ジャーナリストの池上彰は、昨年より講談社のPR誌『本』で「伝える仕事」と題するエッセイを連載している。今年6月号の第15回では、「忖度と空気について考える」というサブタイトルを掲げ、権力に対するテレビや新聞などマスコミ業界の忖度の実態が語られた。
書店で無料で配布されている小冊子での連載のためか、さほど話題にはなっていないようだが、テレビで人気を集める池上が、メディアにおける「忖度」の実態に言及したのは意義深いと思う。
池上彰がハッキリ語るメディアの政権への「忖度」と「空気」
池上彰が連載エッセイでメディアの「忖度」について明かした『本』2019年6月号

「圧力」から「忖度」へ


池上はこの回でまず、忖度という言葉について《本来は相手の立場や気持ちを慮るという麗しい配慮を指す言葉だったはずなのですが、いまや上司や権力者の気持ちを勝手に解釈して、怒らせないようにしよう、喜ばせよう、と自主的に動くことを言います。とりわけ官僚の世界に、蔓延しているようです》と、近年になってその意味が変わってきたことを指摘している。そのうえで、自分が仕事をしているテレビの世界にも《忖度はあるのか。あるのです。かつてのような政治家からの露骨な圧力はなくなりましたが、圧力を受ける前に忖度し、結果的に圧力がかからないという状態になっているように思えます》と、はっきりと書く。

かつてテレビの世界では、政治家からあからさまな圧力を受けて、予定されていた番組の放送が中止されたり、ニュースキャスターが降板するということもあった。1968年には、TBSのニュース番組「JNNニュースコープ」でのベトナム戦争報道を「反米的」と捉えた与党自民党の幹部が、TBSの社長を党本部に呼びつけ、結果的にキャスターの田英夫が番組降板に追い込まれている。このとき、TBSの社長に対し、当時の自民党幹事長の福田赳夫(のちの首相)は、放送免許の剥奪すら匂わせたといわれる。

キャスターの降板というと、近年でも、2016年にNHKの「クローズアップ現代」のキャスターだった国谷裕子が番組を降板したことが思い出される。しかしそれは、田英夫のときのように政権からの圧力によるものではなかった。このケースでは、現場は抵抗したものの、上層部からの指示で交代が決まったとされる。NHKの元記者である池上が同局内の知人から得た情報によれば、《菅義偉内閣官房長官への国谷さんのインタビューについて「官邸が不快感を示している」という情報を知った幹部が「忖度」して国谷さんの降板を指示した》という。


池上によると、こうした忖度が発生するようになったのは、2006年の第1次安倍政権の誕生からだという。これ以降、《ニュース番組で政権に批判的なコメントが出ると、総理官邸のスタッフあるいは自民党から、局にひとつひとつクレームが入るようになりました。メディア報道を厳しく監視するようになったのです》。その後の民主党政権でも同様の動きはあったが、2012年に第2次安倍政権が発足すると、一段とチェックが強まり、「なぜ政権の言い分をしっかり伝えないのか」「内容にバランスを欠いている」などと細かい指摘が連日のように続くことになる。

池上は、テレビ局において政権への忖度が発生するメカニズムをこのように説明する。

《こんな抗議や注文があったからといって、放送局側がすぐに委縮することはないのですが、次第に「面倒だなあ」という空気が浸透します。抗議があるたびに誰かが対応しなければなりません。それが続くと、「抗議が来ると面倒だから、このコメントはやめておこう」といった配慮を現場が自主的にするようになってきたのです。忖度というよりは「面倒だからやめておく」という空気なのです。/こうなれば政権は、「我々は圧力などかけていない」と言えます。その通りだからです。でも、それでいいのか。
外から見れば、「現場が委縮している」ように見えるのです》


こうした「面倒だからやめておく」という空気はいまやテレビだけでなく、新聞業界にも漂っているらしい。池上がある大手新聞社(原文では実名)の記者から聞いた話によると、その新聞社では、《安倍政権に批判的な集会があると知っても、「どうせ取材しても紙面に載らないか、小さな扱いになるだろう」と記者たちが考えて、取材に行かない》という。

このように、いまのメディア内部の状況を知ると、愕然とせざるをえない。権力の監視は、報道機関たるマスメディアが果たすべき大きな役割のひとつである。それが現状では、直接圧力を受けたわけでもないのに、メディアの側が自らその役割を放棄しているというのだから、権力側からすればこれほど御しやすいことはないだろう。

選挙特番で池上彰が心がけていること


池上彰は、政権側から抗議や注文を受けたことはないものの、省庁から「ご説明」が来ることはよくあるという。たとえば、数年前に、テレビ番組で「アベノミクスによって全国で公共事業が増え、東北復興のための工事の労働力が不足している」と解説したところ、国土交通省の担当者が「こういう対策をとっています。そのことを知っておいてください」と説明をしに来たという。こうした対応は、省庁の「世論対策」として、メディアを通じて社会的影響力を持つ人たちを対象に行なわれているらしい。これについて池上は次のように書く。

《人によっては、こうしたことを言外のプレッシャーを受け止めることもあるでしょう。「我々に不利なことは言うなよ。
いつもコメントをチェックしているぞ」というわけです。/私は鈍いのでしょうか、これらを圧力とは感じません。さまざまな資料を先方が持ってきてくれるのですから、ありがたく頂戴します。省庁側の立場を知るいい機会です》
(『本』2019年6月号)

こうした姿勢こそ、池上の批評精神の源泉になっているのだろう。選挙のたびに特別番組でメインキャスターを務める池上は、候補者や各党の幹部に対し鋭い質問をすることから「池上無双」などと呼ばれて久しい。池上は、くだんの連載の別の回で、選挙特番での候補者へのインタビューで心がけていることも記している(「伝える仕事」第16回「選挙特番のキャスターになった」、『本』2019年7月号)。そこで彼は、候補者に対し「議員になったら、どんな仕事をしたいですか?」という一般的な質問はしてはいけない、と断言する。「お母さんたちが子育てしやすい環境をつくります」「待機児童をなくします」などといった、当たり障りのない答えが返ってくるに違いないからだ。これでは建前の話に終始してしまう。

池上はより具体的な質問をすることで、本人に自覚や気構えがあるかどうか視聴者に伝わるようにしている。たとえば、ある選挙では、かつて「消費税反対」を訴えて当選したことのあるタレント議員が、消費税引き上げに賛成する政党に鞍替えして公認で立候補した。そこで池上は、「消費税に対する考えが変わったのですか?」と問い質すと、「いや、政党から出てくれと言われたので出たので、政策については打ち合わせしていない」との答えが返ってきた。
このやりとりからは、《この候補者の資質や、この候補者を引っ張り出した政党の無責任さが浮き彫りに》なったわけである(前掲)。池上はこうした質問を、とくに芸能人やスポーツ選手など、知名度だけで政党から出馬を要請されたようなタレント候補にぶつけているという。

もっとも、候補者の自覚や資質は、投票のあとよりも前に知りたいところではある。「池上無双」は、むしろ選挙前に特番を組んで発揮されるべきだという意見もあるだろうし、私もそれには賛成する。とはいえ、開票結果が出てすべてが終わるわけではない。当選した候補には当然ながらそこからがスタートであるし、私たち有権者にとっても、当選者たちが今後どんな仕事をするのか見守っていく必要がある。そのためにも、選挙特番で候補者たちの気構えを知ることはけっして無駄ではないはずだ。大切なのは、選挙のときだけでなく、日頃から政治の動向をチェックすることではないか。そのためにも、マスメディアには、政治家に対する忖度抜きで、権力を監視する役割をしっかりと果たしてほしいものである。

池上彰は、きょう7月21日に投開票が行われる参議院議員選挙でも、テレビ東京系の選挙特番「池上彰の参院選ライブ」(夜7時50分〜)でメインキャスターを務める。はたして今回は、どんな質問で候補者や自民党総裁である安倍首相をはじめ政党幹部に斬り込むのだろうか。(近藤正高)
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