大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」先週11月17日放送の第43話は、東京オリンピックの準備のため奔走する田畑政治(阿部サダヲ)が、肖像画となった嘉納治五郎(声・役所広司)に、1940年の東京オリンピックは戦争で返上されたと伝えたところ、「政治とスポーツは別物と繰り返し、口を酸っぱくして言ったろ!」と怒鳴られる回想シーンから始まった。だが、嘉納の言葉に反して、田畑は、オリンピックを国家イベントともくろむ政府との駆け引きのなかで否応なしに政治に巻き込まれていく。
東京オリンピック開催の2年前、1962年のことだ。

田畑と津島のあいだに亀裂が入る


前回、第42話では、自民党の大物代議士・川島正次郎(浅野忠信)が、内閣に初めて設けられたオリンピック担当大臣のポストに就いた。その会見後、川島は田畑を手招きすると、大会組織委員会会長の津島寿一(井上順)と一緒ではやりにくくないかと切り出し、さらには農林大臣の河野一郎(田畑の朝日新聞社での元同僚でもある)や首相の池田勇人ら政府要人が津島を辞めさせたがっていると話を吹きこんだ。川島は一方で、東京都知事の東龍太郎(松重豊)との会談では、田畑と津島にはオリンピックを任せられないと強い口調で告げたうえ、東から田畑は欠かせないとの言葉を引き出していた。東からそのことを伝えられた田畑は、一体川島は何をたくらんでいるのかといぶかしむ。

川島への疑念は、第43話で河野一郎が大会組織委員会の事務局へ田畑を訪ねてきたとき、さらに深まった。河野は川島から、田畑が津島を辞めさせようとしていると聞いたという。どうしてそんな話になっているのか。田畑は驚きながら、そんな事実はないと否定する。むしろ辞めさせたがっているのは河野ではないのか。しかし当人に訊けば、そんなことは言っていないとの答えが返ってきた。田畑は河野に弁解するなかで、「そりゃ津島さんは老いぼれだよ」と言ったあとで、「だが、悪い人じゃない。むしろ俺は好きだよ」とフォローしたのだが、運悪く当の津島に前半の悪口だけ聞かれてしまう。


同じころ、川島は大会組織委員会のトイレで東に声をかけ、先に選手村が東京都からも承認を得て朝霞に決まりかけたのを田畑の独断で代々木へと移った件を蒸し返していた。川島は「手柄は田畑で、尻拭いは東ってか」「事務総長は首をすげ替えれば済むがね、都知事は君でないと困るんでね」などと口にしては、どうも田畑と東の仲を引き裂こうとしているようだ。

国旗のスペシャリスト・吹浦青年登場


この間、事務局にはあいかわらずさまざまな人が出入りしていた。古今亭五りん(神木隆之介)は、テレビで往年のオリンピック選手などのモノマネを披露しているのを田畑が見て、事務局に呼ばれる。国民のあいだでオリンピックがさっぱり盛り上がらないため、五りんが宣伝部長として白羽の矢が立ったのだ。いったんは辞退するも、気づけば、テレビにレポーターとして登場、日紡貝塚の女子バレーボールチームで大松博文監督(徳井義実)から特訓を受けるなど、リアクション芸人ばりの活躍を見せる。一門には無断での出演で、テレビを見た兄弟子の今松(荒川良々)は芸が荒れるとあきれるが、師匠の志ん生(ビートたけし)はうれしそう。

五りんにかぎらず、オリンピックに魅せられた若者が、活躍の場を求めて事務局に集まった。その一人、早稲田大学の学生の吹浦忠正(須藤蓮)は国旗の専門家である。吹浦は、田畑や松澤一鶴(皆川猿時)との面接で、各国の国旗を見せられ、すらすらと国名を答えてみせる。そして「式典課の松澤さんですね」と言うと、4年前に東京で開催されたアジア大会で松澤が台湾(中華民国)の国旗を逆さまに掲揚して抗議を受けた話を蒸し返した。吹浦は東京オリンピックではそのようなことが起きないよう、事務局にやって来たのだ。

事実、吹浦は大会組織委員会の競技部式典課の専門職員として国旗を担当した。
吹浦本人が、笹川スポーツ財団のインタビューに応えたところによれば、実際には組織委員会のほうから呼ばれてこの役を頼まれたという。事務局に行くと、まず式典課の森西栄一という人から簡単な面接を受けるよう言われたとか。「いだてん」では角田晃広が演じる元タクシー運転手の森西さんだ。第43話でも描かれていたとおり、森西さんは聖火リレー踏査隊に参加後、式典課で働くようになっていた。その人に言われて事務総長の田畑から面接を受けると、イギリスのユニオンジャックが国旗についている国にはどんなところがあるかと訊かれる。そこで吹浦は、「バミューダ、バハマ、北ローデシア(現ザンビア)、香港(当時は英領)。南ア(南アフリカ)の国旗にも小さなユニオンジャックが出てきますね」と日本ではほとんど知られていないような国旗や地域名ばかりを大張り切りであげていったところ、途中で田畑に「もういい」と打ち切られたそうだ。

そもそも吹浦が呼ばれたのは、組織委員会にはやはりアジア大会での台湾国旗を逆さまに掲揚したトラウマがあり、そのために国旗の専門家を探しまわったところ、各方面から彼の名前があがったからだった。採用が決まると、まだ学生だったのであくまで授業第一で出勤は自由、大学から大会組織委員会までタクシーでの出勤可、月給8000円という条件でその任にあたるようになる。なお、吹浦は東京オリンピックにおいて日本の国旗についても重要な提案を行なっている。このいきさつもドラマで描かれるのだろうか。

聖火リレーのコースも決まった。
アテネで採火されたのち、アジアの各地域を巡り、日本国内のリレーは当時まだアメリカの占領下にあった沖縄からスタートするという計画だ。

東京オリンピックで採用する競技種目については、日本の金メダルが有力視される女子バレーボールが最後まで懸案として残った。最後のチャンスとして、田畑たちはソ連・モスクワでのIOC総会にのぞむ。これ以上種目を増やすとスケジュールに収まりきらないとの反対意見もあいつぐが、このときも同行した平沢和重(星野源)がスピーチを行い、やはり女子バレーが強いソ連代表を味方につけて、やっと採用が決まった。

モスクワのIOC総会では、開催時期も10月に決まった。田畑は、東京でアジア大会を開いたのと同じ5月を推したのだが、北欧やソ連から、その時期は雪が消えてまもないころであり、トレーニング期間が少なすぎると反対され、この案は立ち消えとなる。じつは1959年のIOC総会の時点では、開催時期として7月下旬〜8月上旬案(2020年の東京大会とほぼ同じ会期)と10月案があがっており、平沢は招致スピーチで個人的には夏開催がいいと話していた。もちろん、当時といまとでは真夏の気温が違うことは言うまでもないし、1964年の夏も東京は異常渇水になったから、結果としては10月が最良の選択だったといえる。

川島のやりたい「政治」とは?


モスクワから帰国後、田畑は再び河野とBarローズで会う。このとき田畑の立場はますます悪化していた。川島は、津島降ろしの首謀者は田畑だと記者たちに吹聴し、それを聞いて津島を慕う議員たちは怒り心頭、田畑から津島を守れとの声をあげた。いや、津島を守りたいのは田畑も同じなのだが、「いつのまにか俺が黒幕か」と頭を抱える。ママのマリー(薬師丸ひろ子)から、田畑が何か川島から恨まれるようなことをしたのではないかと言われ、彼は、東を担ぎ出した都知事選で川島を罵倒して以来、心当たりはおおいにあると打ち明けざるをえなかった。
だが、河野は、「川島はそんな個人的な恨みで動く男じゃない」と言う。では何が狙いなのか。「政治をやりたいんだよ。おまえ(田畑)がスポーツが好きなのと同じで川島は政治が好きなんだ。政治をやっているときが一番高ぶる。そういう男だ」。そう河野に言われて、田畑は「俺だって元政治部(記者)だよ。高橋是清や犬養毅のような大物とも渡り合ってきた。川島の寝技なんかに屈するか」と強がってみせたのだが……。

ここで、川島が好きな政治とは何なのかが気になった。政策を指すのか、それとも権力闘争である政局が好きなのか。私が考えるに、川島にとっては、いずれの要素ともあわせもってこそ「政治」なのではないか。
自らのめざす政策を実現に移すには、権力闘争を勝ち抜かねばならない。その闘争に誰よりも没頭し、才覚を発揮したのが川島という政治家なのだろう。このときは、オリンピック開催の主導権を政府に移すべく、川島はどうしても田畑や津島を追い落とさねばならなかった。

このあと、川島と田畑のバトルは、1962年に開催されたインドネシア・ジャカルタのアジア大会を舞台に最終局面に入る。この大会直前、時のインドネシアのスカルノ政権が政治的に対立する台湾とイスラエルの選手団に招待状と入国ビザを出していないことが発覚した。津島はこの報を受けて、これが事実なら大問題だと、事実確認をして政府の意見も聞くべきだと主張する。しかしアジア競技連盟に問い合わせたところ、報道は事実無根であり、惑わされるなとの返事で、田畑率いる日本選手団もインドネシアに向けて出発した。

現地通訳と嘉納治五郎の姿が重なる


しかし選手団が出発したあと、日本ではインドネシアが台湾・イスラエルを締め出そうとしているのはあきらかと報道が過熱する。国際陸上競技連盟も今回のアジア大会を公式の大会と認めず、これに参加した選手は処罰すると通達したとの情報も流れた。東京に残った岩田幸彰(松坂桃李)はジャカルタの田畑や東にその件を伝えようとするが、電話がなかなか通じない。一方、通訳のアレンに現地の新聞を訳させたところ、台湾もイスラエルもビザが発行され、競技にもエントリーしており、問題ないという。日本の報道が間違えているのか……。日本をはじめ参加国は台湾とイスラエルの参加を要求するが、インドネシア政府は回答を先延ばしにするばかりだった。


果たして日本はこの大会に参加すべきなのかどうか。日本国内の世論はすでにボイコットへと傾いていた。現地のJOCの会合で、津島はそれに同調して選手団の引き揚げを訴えるが、東は「選手にどう説明するんですか。せめてIOCが声明を出すまで、この非合法な大会をいかにして合法化するかその方法を考えるべきじゃないですか」と反論する。しかしこの時点ですでに開会式を翌日に控えていた。日本が不参加となれば、大会は体をなさず中止になる可能性が高い。そうなれば、この大会に国家の威信をかけていたインドネシアの国民感情が爆発する恐れがあった。

とうとう結論が出ないまま開会式当日を迎え、選手たちがしびれを切らして、早く決めるよう田畑たちに詰め寄った。そこへ、現地の市民たちが日本選手団の泊まるホテルのロビーを襲撃する。田畑がみんなに避難をうながすなか、ただ一人、アレンが応戦した。棒を振り上げて殴りかかろうとする市民を、彼は何と一本背負いで投げ飛ばしてしまう。そして暴徒に向かって「逆らわずして勝つ!」と叫ぶと、「日本人は俺たちの味方だ。中止にならないよう必死に考えているんだ」「ここにいる人たちはいい人だ。邪魔をしないでくれ。彼らに何かしたら僕が許さない。出て行け」と言って、彼らを追い返してしまう。田畑はそんなアレンに嘉納治五郎を重ね合わせた。

そのころ、IOCが大会を支援しないと声明を出したが、日本国内ではなぜか、日本がジャカルタ大会に出場した場合、西側諸国は東京オリンピックをボイコットするかもしれないと政治問題へとすり替えられてしまう。
「いだてん」ジャカルタで田畑が宿敵・川島と一触即発!都合よすぎ?でも史実だからしょうがない43話
イラスト/まつもとりえこ

ジャカルタで川島と田畑が一触即発!


現地では田畑がなお逡巡を続けていた。田畑とて、政治とスポーツは別物と考えるがゆえ、ボイコットはしたくなかった。しかし、このまま参加すればひょっとすると東京オリンピックに影響が出るかもしれない。だからなかなか決断を下せなかったのだ。時間ばかりが過ぎ、とうとう追い込まれた田畑は、東京に電話して「嘉納さん、何か言ってないか」と泣きつき、岩田を戸惑わせる始末。そこへ来て津島がホテルから出て行こうとし、あわてて追いかける。

このとき、ジャカルタには川島も来ていた。じつはスカルノ大統領と親しかった彼は、このときも朝食をともにしていたのだ。川島はスカルノに、JOC幹部が大会に参加するか否かでもめているが、自分にまかせてくださいと大見得を切ると、ロブスターに豪快にかぶりつく。川島がこんなときにインドネシアに居合わせるとは、物語の展開上、都合がよすぎるようにも思うが、史実なのだからしょうがない。

ホテルでは田畑が津島を必死に引き留めようとしていたが、君は自分を辞めさせたいんだろうと唐突に切り出され、困惑する。そこへ川島が颯爽と現れた。仲間割れかと言われ、津島が「私はただ政府に問い合わせて、それから結論をと……」と弁解すると、川島は「政府だったら目の前にいるじゃない」「僕だよ僕。ここでは僕が政府だよ」と豪語する。

川島はさらに「しかしね、僕が発言をしてしまうと、問題の性質がスポーツから政治問題へとなりかねない。それはよくない。ね? 政治はスポーツに介入しない。フフフ」「だいたいね、現場にいて誰も決断できず右往左往してる。こういう醜態こそが問題なんですよ」と、露骨に田畑たちを逆撫でする。これに田畑は何を言い出すのかと思えば、「だったら引き揚げます。中止、中止」とホテルの出口へ向かいかけた。しかしすぐ振り返って、「……と言ったら、さぞかし困るでしょうな。スカルノ大統領とずぶずぶのオリンピック担当大臣は」と、川島の口元についたロブスターを指さして不敵に笑ってみせるのだった。ここまで挑発しては、川島もただではおかないだろう。果たして両者の争いはどんな結末を迎えるのか。きょう放送の第44話へと続く。

思えば、日本のテレビドラマでこれほどまでに生々しい政治の駆け引きが描かれるのは珍しいかもしれない(とくに最近では)。大物政治家が、自分の意に沿わない人間を世論を誘導しながら追い落とそうとする。いまでも十分にありうることではないか。そう考えると、ちょっと背筋が寒くなる。それにしても、浅野忠信演じる川島正次郎のヒールっぷりがかっこよすぎる。浅野自身も嬉々として演じているのがうかがえて、ドラマにますます引き込まれてしまう。(近藤正高)
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