今夜金ロー『ヱヴァンゲリヲン:序』庵野秀明はなぜ21世紀の映画に90年代要素を執拗に残したのか
新劇場版の最初にあたる『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』。97年に旧劇場版が公開されてからちょうど10年後の2007年に作られたこの映画、内容は21世紀で、舞台背景は90年代のままなのはなぜだろう?

今夜の金ローは『ヱヴァンゲリヲン:序』

きょう夜9時からの『金曜ロードSHOW!』は、3週連続『エヴァンゲリオン』シリーズの第1弾『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 TV版』を放送。過去に『:序』について執筆した、ライターたまごまご氏のレビューを改めてお届けします(2014年8月22日掲載時のまま再掲)。

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90年代の空気を残した部分をピックアップ

「時に、西暦2015年」
これは1995年放送の『新世紀エヴァンゲリオン』第1話の、一番最初に出てくる文字。TV版基準だと来年、第三の使徒がやってきて、エヴァが初号機が起動するっぽいです。


しかし『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(以下:『序』)ではこの文字はカットされており、パンフレットなどからにもこの文字はありません。第三の使徒は「第四の使徒」になっているし、カヲル君は月にいる。TV版、旧劇場版と全く別のルートを再構築し始めた『新劇場版』四部作に、ファンが騒然となったのが2007年。旧劇場版から10年、今から7年前のことです。『序』からそんなに経つのか。なんか……待つのに慣れてしまった。

TV版と新劇場版『序』は、エヴァのフォルムをはじめ、大きな違いがたくさんあります。最も違うのは、主人公碇シンジの性格。鬱屈感がない。エヴァに乗るのが怖いのなんて当たり前なんだよ。でも逃げない。ああ、シンジさんカッコいい。
友達との絆も強まり、自ら一歩前に踏み出し成長し、なんだか前向きです。

00年代の空気にあわせて再構築された新劇場版『序』。新しいものを作り、がっちりと方向性を変えているにもかかわらず、90年代にイメージした2015年の空気を保持しています。『序』の中から、90年代の空気を残した部分をピックアップしてみます。

●公衆電話
シンジがやってきたばかりでミサトに連絡をとった場所(廃墟地区?)と、委員長・ケンスケ・トウジがいた避難通路に、公衆電話が描かれています。前者はオレンジ色の非常用公衆電話(TV版は緑色)で、後者は緑色の一般公衆電話です。10円と100円玉、テレホンカードが使えるタイプ。緑色の公衆電話は今もあります。しかし、この20年の間で激減しました。
公衆電話 設置場所検索| NTT東日本
地域にもよりますが、「こんだけしかないっけ?」という感じ。どこにでもある背景、ではなくなりました。

新劇場版の世界では、キャラクターはきちんとケータイ(ガラケー)を持っています。
『破』ではアスカが重要なシーンでケータイを使っています。まだネルフに入る前のシンジが、公衆電話をかける前に携帯電話で連絡しようとしていたくらいですから、携帯電話が一般化している世界でしょう(TV版では、ネルフに入ったあとにミサトがシンジに携帯電話を持たせています)。それでもなお、あえて何度も公衆電話を出しているあたりに、『序』のこだわりがあります。

●公園
チラリと描かれる公園は、昔の趣を残したままになっています。遊具として、滑り台・ジャングルジム・ブランコ・鉄棒が置かれ、トイレもあります。ここまで遊具が残っていて、子供の遊び場になっているのはちょっと今だと珍しい。最近は地域によって、遊具が大幅に撤去されてしまっているからです。理由は主に、安全性。90年代以降に大きく変貌を遂げた場所の一つです。

公園が昔からの形を保っている場所のひとつが、団地かもしれません。団地内は公園が数多く置かれ、遊具も一式揃っており、子供と、子供を連れた大人の社交場として今も機能しています。

『序』は人々の住むコミュニティとしての場としてのを描くことに特化した映画です。
要塞都市としての機能を備えており、地面からにょきにょきビルが生えるのもユニークで、街そのものが変形ロボットになっています。

しかしその一方で、ちょっとはずれになると80年代・90年代の団地の光景が並び、学校周辺の一戸建ての家々は瓦屋根の古い家屋。最新と旧式が入り乱れている街の様子を、あえて『序』『破』では強調して作っています。子どもたちの感覚で見ている街の様子は『序』、大人達の感覚で見ている街は『破』のマヤが出勤するシーンで見ることができます。公園や通学路の表現は、シンジがこの街をどう見ているかに直結しているので、ぜひチェックしてみてください。

●ミサトさんのスタイル
ボディコン衣装に、青いスポーツカー。バブルのにおいがするミサトさん。TV版から新劇場版まで、このスタイルは全く変わっていません。

ミサトさんの車は、アルピーヌ・ルノーA310。1984年まで生産していました。今買うと数百万円以上します。それを右ハンドル仕様にしたもの。
そもそも1万台も生産されていないので、レアです。別にミサトさんがお金持ちってわけじゃなくて、TV版ではローンの心配をしていました。新劇場版ではどうだかわかりません。

ミサトさん=ボディコンのイメージが強いのはやはり『序』のシーンのせい。それ以降は衣装どころじゃなくなりますし、『Q』に至っては、……おっと。

ミサトがTV版で90年代バブル感があるのは、シンジが出会う初めての大人の女性、というイメージがあったからでしょう。この感覚を新劇場版ではさらに増幅させています。特に、ミサトがシンジを連れてセントラルドグマに行く時、シンジの保護者として、先輩として、戦友としてシンジを鼓舞し、手を握るシーンは屈指の名シーン。そのあとシンジが握り返すのが実にいい。

ミサトさんは、ずっとシンジにとっての、前にいる「大人」としての存在でなければいけない。そうすることで『Q』への流れがグッと強いものになりました。

●カセットテープ
シンジが聞いているのがカセットテープなのは、この映画の重要なポイントになっています。


彼が聞いているのはただのカセットテープではなく、「S-DAT」、デジタルオーディオテープです。期待された次世代アイテムだったS-DAT。しかし実際には普及しなかった。それが25・26トラック目を繰り返すだけの機械として描かれ、『破』で27トラック目に移行するのは隠喩として興味深いところ。

今は多くの人がカセットテープを使わなくなり、CDやMDからMP3プレイヤーの時代へ移行し、ビデオ・LDからDVD、そしてBDへとメインメディアが変わりました。2007年の『序』は、最初DVDで発売されました。当時HD-DVDとシェアを争い、勝利したBDでデジタル・リマスター版が発売。この時代の移り変わりすらも、新劇場版の中での『序』から『Q』への変化とシンクロしているようにすら見えます。
 

『序』が90年代を強調している理由

赤木リツコの「最近の男は、すべからく自分にしか興味がないのよ」というセリフは印象的(本来は「すべからく〜べし」で「ぜひしなければいけない」という意味の言葉)。「草食系男子」という言葉が出てきたのが、2006年の深澤真紀のコラムから。『序』が2007年公開なのを考えると、このような男性観の発言が出てくるのは興味深い。

90年代に鬱屈の表象だった碇シンジは、21世紀になって多くの人に愛されるようになりました。
そして新劇場版シリーズのシンジは、大人から見て「ナイーブだけど一生懸命がんばる少年」として描かれています。かわいいです。

庵野秀明「『エヴァ』は繰り返しの物語です。主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。わずかでも前に進もうとする、意思の話です。曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。同じ物語からまた違うカタチへ変化していく4つの作品を、楽しんでいただければ幸いです」
――『ヱヴァンゲリオン新劇場版』DVDブックレットより

繰り返すためには、どんなに進む方向が新しい感覚であろうと、シンジがどう見られるようになっていようと、一度90年代からはじめなければいけない。だから『序』では、90年代を強調します。

同時に、90年代を意識させられることで、見ているこちらはエヴァの呪縛から解き放たれない。もう20年経っているのにね。

何度『序』を見ても、細かい部分を深読みして、混乱する感覚から逃れられません。「エヴァ癖」はもう、一生抜けなさそうだ。
(たまごまご)
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