
差別はあって当然? 不思議の国ニッポン
LGBTなど性的少数者(セクシュアルマイノリティ)への理解を促進するための法案。LGBT理解増進法案(そもそも理解促進? 理解を促進? まだそんな段階??)。法案に「差別禁止」を規定するよう野党側が強く求め、与野党協議の結果、「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されない」という文言が追加された。しかし、自民党内では「差別を理由とした政治運動が起きかねない」「差別を理由に裁判が起きて社会が混乱する」という反対意見が出ており、今国会での成立は見通せない状況だという。
【外部リンク】LGBT法案“提出見送り”に抗議…訴えは
(https://www.excite.co.jp/news/article/E1622739895782/)
この問題は、先の5月20日の党会合で自民党の反対派の「生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」などという発言で、ツイッターが大いに燃え上がった。「差別は許されない」小学生でも習うレベルの当たり前なことだが、その文言をめぐって紛糾する政党が日本の政権を握っているのである。
しかも、そんな超初期段階で大揉めの日本で、多様性を掲げたオリンピックとパラリンピックが開催されようとしている。へそで茶が沸くとはこのことだ。
知識と理解が全く足りていない
「差別や偏見は、無知と無関心から生まれる」と言われる。差別は、良心や道徳のみでは防ぎきれないのだ。知識と理解が必要である。だが、我々日本国民の大多数は、性的少数者への知識と理解が全く足りていない。主語を大きくするのは、ネット記事やツイッターでは炎上のもとだが、現に「LGBTへの差別は許されない」という文言を追加するかどうかの超初期段階のレベルで揉めるような政党が主権を握っているのは、我々日本国民(有権者)の多くが自民党に投票したからに他ならない。
私は彼らに投票していない! だって、投票に行っていないもの! という人もいるだろう。だが、大多数の政治に無関心な層が投票に行かないことによる投票率の低さや、白票も自民党が政権を握っている一因なので、やはり主語を大きくせざるをえない(ちなみに、かつて国民投票で選ばれた党が、同性愛者を迫害し、強制収容所で虐殺した歴史があった。
何が偏見なのかわかっていないかもしれない
最近は、映画やドラマなどでもセクシュアルマイノリティを扱ったコンテンツが前より増えたように思う。しかし、エンタメとしては消費されているが、セクシュアルマイノリティそのものへの十分な理解の促進には必ずしも繋がっていない気がする。そもそも私自身、知識が足りていない。今までそういう映画やドラマをいくつか観たが、セクシュアルマイノリティがどういう人たちか、はっきりとした理解や整理はできていなかったように思う。現在の教育現場ではどうか知らないが、アラフォーの私が、中学高校で習った保健体育の授業では、性的少数者のことは学ばなかった(忘れてるだけだったら、本当すみません先生)。
先ほど政権与党をボロカスに言ったが、私自身何が偏見なのかわかっていないかもしれない。もっと、きちんと知らなければならない。必要なのは「学び」である。
普通という言葉の暴力性
本によると、「セクシュアルマイノリティ」という言葉は、性に関して「(社会の想定する)普通」ではないあり方を生きる人々を指す総称である。我々はまず、この多様性の時代に「普通」という言葉が持つ暴力性を知らなければならない。この言葉は、その社会が想定する上での「普通」からはじき出されたものを、排除したり差別する危険性をはらんでいる。
逆にいえば、セクシャルマイノリティとは、「普通」であることを押し付けられ、望まぬ生き方を強いられたり、あるいは「普通」でないことをもってからかいや排除の対称となる人々と言い換えられる。しかも、この「普通」を押し付けてくるマジョリティ側には、セクシュルマイノリティに対して、単に知らないだけでなく、「自分とは関係ない、よくわからない人たち」という感覚のもと、積極的に知らないままにしておこうという姿勢が垣間見える。
性自認と性的指向は独立しているし、性別は2つじゃない
まず最低限、【性自認】と【性的指向】。『この二つは独立しており、完全に分けて考えなければならない』ということを、頭に入れておかねばならない。【性自認】…こころの性、自分自身が認識している性別、男性、女性、そのどちらでもない場合もある。

【性的指向】…恋愛感情や性的欲望がどの性別に向かっているか、男性が好き、女性が好き、男女両方が好き、どちらにも恋愛感情を抱く、どちらにも抱かない場合もある。

その上で、【身体の性】と【性自認】も必ずしも一致しないということも忘れてはならない。
【身体の性】…外性器や染色体などの特徴から判断される場合が多い。
しかも、ここに服装や言葉遣いなど、自分自身をどう表現したいかという【らしさの性】も加わってくる。
正直この時点で、説明してるこちらも頭がグルグルしている。ものすごく複雑である。男女2色どころではない、色とりどり、様々な色のグラデーションがマーブル状に混ざり合っている。しかしこれらを知ると、あらゆる書類の記入欄にある男・女どちらかに◯の項目が、非常に雑で強引かつ無理解なものに思えてくる。
LGBTという言葉は、セクシャルマイノリティの一部しか指さない
LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字で、それらをまとめて名指す表現である。しかし、十把一絡げにこの四文字で括ってしまっておけば良心的にわかってる風を装えるわけではない。
◎G【Gay ゲイ】…性自認が男性で、性的指向が男性に向く人
◎B【Bisexual バイセクシャル】…性的指向が男性女性両方に向く人
◎T【広義のトランスジェンダー】…自身の性に対して割り当てられた性別とは何らかの意味で異なる性自認を持つ人、「身体の性」と「性自認」に違和感がある人
・トランスセクシャル…身体的な特徴をもとに割り当てられる性別とは異なる性自認を生きるトランスジェンダーの人々
・トランスヴェスタイト…異性装者「女らしさ」「男らしさ」など容姿に関する割り当てに抵抗する人々(但しこの場合、性自認は必ずしも問題ではない)
・(狭義の)トランスジェンダー…他者からの性別の割り当てと、異なる性自認を生きるトランジェンダーの人々
※上記は便宜上の分類であり、実際はくっきり分かれているわけではなく、重なり合っている部分がある
※「レズ」「ホモ」は同性愛者に対する侮蔑の意味で使われた歴史を持つので使用すべきでない
また、上記のLGBTから漏れてしまうセクシャルマイノリティがある。
◎Xジェンダー/ノンバイナリー…性自認が男性でも女性でもない性別の人、『第三の性』とも呼ばれる
最近はここにQ(クエスチョニング…自分自身の性自認がわからない、または決められないマイノリティ/クィア…セクシャルマイノリティの総称)や、+(上記のほかの様々なセクシュアリティ)が加わりLGBTQ+となっている。LGBTという括りは、性的指向についてのマイノリティであるLGBと、性自認ついてのマイノリティであるTがゴッチャになっているため、少しややこしく感じるような気もする。

しかし、これらを頭に入れておけば、先日の琉球新報が報じたあるゲイカップルの結婚のようなケースも全く違和感なく理解することができる。
【外部リンク】僕たち、ゲイだけど結婚しました…あるカップルが問う「男女」「夫婦」
(https://news.yahoo.co.jp/articles/1f27401a2beac2f4f619dae9c85ea3f834c0f338)
●『チョコレートドーナツ』
前置きが長くなったが、エキレビ!はレビューサイトなので、セクシュアルマイノリティについての映画を幾つか紹介したい。

【あらすじ】
1979年、カリフォルニア。シンガーを夢見ながらショーパブで日銭を稼いでいるルディ、ゲイであることを隠して生きる検事局のポール、ルディのアパートの隣の部屋で、薬物依存症の母親から育児放棄されていたダウン症の少年マルコ。ルディとポールはマルコを引き取り、両親のように愛情を注ぎ家庭を築き始める。しかし、ゲイであるがゆえに差別的な扱いを受けた彼らはマルコから引き剥がされてしまう。ふたりはマルコの養育権を求めて裁判を始めるのだが……

映画を見終わった時、初めて冒頭のシーンの意味がわかり、絶句した。
●『ミルク』と『ハーヴェイ・ミルク』
こちらは、ぜひセットで観ていただきたい2本。

劇映画の方の『ミルク』は、Netflix、Amazon Prime Video、Hulu、U-NEXTでも見つけられなかったので、この際『チョコレートドーナツ』と合わせて金曜ロードショーで放送してほしい。
●私は男でも女でもありません
こちらは、第三の性とも言われるノンバイナリーの、性自認に関するドキュメンタリー。

45分という見やすい尺なので、通学や通勤の行き帰りに観ていただきたい。
セクシャルマイノリティは左利きの人と同じくらいの割合でいる
いまのところ、私の周りには私が知る限りセクシャルマイノリティにあたる人がいない。いや、違う。いたのだ。本人がカムアウトしていないだけで、家族やこれまで生きてきて出会った友人、クラスメイトの誰かがそうだったはずだ。なぜなら、電通ダイバーシティ・ラボのLGBT調査2018結果報告によると、LGBT層に該当する人は8.9%と示唆されている。11人に1人の割合である。35人学級なら確実に2、3人いるのだ。ちなみにこれは、左利きの人と同じくらいの割合とされる。もうこれだけいれば、冒頭で否定したあの言葉を逆に適用してもいいのではないかという気がしてくる。
詮索するな、ズケズケ聞くな、バラすな
だが、セクシュルマイノリティの多くはその事実をあけっぴろげにすることは少ない。当然である。カムアウトしたところで、好奇の目にさらされ、質問攻めにされ、「当たり前」を強要される危険があるからだ。しかも、クラスに1人はいるとか言うと、面白半分に誰がそうなのか詮索するような輩が出てくるとも限らない。カムアウトしている人もいるかもしれない。しかし仮に、本人がセクシュルマイノリティだとカムアウトしていたとしても、興味本位に性生活のことについて聞くなどもってのほかである。そもそも、そんなことを興味本位にズケズケ聞いてくるような輩は、マジョリティ的にもドン引きである。
また、誰かからセクシュルマイノリティであることをカムアウトされても、それを第三者にペラペラと吹聴してはならない。この暴露行為を「アウティング」という。これは他者を差別に晒す危険性の高いプライバシー侵害である。
これらは全て、「互いを尊重する」という「普通で、当たり前な配慮」を欠いた行為である。
さらなる「学び」と「理解」を
うちには、娘2人と、産まれたばかりの息子。3人の子供がいる。幼稚園や公園に行けば、たくさんの子供たちが走り回っている。まだ幼いので、性自認も性的指向もピンと来ていないかもしれない。だが、もし彼らがいつの日か自分がセクシュルマイノリティだと気付き、カムアウトしても、それを当たり前に享受し、彼ら(もちろん彼らだけでなく、全世代のマイノリティが)が周囲から阻害されることなく、自分らしく希望をもって生活できる社会を築くことが、為政者と、有権者である我々の責務であると私は思う。
ウラケン・ボルボックス
東京から福岡に移住した映画好きのイラストレーター。主な著書『なんてこった!ざんねんなオリンピック物語』JTBパブリッシング、『侵略!外来いきもの図鑑もてあそばれた者たちの逆襲』PARCO出版。
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