Netflix『タコスのすべて』は単なる飯テロではない。一生分以上のタコスでメキシコの文化を知る

Netflixが昨年より配信している『タコスのすべて』を観てみた。タイトルを見た時点でストライクな気がして食指が伸びたのだ。


タコスをラーメンと同列に考えると腑に落ちる


全6話のミニシリーズで、各エピソードには以下のタイトルが付けられている。

1. パストール
2. カルニータス
3. カナスタ
4. アサーダ
5. バルバコア
6. ギサード

何の用語なのか??と、まるで聞き馴染みのない言葉が並ぶが、これ、全てタコスの名前なのだ。こんなに種類があるの!? つまり、我々が今まで食べたことのあるタコス(筆者を含め多くの人がイメージするのは筒状にした肉を削いで食べるパストール)はタコスのほんの一部でしかなく、タコスの世界は想像以上に広くて深い。

まあ、よく考えれば意外でも何でもない。メキシコでタコスは、日本で言うところのおにぎりのような国民食である。梅干しや鮭、ツナなど日本人だって好き勝手に具材を変えているのだから、タコスだって種類が多岐にわたるのは道理。

いや、もしかしたらラーメンと同列に考えたほうがわかりやすいかもしれない。
地域によって作り方が変わるラーメンと同様に、タコスも地域によって作り方や味付け、食材が変わってくる。肉や豆、野菜や魚介など具材は様々で、焼いたり蒸したり調理法も千差万別。

元も子もない話だが、トルティーヤで包んでしまえばそれら全てをタコスと呼んで差し支えない気がする。ちなみに筆者のオススメは、しっかり焼いた牛肉を細かく刻んでいただく、ソノラ州で生まれたアサーダだ。

作る側、食べる側、食べられる側の立場からタコスを考察


ジャンルとしてはドキュメンタリーに分類される作品だ。凝った構成ではない。変にタコスをドラマティックに扱わない。
ほぼほぼ、メキシコ人がタコスへの愛着を語る映像が淡々と、そして延々と続くだけ。“食べる側”の人たちも語るが、主に登場するのは“作る側”の人たちだ。作る人にフォーカスするのだから、タコスが作られる過程がたっぷり映し出される。

肉を焼くシーンでは荘厳なBGMと共にジューシーな肉汁がこぼれ落ちる様をこれでもかと捉え、思わず昇天寸前に。映像は綺麗だし、音楽もいい。しかし、タコスになる前の牛や豚の生前の姿を綺麗な映像でしれっと紹介してくるのには参った。
複雑な気持ちになる。

ある種、フェアとも言えるだろう。実は、この番組でナレーターを務めるのはタコス本人(というテイ)だ。「僕が見える?」「君が初めて酔っ払った時、一緒にいたよね。最後の時もそばにいるさ」「僕は一生離れない。一生、君のタコスだ」と、当たり前のように優しく語りかけてくるタコス。
食べる側、作る側だけでなく“食べられる側”の視点からもタコスを論じるのがこの作品なのだ。

日本人にとって一生分以上のタコスを見せられ、今すぐメキシコに発ちたくなったのは事実だが、決してただの飯テロではない。

Netflix『タコスのすべて』は単なる飯テロではない。一生分以上のタコスでメキシコの文化を知る
画像は番組配信ページより

タコスが自らの言葉でタコスを総括


多くの人が語るタコスへの愛情を聞いているうちに、自然と浮かび上がってくるのはメキシコの文化だ。タコスはメキシコの生活と伝統に深く根ざした料理で、例えばメキシコシティにあるパストールの名店は、昼は自動車修理店で夜からタコス店になる。かなり変わった営業形態だ。

しかし、地元のフードライターは「超現実的。この街でしか起こらないことさ」と言ってのけたのだ。
タコスを愛すると同時に、彼らは土地も愛している。メキシコの人々の生活になくてはならない存在、タコス。

なるほど、前述のナレーションは笑いを取りに来たわけではなかった。「僕は一生離れない。一生、君のタコスだ」、言い得て妙である。タコスを知れば、メキシコ人を知ることになる。
タコスを単なるファーストフードと思っていたら大間違いである。

また、番組では約500年前の文献を参考に過去から現在へ至るタコスの変遷と起源を紹介してくれたりもする。ドキュメンタリーの本分を忘れていない、そんな側面も強調しておこう。

最終話、エピソード6で流れたナレーションが今でも忘れられない。タコスは以下の言葉で自らを総括したのだ。

「タコスは単なる具の集合体じゃない。努力、使命感、継承、祖国、心の状態を体現してる。声なき人々の体現者であり、努力を続ける人への報酬よ」
(寺西ジャジューカ)


番組情報


Netflix
『タコスのすべて』
2019年
1シーズン(6話)
原作・制作/パブロ・クルス

視聴ページ:https://www.netflix.com/jp/title/81040704