電子書籍元年ってどうなったのか


今年が電子書籍元年であるという主張は、もう何度も目にしてきた。そのたびにいったい元年は何度あるんだと思ったものだが、さすがに最近はあまり言われなくなったようである。
しかしその理由はなんだろうか。
元年がついにやってきて過ぎたということなのだろうか。それとも元年はもうやってこないとみんな諦めてしまったのだろうか。

この記事を書くにあたって、まず現状を把握することにした。
状況の確認の参考にしたのはこのサイトである。2019年1月の段階の情報である(公益社団法人 全国出版協会)。

ここに記されていることをまとめると以下のようになる。


まず、紙と電子をあわせた出版市場規模は、1兆5、400億円だそうで、前年から3・2%減であるらしい。出版不況と言われるが、思ったより減っていない。

紙と電子で別々にみると、紙は5・7%減、電子は11・9%増である。なるほど、紙はかなり減っているが、電子の伸びは思ったより大きい。

紙と電子との割合を見ると、紙は1兆2,921億円、電子が2.749億円。出版全体の21%が電子ということになる。
数年前より明らかに伸びている。これはすごい。

電子といってもさまざまなので、内訳を見よう。
マンガが1,965億円、文字物が321億円、電子雑誌が193億円である。
つまりマンガが約71%、文字物が約12%になって、やはり圧倒的にマンガが強い。しかし文字物は前年から10・7%アップ。


紙と電子をあわせた出版全体のなかで見ると、電子の文字物がしめる割合は約2%ということになる。

「文字物」には実用書、自己啓発書などが含まれて、小説は一部だろうが、それでも321億円の市場、出版全体の2%という数字は、自分にはモティベーションをあげてくれるものに思える。
どうやら電子書籍元年はもう来ていたらしい。遅ればせながら元年を祝いたいところである。

と、すっかり気分がよくなったところで、本題に行こう。

インディーの電子書籍レーベルをスタートさせた理由


筆者は2年前に惑星と口笛ブックスというインディーの電子書籍レーベルをスタートさせた。
伊達や酔狂ではじめたわけではない。
日本の小説の振興のために、発表の場がなく途方に暮れている作家たちのために、そして自分が愛するマイナー文学のために、本気で始めた。
と、そういえば、人は感心してくれるかもしれないが、結局のところは好奇心が先だっていたのかもしれない。

現代は一人で音楽レーベルも映画も作れる時代である。そして出版レーベルも独力で作れる。せっかくそういう時代にいるのだから、作ってみてもいいのではないかと思ったのだ。経験できることはなんでもしてみたいではないか。

1万円で50冊読める大胆価格のインディーズ電子書籍「惑星と口笛ブックス」をはじめた理由(西崎憲)
『万象』日本ファンタジーノベル大賞受賞作家21人の、ほぼ全作書き下ろしアンソロジー。原稿用紙1000枚超の驚天動地の巨大コレクション。ファンタジーのアンソロジーとしては日本では史上最大。

『万象』惑星と口笛ブックス

電子書籍レーベル立ち上げで一番大変だったのは


というわけで、2016年の2月頃に準備に取りかかった。やることは多かった。まずアマゾンと楽天で本を出すためにアカウントを作った。
楽天のほうは面倒なことは何もなかったが、当時のアマゾンは、アメリカの国税庁に相当する組織に申告書を出してEIN番号というものを貰わなければならず、それは代行業があるほど手間のかかることだった。
そうしないと日本と米国で二重に税金を引かれるということだったと思う。 
現在はよくしたもので、たしか国内で出版するかぎりはその手続きが不要になったようだ。ずいぶん簡単になったので、個人で出せるかたはどんどん出したほうがいいだろう。


それから金銭の授受のために、レーベル名で口座を作る必要があった。
これは少し面倒だった。
個人名の口座でも用は足りるわけだが、やはりそれでもどうも「らしく」なかった。
銀行では法人以外は団体名では作れないので、郵便局で作るのだが、ネットに親切な先人たちが書いていることをガイドにして、書類を作成し、申請した。なかなか面倒な手続きだったので、無事に口座ができたときは快哉を叫びたくなった。

そして知人から電子書籍を売るときは、ランディングページ(要するに案内するページらしい)が重要だということを聞き、これも自分で作ることにした。広告なしにするためにはそうするよりしょうがなかったのである。
結局、十分な知識がないため、いつの時代のHP? というものになってしまったが。

最後にレーベル名で Twitter のアカウントを作成した。

それで電子書籍インディーレーベル立ちあげの準備は終了である。
アカウント取得は容易で、HPもいまではテンプレートで簡単に作る方法もあるので、手間ではないだろう。一番大変なのはレーベル名の口座を作る作業ではないかと思う。この部分は健闘を祈りたい。

いよいよ本の刊行


そしてつぎはいよいよ本の刊行である。

本の刊行自体にかんしては、筆者はそれなりの経験があったので、ここからはすこし特殊になってしまうかもしれない。しかし参考のために記しておこう。

筆者は現在までに30冊ほどの翻訳や編纂書や小説を刊行していると思う。なので、工程は体になじんでいる。
最初は景気をつけるために2冊同時刊行にした。1冊は『ヒドゥン・オーサーズ』というタイトルで、19人の作家、歌人、詩人、俳人などの作品のアンソロジーである。
19人とそれぞれやりとりをし、校正をするという作業は大変ではあったが、それは紙の出版とほぼ同じ種類の大変さだった。
もう1冊はきわめて先鋭的な作家大前粟生の短篇集『のけものどもの』だった。もしかしたらこの2冊で、レーベル〈惑星と口笛ブックス〉の方向は決まったのかもしれない。アバンギャルドや通常のものでないものを刊行するという方向が。

1万円で50冊まで自由に


現在、刊行数は26点である。毎月2,3冊刊行を目指しているが、今月は自分の執筆があまりに忙しく1冊も出せなかった。年内になんとか50冊近くには到達したいと思っている。なぜかといえば〈惑星と口笛パス〉という予約販売を行っているからである。
ePubの形式であるが、刊行物のファイルを1万円で50冊まで自由にダウンロードできるというパスである。なんと1冊200円。
だからなるべく早く50冊を出す義務があるのだ。
ちなみに1冊200円で販売しても、著者やレーベルに入る収入は、アマゾンを通して得た収入とあまりかわりはない。プラットフォームに65%とられてしまうというのはなんとも悲しい状況である。

電子書籍の収入はいくらになるのか


レーベルが貰う手数料は著者収入の15%である。これはかなり安いのではないかと思う。
かかる手間、時間を考えるとこれでは完全に赤字なのだが、あまり手数料を下げると電子書籍レーベルというジャンル自体が育たなくなってしまうので、このあたりが最低ラインだろう。

売れ行きであるが、なんと1冊で10数万の著者収入になっているものもある。しかし、一番売れてないものは、数千円くらいなので、電子書籍レーベルでお金を儲けるといったことは率直にいって、いまのところは不可能のように見えている。

1冊をだすためのやりとり、校正、宣伝ページ作成、ファイル作り、宣伝など、手間は相当に多く、しかしレーベルに入ってくる金額は、著者に昼食を奢ったら消えてしまうような額である。正直、なんでやっているのかわからなくなるときもある。

驚くべきプラスの効果


しかし、驚くべきプラスの効果もある。たとえば、今年の春、筆者は『全ロック史』という本を人文書院という出版社から刊行したが、きっかけは、惑星と口笛ブックスのサイトの刊行予告に、同社の編集者が目をとめてくれたからだった。電子で出す予定が紙になったのである。
1万円で50冊読める大胆価格のインディーズ電子書籍「惑星と口笛ブックス」をはじめた理由(西崎憲)

そして、惑星と口笛ブックスで刊行して、それが紙の出版やほかの仕事につながったという事例もある。まだ報告できないのだが、現在も2冊そうした形での展開がある。

これはどう考えてもすごいことではないかと思う。しかし同時に、ああこれは音楽がずっと前にやっていたことだなとも思う。先例があるのだ。インディーから飛びたつということには。

それらは小説のために必要なものだろうか


そしてこうも考える。
わたしは作家でもあるのだが、これまで書くということ以外のところで、多くのストレスを感じてきた。
当たり前のことであるが、書き手にたいする強制は思ったより多い。掲載媒体の傾向、編集者の傾向、枚数、締切。
わたしは思う。それらは小説のために必要なものだろうか、と。いや、それらはシステムの要請である。小説にはまったく関係がない。

電子書籍は作者にたいする不要な強制を可能なかぎり小さくできる。
売れ行き度外視のところがあるので、何を書いてもいいし、どれだけ長く書いてもいいし、締切もない。なんという自由さであろうか(じつは締切だけは違った考え方ができるのだが)。

電子書籍から、今後日本文学の傑作が続々と生みだされる


だから、電子書籍は作家にとって、夢のようなツールなのだ。
わたしは電子書籍から、今後日本文学の傑作が続々と生みだされることを確信している。後世の文学史家は、おそらくここからの10年ほどを、電子書籍が小説を変えた時代、と呼ぶだろう。

誇大妄想じゃないか? そうかもしれない。しかし多くの重要な変化は、だいたい誇大妄想からはじまるではないか。

こうして書いてきて、書くべきことの多さにあらためて気がついている。
電子書籍ファイルのデザインについて、支払い作業の簡便化、シングルカットという形式について、日本ファンタジーノベル大賞作家とその復刻についてなどなど。しかし、それはまたべつの場所で語るときがくるだろう。いったん筆をおこう。
(西崎憲)