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あまりお薦めしない、でも圧倒的に読んだほうがいい新人『出航』「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」

「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」第9回。デビュー作、あるいは既刊があっても1冊か2冊まで。そういう新鋭作家をこれからしばらく応援していきたい

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速すぎて、身体が千切れそうなほどの疾走感。
北見崇史『出航』が読者に提供してくれるものはそれである。文章の板野サーカス、とでも言うべきか(わからない人はお父さんお母さんに聞いてみよう)。
あまりお薦めしない、でも圧倒的に読んだほうがいい新人『出航』「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」

本作は第39回横溝正史ミステリ&ホラー大賞優秀賞を授けられた、作者のデビュー作である。それまでの横溝正史ミステリ大賞と日本ホラー小説大賞が合体、2019年に初めての選考が行われた。大賞こそ逸したものの、新体制では初の受賞という栄誉に輝いたのが本作である。なお、他に滝川さり『お孵り』が読者賞に選ばれている。
どんな作品かは上に書いたとおり。とにかく疾走する。読者を置いてけぼりにしようが走り続ける。行きつく先が天国か地獄か、質問する隙すら与えてくれずに。
あまりお薦めしない、でも圧倒的に読んだほうがいい新人『出航』「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」

錆の臭い漂う、なんとも不穏な文体


物語は、大学4年生の〈私〉が北海道東部太平洋岸の町、独鈷路戸にやってくることから始まる。「どっころと」と読む。地図で調べても出ていないので念のため。作者が作り上げた架空の町だ。
〈私〉がそこにやってきたのは母を連れ戻すためだ。メモ以上手紙未満の書き置きを残して家出してしまったのである。その書き置きには、けっして来てはダメだ、と警告じみたことが書かれていたが、〈私〉は言いつけを守らなかった。
道東は交通手段の悪い地域だが、バスターミナルで〈私〉が訊ねると、唯一の便が行ってしまって来週まで足はない、しかし独鈷路戸までは〈ネコバス〉が運行しているから、と教えられるのである。可愛らしい名前だがジブリの映画に出てくるような代物ではない。バスターミナルにやってきたのは「瘡蓋のような赤錆に食い尽くされる寸前といった印象」で「乗り物というよりも、ある種の忌避すべき生き物に見え」るという不気味な車だ。

なぜか自分を敵視する独鈷路戸の住人たちに邪険にされつつ乗り込んだ〈私〉は、車内で異常な光景を目撃する。運転席後ろの床蓋が開いて、隙間の奥から二つの目玉がバスの内部をうかがっていたのである。絶対に人間のものではありえない「気味が悪いほどのまん丸な大目玉」が。
この段階ですでに怪しい。真っ当な判断力のある者ならバスを飛び降りて逃げ帰るであろう。しかし、母のことで頭がいっぱいになっている〈私〉はそうせず、ついに独鈷路戸にやってきてしまう。そこで彼は見てはいけないものを目の当たりにしてしまうのである。
独鈷路戸の町がいかに瘴気に満ち満ちているかは予想がつくと思うが、特徴的なのはすべてが赤錆色に覆われていることである。今では珍しくなったカップ麺の自動販売機を見つけた〈私〉は硬貨を投入してみる。しかし出てきたものはカップ麺でもお湯でもなく「赤茶けた錆が粒状になったもの」だった。それは錆びているだけではなくひどい腐臭がした。潮風に吹かれて機械の内部が朽ち果ててしまったのか。

作者は〈私〉の視点から不穏な港町の情景を描いていく。住民がほぼ老人ばかりで、街路全体の時間が止まってしまったように見える独鈷路戸は、この国の残酷なカリカチュアにも見える。荒廃した背景が、特に町を覆う赤錆と鈍色の海空とが十分に読者の脳裏に刻み込まれた段階で、次の展開がある。序盤で描かれた〈ネコバス〉の不気味な目玉も気になるが、その上を行く不気味なものが描かれるのである。
生きている腸だ。
「ねろっとした体液に包まれた肉色の体躯、なだらかで断続的に波打つ生めかしい表皮。目と鼻といったものがどこにもないが、先端部が口らしきものだということはわかる」怪物にいきなり巻きつかれた主人公は動転する。しかし、それは悪夢のほんの序の口にすぎないのであった。

読者を選ぶということだけは書いておきたい


紹介したところまででだいたい全体の20パーセントぐらいである。ここから話は一気に加速していく。主人公の母親はなぜ家族を捨ててさいはての町にやってきたのか。何故住民たちが敵意をむき出しにして余所者を追い払おうとするのか。〈ネコバス〉の正体とは。その後部座席に袋詰めにされた猫がたくさん積まれていたのはなぜか。主人公が出会った街はずれの小屋に住む寝たきりの女性は何をしているのか。水産物加工の工場に勤めているはずの母が挙動不審なのはどういうことか。そして生きている腸ってなんだ。

もう頭が破裂しそうなほどに読者は疑問を覚えるはずなのだが、そうしたことをいちいち検討している暇はない。ある事態に主人公は巻き込まれ、そこからは突っ走るしかなくなるからである。ただでさえ非友好的な独鈷路戸の町は、中盤においてついにその素顔をむき出しにする。いや、むき出しにしたと思ったらさらに何枚も仮面をつけていたらしく、新事実が判明するたびに〈私〉は驚愕することになる。ついでに読者も死ぬほどびっくりする。死ぬほどといえば〈私〉には命の危険が迫る。ようやくそれを乗り越えたと思ったら、彼が母の故郷の町でのんびり遊んでいる、と勘違いした恋人がよせばいいのに後を追って独鈷路戸にやって来てしまう。自分だけじゃなくて彼女の分まで命の心配をしなくてはならなくなって主人公の負荷は二倍だ。そして自分の母親にまつわる秘密が明らかにされる。
とにかく凄まじい勢いで展開していく小説なのである。こうした作品はよく「ジェットコースターのような」と形容される。紛れもなくジェットコースターである。ただし、始終上から鉄錆と血と糞尿が降りかかってくる。アトラクションを楽しもうとする者は、雨合羽を着ても意味がないくらいに全身をぬらぬらにされるだろう。

最後まで読むと『出航』の背景にはある古典的な物語の図式が浮かびあがってくる。というか作者はほぼ隠そうとせずに書いている。お好きなのね。始終哄笑しているような躁状態の文体もその図式によく合っており、笑いで悪趣味を補っているような箇所がいくつもある。読者を選ぶことは間違いないので、〈生きている腸〉で引いてしまった方にはあまりお薦めしない。それでもいい、むしろ腸が生きているの大好き、ビフィズス菌だって生きているし、と思う人は絶対に読んだほうがいいと思う。物語もさることながら、この文体は貴重だ。あと家族の再生の物語でもある。どんな風に再生されるかは秘密だ。
(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)

※おまけ動画「ポッケに小さな小説を」素敵な短篇を探す旅

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