストのする事だと思っていた。ずいぶん逆行してしまったもんだ」と述べています。
フェミニズムが絡むと知能が“Fラン化”する現象
いったい何を見たのか分からないですが、山本和奈さんによる署名の記述や、SPA!の記事に対して批判を展開している記事のどこを読んでも、「女性=貞節であるべき」とも、「貞淑に価値をおく(のが良い)」とも、「女がセックスに奔放で悪い」とも書いていません。行間から読み取ることも私にはできませんでした。
SPA!の記事への批判は、「女性が自主的な選択で性経験を多数積むこと」を否定しておらず、あくまで「男性優位社会が性経験を多数積む女性を侮辱の対象と見なし、女性(しかも学生)に対して一方的にレッテルを張って尊厳を傷付けたこと」を否定しているだけです。否定の対象は女性の側ではなく(加害をした)男性の側です。
それにもかかわらず、彼等は「批判している人は女性=貞操であるべきと言っている」と自分の頭の中で勝手に創作しているのです。なぜこんな単純な違いすらも区別がつかないのでしょうか?
私には、彼等が告発した女性に対して何かしらの「#悪意メガネ」をかけて見ているせいで、事実をありのままに認知できなくなっているように感じました。おそらく彼等も普段は頭が良いのでしょう。ですが、以前「賢人も ジェンダー絡めば 馬鹿になる」という句を考えたことがあるのですが、この手の話になると偏見がたくさんあるせいで急にズレたことを言う「#フェミニズムFラン化現象」が、ここでも起きているように感じます。
この世の中は「#男性透明メガネ」だらけ!
実は、このような「加害をした男性側の問題なのに女性側の問題と捉える現象」は、今回に限った話ではなく、この男性優位社会の中の至る所に類似の事例を見ることができます。たとえば、以下のような例が典型的でしょう。
◇セックスレスになった理由で、育児の大半を妻に押し付けたのは自分なのに、「妻が女ではなく母になったから」と認知していること
◇女性が働きにくい職場を作ったのは自分たちなのに、女性の医師は離職する人が多いという理由で女子受験生の点数を限定する医大
◇家庭内の家事育児で穴を開けることで女性を職場から離したのは男性なのに、そこは問題にされず女性労働者が「職場に穴を開ける」と見られる
◇“枕採用”の意思決定権をしたのは男性側なのに、女性の「枕営業」と表現されること
◇性風俗を利用したのは自分なのに、「こんな仕事してちゃダメだよ」と説教する風俗客
◇痴漢したのは自分なのに、「女性が誘って来た」と受け取る痴漢犯
◇DVしたのは自分なのに、「お前が〇〇なのがいけないんだ」と主張するDV夫
ここにあげたのはほんの一例ですが、皆一律に「現象が生じる原因を作った行為の主体であるはずの男性が存在しないこと」になっているのです。男性側が問題の発端になって現象が生じているのに、「#男性透明メガネ」をかけているからか、彼等の目には女性しか映っていないのでしょう。今回のSPA!の記事への批判を「女性=貞節であるべき」と捉えてしまう人たちも、きっとこのメガネのせいのように思いました。
米国で話題になる「Toxic Masculinity(=有毒な男らしさ)」
それにしても、なぜ「#男性透明メガネ」という認知の歪みができ上がるのでしょうか? そのヒントが現在アメリカで賛否両論が起こっているGillette(剃刀製品のブランド)のCMに表現されていると思います。
このCMは、権力・支配・暴力を志向してイジメやハラスメントを容認する「Toxic Masculinity(=有毒な男らしさ)」に対して変革を促すものです。Gilletteは広告動画の主旨について、「いじめなど、『男だから』という言い訳で見逃されるような、"有毒な男らしさ"を象徴する問題行動を指摘すること」(訳:ハフポスト)だと説明しています。実に応援したくなるような素晴らしい内容です。
そして、男性優位社会によって作られた「〇〇するのは男の本能だから」のような「Toxic Masculinity」「毒男らしさ」の洗脳を幼い頃からシャワーのように浴びせられた結果、男性が権力・支配・暴力を志向してイジメやハラスメントすることや、女性を性的にモノ化してジャッジする視点が当たり前のこととして認知されるようになります。そうして、「#男性透明メガネ」、ひいては「#男性加害免罪メガネ」が完成するわけです。
女性を責める「#男性加害免罪メガネ」の典型的発想
このようにして男性側が有する「毒男らしさ」を規定の常識・固定観念として捉えてしまうと、男性性をメタ認知(=自分の認知を認知すること)することができなくなるため、「毒男らしさ」の問題が議論の遡上に上がっていることを理解することができず、「これは女性の問題だろう」と解してしまうのではないでしょうか。この仮説を証明してくれているかのような記事を書いたのは、小林よしのり氏の以下の記事です。
「ギャラ飲み」なんかに参加している卑しい女性がいるのだろう。女子大生は未成年と強調しても、だったら「ギャラ飲み」なんかに参加するなと言いたい。卑しい行動をしている女性がいるから、「ヤレる、ヤレない」という見方を男がするんだ。
SPA!に抗議に来た女子大生は危険だ
「ギャラ飲み(男性が女性にお金を払って成立する飲み会)」が成立するのは、「ヤレる女性が欲しい」というニーズを持っている男性がいるからです。男性側が欲しいと言わなければ、提供する女性が現れることもありません。
にもかかわらず、小林氏は男性が女性に対して「ヤレる、ヤレない」というモノのような見方をするのは当たり前のこととして何の批判を加えない一方、女性側の行動は「卑しい」と非難しています。まさに「#男性加害免罪メガネ」「#男性透明メガネ」があるからこその表現です。
ズレた謝罪の背景にも「#男性透明メガネ」がある
なお、前述の菅公学生服の謝罪に限らない話ですが、炎上が起こった時に、「ご不快な思いをされた方々に深くおわび申し上げます」「女性蔑視や軽視を意図するものではない」という謝罪になっていない謝罪が繰り出されるのも、「#男性透明メガネ」がかかっているからのように考えらます。
差別や蔑視の問題は、加害者に故意があったか否かではなく、その事実があったか否かの問題です。それなのに、「自分たちに意図は無い」という論点のズレた弁明をすることが日本企業に少なくありません。
この手の謝罪文を発してしまうのは、「Toxic Masculinity」「#毒男らしさ」に対して何のメタ認知もできていないからでしょう。問題の本質を全く理解していないから、「不快に感じた人が女性の側にいた」という部分だけを切り取って認知し、女性側の問題として捉えているのだろうなと感じます。
そして、批判を受けた当人たちですら「Toxic Masculinity」「#毒男らしさ」の問題を回顧できない中、当然「他人の失敗」から学習することができず、今日もまたどこかで無神経に別の毒男たちが女性を踏む表現を世に放っているわけです。こうして、炎上が延々と繰り出されるのだと思います。
男性も「毒男らしさ」を一緒に否定しよう!
「女性やジェンダーやフェミニズムが絡む社会問題」と聞くと、主に被害者側である女性の問題として認識する人が多いと思いますが、炎上した案件の大半は男性が抱える「Toxic Masculinity」「毒男らしさ」を指摘するものであり、十中八九「男性の在り方」が議論テーマです。
それについて自己反省的に扱うのが「メンズリブ」だったわけですが、時代が進み、元から偏見を持っている面が少ない男性も徐々に現れて来た中で、今後フェミニズムとメンズリブの境は弱くなって行くことでしょう。
繰り返しますが、ジェンダーやフェミニズムがテーマの炎上は決して女性の問題ではなく、男性の問題です。いかに男性が「Toxic Masculinity」「毒男らしさ」と決別できるかが社会の進化を大きく左右するわけです。
私はこれからもその変革を促したいと思いますし、是非これを読んで下さっている男性にも、『権力・支配・暴力を志向してイジメやハラスメントすることや、女性を性的にモノ化してジャッジする視点を含む「Toxic Masculinity」「毒男らしさ」は、一人の男性として&一人の人間として否定します』というスタンスを一緒に示してほしいと思っています。
(勝部元気)