きのう5月24日、アメリカのドナルド・トランプ大統領が、令和改元後初の国賓として来日した。きょう25日には、東京・両国の国技館で大相撲夏場所の千秋楽を観戦する予定だ。
それも観戦は通常のVIP席ではなく、本人の希望により土俵に近い升席で、全取り組み終了後には優勝した朝乃山にトランプ杯を渡すという。いかにも、大統領就任以前よりテレビのリアリティショーで司会を務めるなど派手なパフォーマンスを繰り広げてきた同大統領らしいリクエストといえる。

トランプ大統領誕生を予見した映画


もともと実業家として有名になったトランプは大統領就任以前、テレビ番組だけでなく、映画にもたびたびカメオ出演している。クリス・コロンバス監督の「ホーム・アローン2」(1992年)には、舞台となったニューヨークのプラザ・ホテルが、当時彼が所有していたことから本人役で登場した。

一方で、いまから見るとトランプ大統領の誕生を予見したかのような映画もある。日本では「26世紀青年」のタイトルで公開された「イデオクラシー」(「衆愚政治」の意。マイク・ジャッジ監督、2006年)はそのひとつだ。
これは、500年後の26世紀、アメリカ人の知能指数が著しく低下し、大企業の跋扈で荒廃した社会を描いた作品である。そこには、カマーチョという元プロレスラー兼AV男優の黒人大統領が登場し、やたらと「クソ!」を連発する。

そんな同作について、村田晃嗣『大統領とハリウッド アメリカ政治と映画の百年』(中公新書)は《極端な利益追求の商業主義と反知性主義がアメリカ社会を破壊する可能性を、このディストピア映画は描いている。トランプ時代のアメリカを連想させよう。また、プロレス、単純で下品な語彙、性的な誇示という組み合わせでは、カマーチョ大統領とトランプ大統領はそっくりである》と評している。ツイッターで奔放な発言を繰り返し、ときにセクハラともとられかねない言動が批判され、また、かつて別の富豪とプロレスラーと代理対決したこと(結果、勝利して相手の頭髪を丸刈りにする)もあるトランプと、カマーチョはたしかにそっくりだ。
トランプが大統領に当選したとき、この映画の脚本家は、映画が現実になったと語ったという。

もっとも、いまのところ大統領就任後のトランプを描いた劇映画はないようだ。この理由について『大統領とハリウッド』は、《いかなるエンターテインメントよりも、彼自身が奇抜で過激なエンターテインメントになっているからである》としている。同書はまた、《政治とエンターテインメントの融合は、トランプにおいてほとんど完成の域に達した》とも指摘する。
トランプは映画になりにくい、トランプ自身が奇抜なエンターテインメントだから『大統領とハリウッド』
『大統領とハリウッド』(中公新書)。著者の村田晃嗣は同志社大学法学部教授で、アメリカ外交などに関し多くの著書がある

ケネディ、ニクソン、レーガン……歴代大統領と映画


『大統領とハリウッド』は、映画と大統領の関係を通してアメリカ近現代史をたどる一冊だ。そこでは、約250本もの作品をとりあげながら、アメリカ映画においていかに大統領が描かれてきたのかがあきらかにされる。また、歴代大統領とスターたちの交流、さらには大統領がどんな映画を観ていたかにまで言及されている。


1961年に43歳の若さで第35代大統領に就任したジョン・F・ケネディの周辺には、映画俳優など華やかなセレブが集った。女優のマリリン・モンローが彼のバースデイパーティで、誕生日を祝う歌をうたったことはよく知られる。そもそもケネディ自身が、若くセクシーで理想主義的なエリートという、エンターテインメントとメディアが大統領に求めるすべてを兼ね備えたヒーローだった。《もしケネディが実際に存在していなければ、ハリウッドは何とかして彼を創り出したかもしれない》と指摘する映画学者もいるほどだ。その神格化は生前からすでに始まっていたが、1963年の暗殺後、ますます強まることになる。

ケネディとは対照的に、アンチヒーローとして映画で繰り返し描かれてきたのが第37代大統領のリチャード・ニクソンである。
ケネディ、リンドン・ジョンソンと民主党の大統領が続いたのち、1969年、約10年ぶりに共和党へ政権を奪還したニクソンは、1972年に再選を果たす。だが、その選挙戦中、ウォーターゲート・ビルにある民主党本部に男たちが侵入して逮捕された。ここから、再選のためニクソン陣営が組織的な盗聴や家宅侵入といった違法行為を繰り返していたことがあかるみとなり、1974年にはとうとうニクソンはアメリカ史上初めて任期途中で大統領を辞職する。

ベトナム戦争を拡大し(結果的に米軍撤退を決断したのもニクソンなのだが)、スキャンダルにより辞職したニクソンは、アメリカ映画にも影を落とすことになる。本書では、ウォーターゲート事件の真相を追究した新聞記者たちの実話をもとにした「大統領の陰謀」(1976年)のような作品だけでなく、「ジョーズ」(1975年)や「スター・ウォーズ」(1977年)といったエンターテインメント色の濃い作品にも、ニクソンやベトナム戦争の影響を見て取る。ニクソンその人も後年、亡くなった翌年の1995年に公開され、アンソニー・ホプキンスが見事に彼に扮した「ニクソン」をはじめ、多くの作品に登場するようになった。


ニクソンのあと、フォード、カーターに続き、共和党から出馬して1981年に第40代大統領に就任したのがロナルド・レーガンである。レーガン政権期の1985年公開の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でもネタにされていたように、彼はもともと映画俳優だった。B級俳優にすぎなかったレーガンは、それゆえ就任当初は軽んじる者も少なくなかった。だが、就任から2ヵ月後に遭遇した暗殺未遂事件により、レーガンはそのイメージを覆すことに成功する。このとき、彼は銃撃により瀕死の重傷を負って手術室に搬送される途中、自分の手を握る女性看護師に「ナンシー(夫人)には内緒だよ」とつぶやいたかと思えば、麻酔をかけられる直前には、医師たちを見まわして「あなた方がみな共和党員だといいんですがね」と語りかけた。これに対し、一人の医師が「大統領閣下、きょうわれわれは全員が共和党員ですよ」と答えたという(じつはその医師は民主党員だった)。
命の危機に陥りながらもユーモアを失わず、事件を見事に演出したレーガンは、そのおかげで人気を確立することになる。

レーガンは演説でもしばしば映画のセリフを効果的に用いた。大幅減税を実現する過程で、連邦議会にくすぶる増税の動きに対し拒否権発動を示唆した際には、「やってみろ。楽しませてくれ」と口にしている。これは、映画「ダーティハリー4」(1983年)におけるクリント・イーストウッド演じる主人公の決めゼリフだ。

レーガンが大統領にあった1980年代には政治と映画、エンターテインメントの融合も進んだ。クリント・イーストウッドがカリフォルニア州のカーメル市長を務めたのもこの時期である。レーガンが退任したあとも、歴代の大統領は映画のセリフや演出を模倣し、スターやセレブを利用することは当たり前に行なわれるようになった。《その一つの到達点がドナルド・トランプなのである》と本書は指摘する。

日本映画は首相をどう描いてきたか


『大統領とハリウッド』の終章では、日本映画における政治指導者の描かれ方についても、アメリカとの比較から少し言及されている。本書によれば、現職のトランプを除くアメリカの歴代大統領44人のうち、映画に描かれていないのは、じつに第10代のジョン・タイラーだけだという。それとくらべると日本では首相が出てくる映画は少ない。実在の総理大臣を主人公とした映画にいたっては、「小説吉田学校」「プライド」など数えるほどしかないようだ。本書はその大きな理由として、戦後の日本では映画がとりあげたくなるような、スケールの大きな政治家やドラマチックな政治的出来事(その最たるものは戦争である)が見当たらなくなったことをあげる。

他方で、架空の首相は時折登場したが、その最大のジャンルはSF映画だった。それは戦後日本では現実の危機が乏しかったことの裏返しともいえる。しかし、そうした状況も21世紀に入ると、少しずつ変わっていく。これについて本書では次のように書かれている。

《映画の中で自衛隊が最も頻繁に戦ってきた相手は、ゴジラだったのである。戦後日本がいかに平和であったかを示していよう。だが、北朝鮮による核・ミサイル開発が顕在化すると、戦後日本ははじめて具体的な脅威を発見した。防衛省も広報の一環として映画製作に積極的になった。映画に登場する首相たちも、困難な意思決定を強いられるようになってきた。阪本順治監督『亡国のイージス』(二〇〇五年)は、そうした転機に当たる》

現在公開中の映画「空母いぶき」もこの系譜にあるといえる。近未来を舞台としたこの映画では、他国の武装集団により日本の領土が占拠されたのを受け、佐藤浩市演じる日本の首相が、自衛隊に対し「防衛出動」を発令するかどうかで苦悩するさまが描かれている。

佐藤浩市は公開前のインタビュー(『ビッグコミック』2019年5月25日号)で、自分が演じるなら原作マンガの首相をいかにアレンジできるのか、監督やプロデューサーと話し合ったと語った。そのなかで、首相がストレスに弱くてすぐにお腹を下してしまう設定にしてもらったとも明かしている。これに対しては、一部の人たちのあいだでは安倍首相を揶揄していると受け取られ、批判もあがった。ただ、その人たちは同じインタビューで佐藤が〈どこかクジ運の悪さみたいなものを感じながらも最終的にはこの国の形を考える総理、自分にとっても、何が正解なのかを彼の中で導き出せるような総理にしたいと思ったんです〉と発言しているのを見落としてはいなかっただろうか。インタビューではまた、聞き手の発言として「劇中では(佐藤演じる総理が)名実ともに『総理』になっていく過程が描かれる」という説明もあった。これを踏まえれば、「ストレスに弱い」というのも、首相が指導者として成長していく姿を描くための一つの設定にすぎないのだろう。

『大統領とハリウッド』は、日本映画に出てくる《架空の首相の多くは、きわめて受動的である》と指摘するが、「空母いぶき」の首相はむしろ能動的とすらいえる。政治指導者を演じるにあたり、ここまで俳優が演技プランを練ったケースも日本映画では珍しいかもしれない。

余談ながら、佐藤は、今秋公開の三谷幸喜監督の新作「記憶にございません!」にもフリーライターの役で出演している。こちらは史上最悪と呼ばれる架空の首相が主人公で、中井貴一が主演する。その内容は、首相が演説中、聴衆からの投石が頭に当たり、記憶喪失になったことから騒動が起こるというコメディらしい。劇中ではまた、首相の記憶喪失を側近たちが何とか隠そうとするなか、史上初の日系アメリカ人の大統領(演じるのは木村佳乃)が来日するという。日本映画にアメリカ大統領が登場するのも、あまり例がないのではないか。

日本を含む各国の政治指導者とくらべると、アメリカ大統領ははるかに強い象徴機能を負っている。また開かれた政治体制も持っている。それゆえ、アメリカ映画には実在、架空と問わず多くの大統領が登場し、扱われる政治的テーマも、人種問題や選挙、スキャンダル、戦争とテロなど、じつに幅広い。『大統領とハリウッド』の著者は、一つの結論として《アメリカ映画は大統領や政治を厳しく批判し揶揄しながらも、基本的には、自国の政治体制や政治文化にはるかに肯定的である》と述べているが、これを読むと、ちょっとうらやましくもなる。
(近藤正高)