【前編】麻雀・Mリーグで闘う美人女流プロの元祖、二階堂亜樹「今年結果を残せなければ、クビになります」はこちらから
【写真】ユニフォーム姿で牌を握る二階堂亜樹プロ【9点】
――ご存知のファンの方も多いと思いますが、二階堂さんはなぜ麻雀プロに?
二階堂 実家が、物心ついたときに雀荘を経営しいて。だから身近なものだったんですけど、4、5歳の頃に家にあったファミコンのゲームをやってたのが初めてで。リアルに牌にさわって麻雀をしたのはもっと遅くて、中学生くらいですね。
――学生さんやオジさんに混ざって子供の頃から打っていたわけでは……。
二階堂 ないです(笑)。中学では、家に麻雀牌があった女友達の家に別の友達と行って、その子のお父さんと4人で卓を囲んで、あがれたらお菓子をもらう、みたいな感じで遊んでました。それで、うちはちょっと複雑な家庭環境なんですけど、中学卒業するときには両親と離れて暮らしていて。進路をどうしよう、ってなったとき、進学もしないけど働きもしない、という感じだったんです。ただぼんやりと、「麻雀の仕事をしながら生活したいな」と思っていて。そんなときに麻雀プロの存在を知って、いま所属している日本プロ麻雀連盟のプロテストを受けたんです。デビューしたのは19になる年の4月でした。
――「最年少プロ」ということで、卓球の福原愛さんや、将棋の藤井聡太二冠のような存在だったんですね。
二階堂 同期のデビュー組でも女子は何人かはいましたが、多分、全ての団体を合わせて40人くらいだったと思います。今は女性プロだけが参加できる女流リーグやタイトル戦もありますけど、当時は完全に男女混合の試合しかなかったですね。
――麻雀界では一時期、「女流プロブーム」もありましたが、ちょうどその頃ですか?
二階堂 私がデビューした少しあとですかね。当時、「ギャル雀」という女の子のスタッフが一緒に麻雀を打つ雀荘が、すごく流行り始めたんですよ。それで、そこで働く女の子たちがプロになるケースが増えて。プロになるとそれぞれのお店での待遇が良くなったりすることが多かったんですね。それで爆発的に女性プロが増えていきました。それで結果的に、全国の雀荘がお客さんを集めるためにそういう女性プロを「ゲスト」としてお店に呼んだりしていて。私も本当に、全国どこへでも行きましたよ。
月の半分くらいは地方、っていうこともありましたね。麻雀だけじゃなくて、パチンコやパチスロのイベントに出たりもしていたので、そういうのも含めてですけど。
――二階堂さんはお姉さん(二階堂瑠美プロ)と一緒に「二階堂姉妹」としてトップ中のトップの人気を誇る女流プロですから、さもありなん、という感じですね。いやらしい話、当時はめっちゃ「稼いだ」んじゃ?
二階堂 いやいや(笑)。年収ベースで言えば、本当にいままでそんなに大きく上下してないですよ。数をこなしたって感じで、ブームではあったけど、そこまでバブリーではなかったです(笑)。
――やっぱり今よりも忙しかったですか?
二階堂 それも、最近は姉と一緒にYouTubeも始めましたし、なんだかんだでありがたいことに、変わらないくらい忙しくはさせていただいてますね。
――それは何よりです。そのお姉さんの瑠美プロは二階堂さんを追いかけて自分もプロの世界に飛び込んだそうですね。今でも変わらず仲よく活動されて、姉妹の絆を感じます。
二階堂 姉は私のことがすごく好きなんですよ(笑)。やっぱり、うちは母親がそばにいなかったんで、母親代わりというか、そういう意識がすごく強かったんじゃないかと思います。なんか、よその兄弟姉妹が仲が悪い、っていう話を聞くと、信じられないですね。
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