先週11月3日放送のNHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」では、グラフィックデザイナーの亀倉雄策(1915〜97)が登場し、1964年のオリンピック東京大会組織委員会の事務総長・田畑政治から大会のデザイン顧問を依頼されるも断り、その代わり、大会のシンボルマークをつくるためコンペの実施を提案していた。しかし亀倉は言いだしっぺにもかかわらず、コンペの締め切りをすっかり忘れてしまう。当日、日本橋の行きつけのBarローズにいたところ、大会組織委員会の事務局から電話を受けて、ようやく思い出した亀倉は、その場で赤鉛筆を借りると、チラシの裏に一気に描き上げる。こうして事務局に届けられた案は、日の丸を思わせる大きな赤い円に五輪マークと「TOKYO 1964」の金文字 をあしらった、シンプルながらも強い印象を与えるものであった。
亀倉雄策の東京オリンピックシンボルマークを表紙に掲げた『PEN BOOKS 名作の100年 グラフィックの天才たち。』(CCCメディアハウス)
締め切り間際、2時間で仕上げた大会マーク
場所がバーだったことなど、一部脚色はあったものの、これはほぼ実話である。コンペの締め切りは1960年6月10日で、指名されたほかのデザイナー(河野鷹思、杉浦康平、田中一光、永井一正、稲垣行一郎)の作品は3点ずつ届いていたが、亀倉のだけ来ていなかった。審査が行なわれるのは午後1時から。亀倉は自ら設立した日本デザインセンターのオフィスで、事務局から電話を受けて慌てた。だが、すでにある程度はプランができあがっており、わずか2時間で仕上げて提出したという。亀倉案は、会議室に届くと同時に満場一致で選ばれた(日経デザイン編
出来レースは一回目からあったのか。