「岡野陽一のオジスタグラム」30回「芸人こうあるべき」には屈しない。ベレー帽おじさんと小洒落たバーで

(→「オジスタグラム」バックナンバーはこちら
「岡野陽一のオジスタグラム」30回「芸人こうあるべき」には屈しない。ベレー帽おじさんと小洒落たバーで
皆様私がやりました。二度と不正は致しません。不正に似合わずいいお話ですので、皆様是非に


大人になると新鮮に驚ける事が減る。
そりゃそうだ。

初めての事が減ってくるからだ。
驚く事はあっても、やはりあの子供の頃の初めての驚きには勝てない。
初めて象を生で見た時の「おいおい!父ちゃん!母ちゃん!化け物がいるよ!」ってゆう感覚や、初めて雪を見た時の異常な気持ちの高ぶり、初めて抜けた歯の裏の臭いを嗅いだ時の自分への嫌悪感は未だに鮮明に覚えている。
うわー、今日初めて犬見たなぁ。あれが犬かぁ。
可愛かったなぁ。でも、牙みたいなのあったし噛むのかなぁ。恐いなぁ。明日もあそこ行けば犬見れるかなぁ。
と、あの寝る前に思い出して心臓がドキドキして眠れない感覚が僕は大好きなのだ。
「岡野陽一のオジスタグラム」30回「芸人こうあるべき」には屈しない。ベレー帽おじさんと小洒落たバーで

日常に不意にやってくる驚き


そんな感覚を味わいたくて、行った事ないところへ行ってみたり、食べた事ないもの食べるのだが、そこまでの衝撃を味わえる事は稀だ。
自ら驚きを求めに行ってる分、驚きハードルも上がり、そんなに驚けないのだ。
なので、我々は驚きたいのなら、驚きハードルを目一杯下げて、日常に不意にやってくる驚きに賭けるしかない。


昨年は一度だけやって来た。
5年くらい着てた冬服に知らない内ポケットを発見した時だ。

「おい!まじかよ! こんなとこにポケットあったのかよ! すげー!」

思わず一人でテンションあがったのを覚えている。
僕は嬉しくて暫くその小さなポケットに判子を入れて持ち歩いた。
家庭をもって、子供が産まれたりすれば、もう少し良質の驚きがあるのだろうが、一人暮らしの大人の驚きなどこんなものだ。

世紀の大発見


去年はその一回きりである。
しかし、今年はついている。
もう既に僕は驚きを味わっている。

先日、昼間から家で面白犬の詰め合わせ動画みたいなYouTubeを見ていた時の事。
コメント欄に

3:17 ワロタ

とか書いてあるのを見ながら見てたのだが、その日は何かの拍子にその数字のところを押してしまったのだ。
次の瞬間、僕は思わず叫んだ。

「おい!まじかよ! これは世紀の大発見だ!飛ぶのかよ! そのシーンまで飛ぶのかよ!おい!」

僕は今までの数年間ずっと、コメントを見て、バーみたいなやつでそのシーンらへんまでいって、ふむふむ。このシーンを面白がっているのか。
と確認していたのだ。
衝撃的だった。
その日は興奮してなかなか寝付けなかった。
いやー、今日はいい日だったなぁ。まさか飛ぶとはなぁ。Twitterとかで言ったらみんなびっくりするだろうなぁ。世紀の大発見だ。ヘケケケ。ヘケケケ。zzz…。
今年は後何回驚けるだろうか。
楽しみで仕方ない。


ベレー帽を脱ぐと


さて、ではオジスタグラム第30回といこう。

本日のおじさんは友成さん。

友人と鳥貴族で酒を飲んで、深夜2時くらいに友人に連れて来られた小洒落たバーのカウンターで一人で飲んでたのが友成さんだった。
薄暗い照明の下で、赤いベレー帽を被り琥珀色の液体をロックグラスで飲んでいる。
残念だ。
我々、歯無族とは逆に位置するおじさんだ。
やはり小洒落たバーは僕の性に合わない。
オジスタグラムは諦めて、友人と二人で一杯飲んで帰ろうと思っていると、友成さんがベレー帽を脱ぐ。
それを見て僕の切り傷のような目が、皿のように丸くなったのが自分でもわかった。
あっ! この人逆さ絵のモデルになった人だ!
暗い照明のせいもあると思うが、無精髭を生やした友成さんは、一瞬僕が逆立ちしてるのかと錯覚するくらい、逆さ絵みたいなお顔をしていたのだ。
僕は今まで、こんな上下どちらから見てもいい人に出会った事がなかった。
ベレー帽を被っていたから、なんとか顔の上下が判別出来たものの、ベレー帽がなければ上下を当てる事は不可能だろう。
「岡野陽一のオジスタグラム」30回「芸人こうあるべき」には屈しない。ベレー帽おじさんと小洒落たバーで

「すみません! その飲み物ってなんですか?」

気付くと僕は喋っていた。


「バーボンだよ」
「バーボン!あの!」
「そう、あのバーボンだよ」
「美味しいですか?」
「美味しいよ」
「すみません、バーボン2つ」
「おい!何で俺もバーボンなんだよ!」

映画や小説でしか見た事のない液体バーボンで乾杯する。

「かんぱい」

ビールで乾杯する時は「かんぱーい!」だが、やはりバーボンで乾杯すると自然と「かんぱい」になるものだ。

僕がそうしたんじゃない。
バーボンがそうさせたのだ。
バーボンとはそうゆうものなのだ。
ロックグラスを傾け、バーボンを喉に流し込んで思う。

不味い!

僕にはこの味はまだわからないらしい。

「うわぁ!うまいです! 大人になった気分です!ありがとうございます!」
「そうか。これにハマるともうこれしか飲まなくなるからなぁ」
「わかりますわぁ。何かお洒落になった気分です」

かなり酔ってるのだろう。
友成さんの目は逆さ絵を保つ為かほぼ白目だ。

「兄ちゃん達は仕事やってんのか?」
「あ、はい。
売れてないですが、芸人やってるんです」
「おぉ、そうか。諦めんなよ。夢を持つって事はよ…。」

この会話もバーボンがさせたものなのだろう。
バーボンは人の心と喉を熱くさせる。

喉が焼ける。
不味い。

必ずウケるとは限らない


「俺もよ、昔よ画家を目指しててよ」
「あ!一目見た時からなんかそんな気がしてたんです!」
「おい!そりゃベレー帽被ってるからだろ! 適当だなぁ。ガハハハ!」
「ヘケケケ。あ、それですわ。ヘケケケ!今は辞められたんですか?」
「あぁ、今は働きながら趣味で書いてる」
「へぇ~」
「食えねえんだよ。一生懸命何ヵ月かけて書いても、誰も買ってくれねぇんだよ」

我々、芸人と同じだ。
一生懸命時間をかけたネタが必ずウケるとは限らない。

ほとんどのネタは死んでいく。
まだ我々の方がいいだろう。一分で出来たネタでもウケれば何でも正義になるのだから。
絵はそうはいかない。

「僕、学がなくて申し訳ないんですが、絵の上手いとか下手とかってあるんですか?」
「あるよ。俺の尊敬する師匠は日本一絵が上手かったよ」
「へぇ」
「でも、その師匠はよ、変人でよ、血でしか絵を描かないの」
「え!? 血ですか?」
「そう。豚の血で豚書いたり、鶏の血で鶏書いたり…。」
「すげー!何すかそれ!いや、でもそんなん売れるんですか?」
「売れる訳ないだろ!ガハハハ!普通に書いたら売れるって周りに散々言われたのに、結局一生売れなかったよ」

僕は無意識に二杯目のバーボンを頼んだ。
何だ豚の血で豚を書くって? 何で?
奇人にも程がある。

「わしは才能が無かったから辞めたけどよ、師匠なんていくらでも仕事あったのにな」
「いやいやなかなか出来ないですよ、そんな事」
「芸人もよ、一緒だと思うけどよ、絵もよ、流行りとかあってよ」
「そうなんすか」
「変な話、わしも絵だけで食って行こうと思ったら、そうゆう仕事もあったのよ。でもよ、師匠の言葉思い出してよ」
「……」

「みんなこう在りたいから始まるのに、いつしかこうあるべきになってしまうって。
そうなりそうだったからよ、今は工場で働きながら、趣味で描きたい絵だけ書いてるよ」

バーボンがうまい。
これだからオジスタグラムは辞められない。
確かに芸人もそうだ。
テレビに出たいから始まり、いつしかどうにかしてテレビにひっかからないと。ととゆう強迫観念に駆られる事がある。
それが、成功に繋がるパターンもあるが、それが魅力を失うパターンもある。
どちらが正解とかはない。
要はバランスなのだろうと思う。
これは全ての人に当てはまるのじゃないだろうか。
何かキザな回になったが、この回は特別にバーボン岡野とゆう別人が書いた事にする。

皆様もこう在りたいを大切に。
「岡野陽一のオジスタグラム」30回「芸人こうあるべき」には屈しない。ベレー帽おじさんと小洒落たバーで

(イラストと文/岡野陽一 タイトルデザイン/まつもとりえこ)
編集部おすすめ