
バックナンバーはこちらから
いったい、いくつの〈館〉を見てきたことだろう。
阿津川辰海が築き上げた新しい館を眺めながら、そんな感慨に耽ったのであった。
現実に目の当たりにする機会などなさそうな機械な建設物。その中に犠牲者を閉じ込め、凄惨な殺人劇を繰り広げるためだけのために考案された想像上の産物。物語の舞台装置であると同時に、それ自体が謎解き趣味に耽る人々への贈り物であり、ヤカタという言葉の響き自体に反応する者もいる。謎解き小説の論理は、虚構内の現実を支えるために築かれる空中楼閣のようなものだから〈館〉とは相似形になっている。
どこにもないが、確かな存在感をもってそこにそびえる館。
阿津川辰海は『紅蓮館の殺人』で、また一つ魅力的な館を築いてみせた。

謎を解かずに死ぬか、解いて死ぬか
初めに断っておくと、紅蓮館というのは正式な名称ではない。主人公のコンビ、高校生の田所信哉と葛城輝義が向かったのは、落日館と呼ぶ者もいる屋敷である。主は隠遁生活を送るミステリー作家・財田雄山だ。田所は中学生のときに短篇ミステリーの賞に応募し、残念ながら受賞には至らなかったものの編集者とはつながりができた。いわば作家の卵である。彼と同等のミステリー・マニアである葛城は、田所が最も切望し、己には備わっていない才能の持ち主だ。生まれながらの名探偵である。人が嘘を吐いていると必ずわかってしまうという特殊な資質の持ち主である彼は、すでにいくつもの事件に遭遇し、解決に導いていた。
高校の勉強合宿から抜け出して作家の屋敷を目指した二人だったが、途中で山火事が遭遇し、逃げ場を求めて結局目的地の落日館に逃げ込むことになる。二人を出迎えたのは財田雄山の長男だという男性とその子らしい二人の男女で、初めは渋られたものの、緊急事態ということで中に入ることを許される。憧れの作家は、残念ながら心身の衰えが激しいということで屋敷の最上階で誰にも会わずに暮らしていた。
彼らの他にも館に逃げ込んできた人々がいる。田所たちが山道で出会った不審な態度の女性・小出と、落日館の近くに住んでいるという男・久我島敏行、そして彼の家をたまたま営業で訪れていた保険会社の調査員・飛鳥井光流である。実はこの中に、かつて田所の運命を変えるような出会いをした人物がいて、という偶然の一致が序盤の展開でも示唆される。登場人物は出そろった。以上の登場人物の中で、誰かが無惨な死を遂げることになるのだ。
小説は三部構成になっている。各章に【館消失まで35時間19分】というような案内が記されていることからもわかる通り、物語のどこかで落日館は焼け落ちるのである。ゆえに紅蓮館。山火事によって閉じ込められた関係者に逃げ場はなく、その中で殺人事件の謎を解いたとしても、無論それが救出を確実にしてくれるわけでもない。いわば謎解きは、究極の無駄になるわけだ。
舞台設定から、エラリー・クイーン『シャム双子の謎』(創元推理文庫ほか)を連想する読者は多いはずだ。もちろん本歌取りになっている。1933年に発表されたこの長篇では、リチャード警視と探偵エラリーのクイーン父子が山火事の中に取り残され、死の恐怖に怯えながら殺人事件の謎を解くことになる。じわじわと山肌を這い登ってくる火事の描写が不気味で、クイーン作品では随一のスリリングな展開である。物語の終盤、ついに生存の望が断たれたとき、エラリーは以下のように宣言する。
「棒たちは、格別に不愉快きわまる死の瀬戸ぎわに立っています。僕は、このような危機に際し、最後の希望も絶えはてたとき、人間という動物はなにをすべきものか、いかなる行動をとるべきかを知りません。しかし、次のことは知っています。少なくとも僕だけは、こうして、猿ぐつわをはめられた、いけにえのようにじっと座って、黙って死んでゆくことを拒絶するということを」(後略。井上勇訳)

エラリーは、人間としての尊厳を守るため、最後まで謎解きという理性の問題に向き合って死ぬことを提案する。エラリー・クイーンのこの態度は、すべてを論理によって律しようとする探偵の究極と言っていい。目の前に謎があるならば、それを解き尽くすことをせずに人間は死ねるだろうか、とクイーンは問いかけた。実は『紅蓮館の殺人』は、その大先輩に対する作者なりの返答になっているのである。
端整な謎解き小説、と思って読むとびっくりする
キレビ!読者がミステリー・ファンとは限らないし、『紅蓮館の殺人』を手に取る方の中にも『シャム双子の謎』を未読の方は多いだろう。それでいいと思う。前述したように本書は三部構成になっていて、第一部は正統派の犯人当て謎解き小説として進んでいく。登場人物が読者の前に初めて顔を出したときそのままの人間ではなく、内面にそれぞれ秘密を抱えている、ということは書いていいだろう。アガサ・クリスティーが開発してこの手の小説の常道となったテクニックだからである。
第二部に入るとそれぞれの嘘が露見し始め、それによって人間関係が変化していくことになる。ここからはやや慎重に書くが、その変化の仕方が特殊なのである。それは、葛城輝義が本書の中では唯一無二の存在として君臨する探偵ではなく、他の人間が呈示した異論と闘いながら推理を進めていかなければならないからだ。閉ざされ、かつ極度に緊張した人間関係の中では、野放図に持論を振り回していればいいわけではなく、議論の果てに何が起きるかを見通していかなければならなくなる。高校生の探偵にはさぞ荷が重かろう。そして、そうした駆け引きがあることが、第三部で見えてくる謎解きの形に影響を及ぼすことになる。一口で言うならば、探偵が探偵であることの意味を常に問われる小説なのである。だからこそ『シャム双子の謎』の本歌取りであることにも意味が出てくる。
〈講談社タイガ〉はライトノベル寄りの読者層を想定したレーベルである。だから高校生の探偵という存在もほぼ説明なしに出てくる。このことに慣れない読者もいるだろう。それってリアリティはどうなの、と。そう思っていただいてかまわないので、とりあえず読んでもらいたい。高校生の探偵というのはもちろんミステリーとしての趣向であるが、同時にもう少し普遍性のある事柄の暗喩になっていることにも気づくはずだ。探偵であることを常に問われる探偵は自分が自分であることに常に不安を抱える高校生と相似形になっている。そういう小説ならば物語上必要な虚構設定として納得できるという読者も多いのではないだろうか。本書はすでに成長しきった大人が読んでもちろん楽しいが、田所や葛城と同じ若い読者にぜひ手に取ってもらいたい小説なのだ。
王道の謎解き小説の外構を使って語りを始め、意外なところに読者を着地させる。その趣向に作家としての意気込みを感じた。ここまで書かなかったが、もちろん謎解き小説の部分も評価している。特に感心したのは真相につながる手がかりの与え方で、読み返すと作者が重要な情報を堂々と明かしていることに驚かされるはずだ。
作者は光文社主催の新人発掘プロジェクト〈KAPPA-TWO〉によって2017年に長篇『名探偵は嘘をつかない』(光文社)でデビューした人で、これまでにもう一作『星詠師の記憶』(光文社)という長篇がある。デビューから3作以内、という条件の本連載にはぎりぎり間に合ってくれたが、実は昨年の『星詠師の記憶』でなんらかの賞を獲り、背中を押す必要がないくらいに出世していてもおかしくなかったと私は思っている。特に本格ミステリ大賞の選に漏れたことは残念で、候補作にもならなかった理由は、私にはよくわからない。もしかすると、2019年にこの文章を書かせるために待っていてくれたのだろうか。
阿津川辰海、これからのミステリーを担う作家だと思う。その名前をぜひ憶えておいてもらいたい。
(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)


※おまけ動画もご覧ください。こちらでは「プルースト効果の実験と結果」のような素敵な短篇を探す旅を続けていこうと思います。
「こちらのタイトルは絶賛募集中です」