“セックス依存症”という言葉を聞いて、あなたはどんなイメージが思い浮かぶだろうか? なかには、「遊び人」や「だらしない」と嫌悪感を抱いた人もいるかもしれない。セックス依存症という病名自体は広まっているものの、病気について正しく理解されているとは言い難い。
漫画家の津島隆太は、自身の体験をもとにした漫画『セックス依存症になりました。』を連載している。自分はセックス依存症の患者だと顔出しで公表するという前途多難な道を歩むことを、津島はなぜ決めたのだろうか?
セックス断ちして約2年が経過
――正直なところ、すごく大人しい雰囲気の方なので驚いています。
私が自助グループなどで見た中では、いわゆるオラオラ系の方は少ないですね。セックス依存症は、真面目そうな人や、普通の人もなる病気だと伝えていきたいです。
――セックス依存症の診断を受けたのは何年前でしょうか?
診断を受けたのは約3年前で、セックスを断ってからは2年くらいです。ですが、依存症が完治したとは言えません。嗜癖(特定のものや行動に耽溺してしまうこと)は消えていませんし、症状のひとつである日常的な鬱も残ったままです。セックスに対しては、「したいけど、したくない」という気持ちです。したい気持ちはあるけれど、再発して自分がまたおかしくなるのは本当に怖い。依存症に完治はないので、再発しないよう日々注意するのみです。
――作品の中で、ナンパやセックスをしていても全く楽しそうではないところが印象的でした。
依存症あるあるなんですが、普通の生活がつらくなります。日常の喜びが感じられず、たとえば私の場合は、映画やアニメも1、2分観ては、つらくなって停止してしまいます。セックスの瞬間だけは鬱や生きづらさから逃れられるんですが、本当に一瞬だけ。すぐに「何でこんなことを」と後悔して、自己嫌悪の苦しみから逃れようと、また嗜癖(アディクション)に走る……。悪循環にハマってしまうんです。
セックス依存症という病気はなかなか理解してもらえず、「ただの変態でしょ」という印象を抱く人がほとんどだと思います。ですが、「嫌で嫌で仕方ないのにやってしまう」という自分をコントロールできない状態に陥っていることを少しでも理解してもらえるとありがたいです。
――『セックス依存症になりました。』を拝読すると、セックスをセックスとして楽しむのではなく、セックスを通して心の何かを埋めようとしている人が危険なのかなと感じました。
私は医師ではないので断定はできませんが、たしかに性欲とは違うものが根にある方が多い印象です。心の隙間を埋めるためにセックスをしている人は、依存症にならないよう気をつけたほうがいいと伝えたいですね。
――「津島さんの漫画を読んで、自分もセックス依存症じゃないかと思った」のような感想も届くのでしょうか? どんな方から反響が届きますか?
私も驚いたんですが、女性からの反響が大きいです。
あと私はTwitterに“質問箱(匿名で質問を送ることができるサービス)”を設けているんですが、今まで800件くらいの質問に答えてきました。それだけ悩んでいる人が多くいるんだと改めて感じています。セックス依存症を専門とした病院もほとんどないので、気軽に相談できる場所が、私の質問箱くらいしか存在しないのかもしれません。
――病院自体が少ないんですか?
都内でも病院がほとんどなく、医師でも理解がない人がまだ多いんです。だから、せっかく勇気を出して診察に行っても「それは性格だ」で済まされてしまったり……。まず病気としての認知が広がることで、病院が増えてほしいです。
2時間暴行されても女遊びを止められない
――津島さんが「自分はセックスに関して異常かもしれない」と自覚したのは、漫画でも描かれた“ハンマーちゃん事件”がきっかけですか?
そうです。元カノと接点を持ち続けていることが当時の恋人にバレて、ハンマーとバリカンで2時間も暴行されました。全身が傷だらけで丸坊主にされたのに、また別の、しかも恋愛感情を特別抱いているわけではない女性に手を出そうとしてしまう……。
――漫画の中では、「女は悪い男を好きになるようにできている」など津島さんが抱いていた“認知の歪み”も赤裸々に描かれています。かなりショッキングな内容でしたが……。
若い頃に「悪い男にならなきゃ」と思い込んで、性的に逸脱していったこともセックス依存症になった一因だと思います。これまで付き合った女性たちからは、「性的なことになると人が変わる」と言われてきました。でも自覚はありませんでしたし、それが正しいんだとも思っていました。
自分の認知の歪みはわからなくても、自助グループでお互いの体験談などを話し合っていると、他人の認知の歪みには気付くんです。たとえば痴漢を止められない人が「女性も痴漢されたがっているんだ」と話すのを聞いて、「それはおかしいだろう」と感じているうちに「自分もおかしいんじゃないか?」と振り返ることになる。その繰り返しで、認知の歪みが矯正されていきました。
――1人で認知の歪みや依存症を治すことは難しいんでしょうか?
1人では難しいと思います。よく言われるのが「1人でなんとかできるうちは病気ではない」ということです。他の依存症と同じように、医療や自助グループなどを活用した方が良いと思います。
――『セックス依存症になりました。』の執筆だけでなく、メディア出演など、津島さんはセックス依存症の認知を広めるための活動を積極的にされていますよね。表に出ることへの葛藤はなかったんでしょうか?
もちろんセックス依存症の当事者として顔出しで世間に出ることは勇気が必要でした。しかし、それよりも「誰かがやらなければ」という思いが勝ちました。病識が広まることによって、患者も治療につながりやすくなり、性犯罪の加害者数も減らすこともできるはずです。アルコール依存症も病気として認知されるまで時間がかかりましたし、セックス依存症の認知を広めるのにも10年くらいはかかるんじゃないかと覚悟しています。あと、病気を公表することは自分にとっても良いことなんですよね。
――良いこと、とは?
性依存症になるのは、自尊心がほとんどなくなっている人間ばかりです。漫画を描く作業は自己分析になるので、自尊心を取り戻すことにもつながっています。また、日常的な鬱を抱えている自分にとっては、唯一の生きる術でもあります。さらに「自分はセックス依存症だ」と発信することによって、女性たちが自分から距離を取ってくれたりする。自分を抑えるという意味でも役立っています。
「性犯罪を肯定している」と受け止められかねない難しさ
――『セックス依存症になりました。』を執筆する上で注意していることはありますか?
エンターテインメント性と、正しい情報を伝えることのバランスですね。真面目な漫画になりすぎると、真面目な人しか読まなくなってしまう。広い層に読んでもらうためにはエンタメっぽくしないといけません。
序盤はけっこうストレートに病気について解説する内容だったのですが、もうそのターンは終了したかなと思っています。もちろん伝えるべきことは、まだたくさんあるんですが、問題を親身になって考えてもらうためには、“共感”によって読者の心を動かさないといけません。そのために今はストーリー漫画の文法に寄せています。
――とくに描くのに悩んだ部分となると、どのあたりでしょうか?
たくさんありますが、権利の問題などがあるので、自助グループの扱いは難しかったです。あとは性犯罪をめぐる描写ですね。セックス依存症のせいで性犯罪を犯してしまう人について描くと、一部の人には、「性犯罪を肯定している」と受け止められてしまいます。
私は、「~のせい」という日本語は、責任と原因が混ざってしまっていると思うんです。セックス依存症が原因で起きた性犯罪を許す必要はありません。
――依存症は完治しない病気だからこそ、『セックス依存症になりました。』の物語がどのように終わるのかも気になります。差し支えのない範囲で、今後の構想も聞かせてください。
編集さんとの打ち合わせでは、「津島さんが幸せなセックスをして終了するのが一番きれいなんじゃないか」というアイデアも出たんですが、まぁ難しいですよね……(笑)。なるべくハッピーエンドにはしたいと思っています。今後は、セックス依存症のせいで浮気や不倫を止められない人や、依存症からの回復例も描く予定です。また、難しいとは思いますが、性犯罪の被害者の目線も描きたいと思っています。
――周囲に「もしかして、この人はセックス依存状なんじゃないか?」という人がいた場合、漫画だとさりげなく薦めやすいですよね。
そうですね。Web連載ですし、おすすめの漫画という体でさりげなくURLを送りやすいと思います。そのときは相手も「ふーん。こんな漫画があるんだ」と終わったとしても、後日ふと思い出して治療につながるかもしれない。この作品がそんな役割を果たしたらとてもうれしいですね。
2018年4月より、集英社『週刊プレイボーイ』が運営するニュースサイト『週プレNEWS』にて、『セックス依存症になりました。』を連載中。セックス依存症の当事者として、AbemaTVのニュース番組「AbemaPrime」などに出演。セックス依存症の認知を広めるため、活発に情報発信している。